中国西域見聞記(3)


   

諦めこそ中国旅行の極意


      敦煌に行く飛行機に乗るため、早朝の出発になる。
      朝5時の起床。何度も言うようにこれは北京時間であり、北京時間は日本と同じ。太陽
     の位置で考えるなら、まだ夜中の2時か3時だろう。
      他にも西洋人のツアー客がいて、一緒にバスに乗る。バスは観光用ではなく、シートも
     ビニール張りで、おまけに狭い。どこかの工場内を走る作業員用のバスだって、もう少し
     マシだろう。
      真っ暗闇の中をガタガタと2時間。エアコンがない上、窓ガラスが何か所か割れている
     ので、寒い。手足をこすり、貧乏ゆすりをし、それでもときどき歯の根がガチガチと音を
     立てる。
      途中ようやく明るくなってきた窓外を見ると、まったくの不毛の大地を走っている。シ
     ートのクッションがまるで効かず、尻が痛くて参る。
      それでも、ものごとには終わりがあるもので、永遠に続くかと思われた苦行にも終わり
     がきた。空港だ。
      空港といっても、ただ平坦な場所に滑走路が1本、その脇にバスの待合所のような建物
     が1棟あるだけ。軍の飛行場だそうで、一定の数の観光客があると臨時に供用するらしい。
      軍用というから軍用機が並んでいたり軍用車両が停まっていたりして、いかめしい軍人
     が並ぶ検問でもあるのかと思っていたが、そんなものは何もなく、軍人も1人もいない。
     軍用機どころか、飛行機と名のつくものは1機もなく、建物の中に2人ほど開襟シャツを
     着た男がいるだけだ。
      写真撮影は禁じられるが、別に禁止されなくたって、写すものなど何もありはしない。
     そもそも観光客が写真を撮ったくらいで機密が漏れるようでは軍の名に値しない。
      便所を探して建物の裏に回ったところ、通路に水だか尿だか判らないものが溢れており、
     レンガで飛び石が作ってある。それを渡って行くと、例によって低い仕切りがあるだけの
     便所があり、これまた例によって使ったあとを流してないものだから、むせるほどの匂い
     が漂っている。
      とにかく中国は便所が汚い。
      そのうち雨が降り始めた。年に2回くらいしか降らないというのに、よりによってこん
     なときに降らなくてもよさそうなものだ。今年初めての雨だという。
      朝食が配られる。ナンと桃、ぶどう、瓜、西瓜。ナン以外は果物だけというのがありが
     たい。
      待てど暮らせど飛行機は来ず、ガイドの金さんは次の予定があるとかで、帰ってしまう。
     結局飛行機は午後になるということで、近くの村で昼食をとることになり、空港にいた全
     員が2台のマイクロバスに乗って鄯善(シャンシャン)賓館というホテルに行く。
      ホテルに着き、貴重品だけ持って降りるように言われたが、その後、中国人の女性ガイ
     ドから、ここは少数民族の土地だからバスの窓を割って物を盗んだりする輩がいる、荷物
     は全部降ろすようにと言われる。
      いやしくも自分の領土だと主張している所なのだし、いやしくも旅行社なのだから、自
     分たちでバスを見張るなりして、外国人観光客にそういう恥ずべきことは言わないように
     すべきではないのか。
      急に大勢の食事を作ることになったホテルはすぐには対応できないということで、しば
     らく客室で待機することになる。
      壁紙は剥がれ、電気はつかず、ベッドはスプリングがそのまま背中に当たる。鏡は机の
     上に直径20cmほどの丸いものが置いてあるだけ。
      トイレは便座がないので坐れない。もっとも汚物がこびりついていて、たとえ便座があ
     ったとしても坐る気にはなれないだろう。水は当然のごとく、出ない。
      一応バスタブがあったが、何か月か使っていなかったようで、中には砂が溜まっていて、
     底は見えない。

      空港に戻ると、飛行機はまだ来ていない。少しして搭乗券が配られ、手荷物検査がある。
      朝は職員らしい人間が2人しかいなかったのに、この時は一応制服を着た男たちが大勢
     おり、かなり厳重に検査をする。持崎さんは整髪用か何かのスプレーを執拗に調べられて
     いた。私のバッグには砂採り用のタッパウエアとパンツが1枚むき出しで入っているだけ
     だったが、係員は何と思っただろう。
      検査を終えて外に出ると、きれいに晴れ上がった空の下に、雪をいただいた天山山脈が
     きれいに見える。
      やがて中国民航の双発プロペラ機が来る。こんな飛行機をハイジャックしたところでど
     れほど遠くへ行けるものでもなかろうに、どうしてあんなに厳重な手荷物検査をしたのか
     と思う。
      タラップ、というよりは梯子のようなものを使って機内へ。その様子をなぜかテレビカ
     メラが写している。
      午後3時過ぎ、離陸。空港に着いてから6時間だ。真夜中にホテルを出たのは何だった
     のか。
      プロペラ機とはいえ、一応雲の上を飛んで敦煌空港へ。
      がらんとした建物には莫高窟の壁画を模した装飾があり、売店では仏画の模写など、そ
     れらしい土産を売っている。そういうものを見ると、やはり敦煌に来たんだという感慨が
     ある。
 
      バスでホテルに向かう。ガイドは王さんという、人の好さそうな男性。
      敦煌賓館着。なかなか立派なホテルで、ロビーの天上に飛天の絵が描かれている。お茶
     とおしぼりが出るなど、トルファンのホテルとはだいぶ違う。
      今日は移動だけでほぼ一日を費やしてしまった。予定では朝の9時頃に敦煌に着いて、
     何か所か見学したあと鳴沙山と月牙泉に行くことになっていたのだが、飛行機が遅れたた
     めに夕方の観光だけになるという。
      ずいぶん損をした感じではあるが、まあ仕方がない。
      そう思っていたら、添乗員の吉野さんが、我々を案内する筈のバスが他の団体を載せて
     蘭州に行ってしまったので、夕方の観光もできないと言ってきた。今日見る予定だった所
     は明日からの観光に組み入れるので承知してもらいたいとも言う。
      吉野さんを責めても仕方がないが、それでは駆け足観光になってしまう。鳴沙山で砂丘
     を歩いたり砂を採ったりするのを大きな楽しみにしていたというのに、それはできそうに
     ない。
      中国の旅行社のいい加減さには馴れている。とはいえ、どうにもおさまらない。
      そこで、3人でタクシーを頼んで鳴沙山に行こうと相談。ロビーに出て王さんに言うと、
     意外にも王さんは、希望者だけでいいから夕食後に鳴沙山に連れて行くよう現地ガイドと
     交渉しているところであった。トルファンへの途中で我々がどうしても鳴沙山に登りたい
     と話したのを覚えていてくれたのだ。
      「ありません」「できません」しか日本語を知らないような全線随行が多い中で王さん
     のような人は珍しい。
      この全線随行というのは、中国滞在中ずっと同行するガイドのことで、その他に行く先
     々で実際の説明などにあたる現地ガイドがつく。ウルムチ、トルファンでの現地ガイドが
     金さんであったことは既に述べた。
中国西域見聞記(1)
      ちなみにここ敦煌で鳴沙山行きのバスを要求してくれたのは全線随行の王さん、それを
     受けて実際に手配してくれたのは現地ガイドの王さん。2人の王さんが頑張ってくれたお
     かげで、鳴沙山に行けることになった。
      ない、できないと言われたら諦めるしかない中国で、この対応は稀有のことだ。ほぼ全
     員が希望して、鳴沙山に向かった。
      鳴沙山の麓にはラクダが沢山いて、そばに月牙泉までの往復が10元、片道は7元と書
     かれた板切れが立ててある。客引きが何人もいて、喧嘩でも売るような口調で切符を売っ
     ている。
      エジプトでヒトコブラクダには乗ったことがあるが、シルクロードの旅ではフタコブラ
     クダが使われていたらしいので、経験のため乗ってみようということになった。
      それだけのことだから、なにも往復乗る必要はない。
      あいにくラクダに乗ろうという酔狂な者は我々3人だけだったので、2人の王さんは他
     のメンバーの方に付いていて、我々には通訳がいない。
      まあ複雑なことを言うわけではないから、片道と書かれた文字を指し、日本語で「片道」
     と言った。すると怒ったような顔で何やらまくしたててきた。日本語と中国語のちぐはぐ
     なやり取りから判断するに、往復の客を先に乗せるので、ラクダが空くまで待つようにと
     言われたらしい。
      空いているラクダはいくらでもいる。そう言うと、ラクダを曳く人間が往復の方で忙し
     いので行けない、急ぐなら往復にしろときた。片道だったらどのくらい待つのかと訊くと、
     分からないとの返事。
      いかにも中国人のやり方だ。
      ラクダも人間も余っているじゃないか、片道の料金だってちゃんと書いてあるじゃない
     か、と抗議したが、まったく意に介する様子がない。もっともこちらの言葉はすべて日本
     語であり、向こうの言葉はすべて中国語であるから、通じていたのかと言われると怪しい
     のだが。
      中国では何度も経験していることだが、向こうは絶対に譲らない。筋が通ろうが通るま
     いが、恬として折れない。
      結局はこちらの負けで、往復の切符を買った。すぐにラクダの所に連れて行かれる。
      ラクダは後ろ脚から立つので、しっかり掴まっていないと前につんのめって落ちてしま
     う。現に持崎さんが落ちた。
      1人が5,6頭をつないで曳いて行く。結構揺れる。短パンを穿いていたので、ラクダ
     の背にかけてある麻袋で足が擦れて痛い。ラクダはやたらとけたたましく鳴く。
      月牙泉の近くが終点。ここで切符を見せる。はじめ、「ケップ、ケップ」と言われて解
     らなかったが、ようやく切符だと解る。
      月牙泉は柵で囲まれていて、興ざめ。
      早速、鳴沙山に登る。登り易い稜線のような所があるとみえ、大勢が同じ所を登ってい
     る。我々はそこを避けて、足跡のない、反対側の峰に登る。
      登り始めてすぐ、これが容易なものではないことが分かる。なにしろ全山砂であるから、
     足がかりもなければ掴まる所もない。
      靴をバッグに収め、バッグを背負い、膝に手を当てて一歩々々登る。それでも足が砂に
     取られて息が切れ、10歩ほど歩いては一休みしながら、ようやく稜線に出る。
      さすがに美しい。映画『敦煌』で主人公が逃避行を続けた場面そのままの砂丘が遥かか
     なたまで続いている。苦労して登ってよかった。
      稜線を辿り、存分に景色を堪能したあと、急斜面を一気に駆け下りる。といっても足が
     砂に潜るものだから上体ばかりが前にのめり、何度か転んだ。転ぶと数メートルは滑り落
     ちる。
      靴下が下がってきて、つま先の前に握りこぶしぐらいの膨らみができている。砂が入っ
     てボール状になったものだ。靴下を脱いでポケットに入れ、さらに下る。
      麓まで下りて見上げると、我々3人の下りた跡がはっきりとシュプールのように残って
     いる。筋が乱れている所は転んだ所だろう。
      ラクダは往復券を買ってあるのだが、元々その事情は前述のとおりなので、帰りは歩く。
      露店でラクダの首に掛ける鈴を売っている。銅製のごつい物で、子供の土産にはなるか
     なと思う。25元だと言うので高いと言って店を離れると、追いかけてきて、20元にす
     ると言う。2個買うから1個15元にしないかと言うと、2個で35元との返事。買わな
     い。
      そのやりとりを見ていた別の店の男が来て、15元でいいと言う。よしと思って買った
     が、手に取ってみるとさっきの物より粗末だし、鈴の舌が車のエンジンに使うプラグの廃
     品で、がっかり。ホテルで捨ててしまった。

      翌日は莫高窟を見学する。
      近畿日本ツーリストの社員で3週間ほど敦煌にいるという神原さんという女性がガイド
     としてついてくれることになる。
      途中、墓地だという所を見学する。墓地といっても墓標があるわけでもなければ囲いが
     あるわけでもない。果てしなく続く沙漠の中にポコポコと土が盛り上がっているが、それ
     が墓だそうだ。それらは並んでいるわけでもなく、固まっているわけでもない。適当に埋
     めているらしい。むろん最近のものではないが、いつごろのものなのかは、神原さんも分
     からないとのこと。
      莫高窟は入口で手荷物を預ける。1個5角。持っている物はすべて預けなければいけな
     い。カメラもだ。文化財保護のためと言われれば従うしかないが、強制的に預けさせてお
     いてカネを取るとは、いかにも中国らしいあこぎな話だ。
      最初に16窟、17窟に入る。16窟は10m四方ほどの大きな窟で、その羨道右側に、
     耳窟としての17窟がある。この17窟から五千点にのぼる文書が発見されたわけで、映
     画『敦煌』にも出てきた所だ。さすがに人気の窟とみえ、人がいっぱい。中はもうもうた
     る埃で、マスクかハンカチが欲しいが、ハンカチは預けたバッグの中。
      その他いろいろな窟に入るが、中国人ガイドが鍵を開けて入る所もあり、これでは個人
     で来たのでは入れないと思う。
      売店で次男への土産に剣を買う。あちこちの公園で太極拳などやっているが、その中に
     剣を持った人を見かけることがある。その剣だ。
      これについては余談がある。
      帰りに成田空港の税関で引っかかったのである。長くてスーツケースには入らないので
     手に持っていたところ、これは何ですかと訊かれた。太極拳用の剣ですと答えると開けて
     くださいと言われ、開けると今度は刀身に磁石をつけ、「鉄ですね」と言われた。
      そうですと答える前にけたたましいブザーが鳴り、別の係官が駆けてきた。二人でその
     剣を手に持って何か言っていたが、そのうちの一人が私に向かって「こちらに来てくださ
     い」と言った。大きな声だ。
      係官が剣を持ち、私はそのあとについて別室に行く。大勢の旅行者たちが一斉に好奇の
     目で私を追っているのが分かる。
      別室で、これは刃渡りが15センチ以上なので武器として扱われると言われた。刃はつ
     いていないと主張したが、研げば刃ができると、取りつく島がない。
      ここで放棄するか、後日取りに来るように、と言われる。そのときには15センチ以下
     に切断して渡す、とのこと。
      ぶつ切りにされた剣など何の意味もない。それでもおとなしく放棄するというのは癪に
     障るので、後日交通費をかけて取りに行った。同意書を書かされ、目の前でぶつぶつと切
     断された。
      持ち帰って、そのまま不燃ゴミとして処分したのは言うまでもない。
      このことは、いまだに釈然としない。
      まず、私とまったく同じ物を買って、やはりスーツケースとは別に手に持っていた伊藤
     さんは何の問題もなく税関をパスしていたのだ。
      中国帰りの日本人は星の数ほどいるわけで、その中には私と同じ剣を買ってくる人も大
     勢いるだろう。その人たちは誰もが手にもっているだろうし、その長い箱を見ただけで税
     関職員には中身が判るに違いない。
      伊藤さんの持っていたものと私の持っていたものは、同じ所で買って、当然箱も同じも
     のだ。
      つまり、税関はハナから中身が分かっていて、何人かに1人の割合で「見せしめ」にし
     ていたに違いない。そう思ってみれば、大音響のブザーといい、大声で私を連行する態度
     といい、「税関は厳しい」ということを大勢の前で見せる演出そのものである。
      そもそも、刃のついていないオモチャの剣と、ホームセンターで売っている刺身包丁と、
     どっちが殺傷能力があると思っているのか。

      話はそれたが、この日は昼食を挟んで一日中莫高窟を見学していた。見応えのある文化
     財で、おおいに満足した。
      ことわっておくが、私は中国の文化財には深甚なる敬意を抱いている。孔孟をはじめと
     する思想家の教えにも多くを学んでいる。
      唾棄すべきは、その文化財を利用して恥じも道理もなくカネ儲けをしようという人間の
     方なのだ。

      夕食のあと、ホテルの別棟でショーを観る。5元。
      踊りはつまらなかったが、胡弓で「さくらさくら」を演奏したのは良かった。以前ロン
     ドンの高校でブラスバンド部の「里の秋」を聴いたが、こういう名曲を外国で聴くと、し
     んみりする。
      このホテルではショーのほかにも、レストランで生演奏があり、「北国の春」など日本
     の曲を多くやる。ときどきリクエストはないかと訊きにくるが、うっかり注文すると1曲
     10元取られる。

      8月12日。旅行7日目ということになる。
      今日は蘭州への移動ということで空港に向かうが、途中で映画『敦煌』のオープンセッ
     トに寄る。鳴沙山を背にした沙漠の中に立派な城が建っている。
      入るのに3元。日本の映画会社が作ったものをそのまま残させて、料金を取って見物さ
     せるとはたいした商魂だ。
      オープンセットというから、ベニヤで作って裏を突っかえ棒で支えているのかと思った
     ら、ちゃんとレンガを積んで、そのまま住めるような家を並べた本格的な街づくりをして
     ある。
      ただよく見ると、屋根は1枚1枚の瓦ではなく、布かブリキのようなものを貼って色を
     塗ってあるようで、剥がれた所がめくれている。立派な城郭も中は木組みだけで、何もな
     い。
      揃えて立ててある槍は先が木でできている。花の咲いた木が生えているが、その花は発
     泡スチロールを2センチ角くらいに切ったものを針金に通したもの。これが画面ではちゃ
     んと花に見えるのだから驚いたものだ。
      ともあれ、全体としてはたいそうなセットで、レンガ積みもしっかりしている。城壁に
     も登れる。もっとも城壁に登るにはまた1元払わねばならぬ。なりふり構わぬ拝金主義に
     うんざりはするが、登ってみると、沙漠の向こうに鳴沙山の砂丘が連なり、なかなかの景
     色だ。
      残念ながら時間がないので慌ただしく見学して入口まで戻る。吉野さんがいて、集合時
     間を30分遅らせたという。なんでもツアーのオバチャンたちが売店で買い物をしたがっ
     ているので時間を延長したのだとか。
      こんなことなら最初からそうしてくれればもう少しゆっくり見られたし、馬にも乗れた
     ものを。今からまた奥に入って行ってもそれだけの時間はとれないので、売店に行ってみ
     る。
      敦煌案内のリーフレットがあった。日本なら当然タダで持ち帰れる。手に取ったのを見
     た男が2元だと声をかけてきた。そんな法外な、と思って元の場所に置き、歩き出すと1
     元だと言う。
      もともとタダのものを2ドルと言ったのか、1ドルのものを2ドルと言ったのか。まっ
     たく、プライドというものがないのか中国人は!

      空港に着き、建物の中に入ると通路のわきが便所になっており、ドアを開けたまま男が
     大便をしていた。ドアや仕切りのない便所が当たり前の中国とはいえ、折角あるドアをど
     うして閉めないのだろう。
      弁当が配られたので、建物の外で立ったまま食べる。パサパサのパンにソーセージが挟
     んであるのと、牛肉、ゆで卵、トマト、サラミ、それに炭酸入りのミネラルウォーター。
     絶句するほど不味いがそれは仕方がない。
      美味い不味いは多分に慣れによるところがあり、日本にだって外国人が食べたら不味い
     と思う食べ物はいくらでもある。
      それはいいのだが、飛行場というのに飛行機が1機も見えないというのがなんとも侘し
     い。敦煌空港は沙漠の中に滑走路を作り、それを柵で囲っただけの施設で、駐機場がない。
     そのため飛んできた飛行機が出て行くまでは次の飛行機が着陸できないのだという。
      目の前にある柵がそれで、その向こうに我々の荷物を積んだ荷車が置いてある。
      しばらくして、12時の飛行機が17時半になったので、もう一度ホテルに戻るという
     話。ホテルに戻って昼食。こんなことなら無理して不味い弁当を食べることもなかった。
      ロビーに出て、コーヒーを飲みたいと言うと、売店で缶コーヒーを買うようにと言われ
     る。ホテルで缶コーヒーという気にもなれないので、そのままロビーのソファーで寝る。
      3時過ぎ、ちょっと早いが敦煌市内で買い物をしてから空港に行くと言われた。オバチ
     ャンたちのリクエストらしい。
      市内でバスを停め、30分ほど自由行動ということになった。飛行機に乗るのでくれぐ
     れも時間を厳守するようにと念を押され、バスを降りる。
      さて集合時間になった。手に手に土産物の袋をぶら下げたオバチャンたちが帰ってくる。
      ところが1人足りない。あの沼津から参加している、木下さんというルンルンおばさん
     だ。(
中国西域見聞記(1)
      このおばさん、40代と思われるが、いつも赤、黄、黒の3色が横縞になったピチピチ
     のスパッツを穿いて、上はサイケデリックな柄の入った日替わりのタンクトップ。
      我々はそのスパッツの縞模様から、彼女のことを秘かに
     オカピと呼んでいた。
      夫君は年の割に髪の薄い痩身の公務員で、誰の話にも穏
     やかに相槌を打っている、見るからに善人という人であっ
     たが、オカピはその夫君をあからさまに見下しており、人
     前でさんざんにこき下ろす。何をするのも妻主導で、夫君
     はそれを恥じる様子を見せながらも抵抗できずに従ってい
     る。
      我々3人はその夫婦の悪口を肴に酒を飲んでいたが、誰
     言うともなく、あの2人にも夜の生活はあるんだろうなぁ、やっぱりオカピが上になって
     オコナうのだろうなぁ、などと言って笑っていた。昼間見た敦煌の壁画を思い出しながら、
     オカピは普通の体位じゃあ満足しないぜ、きっと壁画の飛天のようなポーズで挑むに違い
     ない、という話になり、その後はオカピのことを飛天と呼んだりした。
      その飛天が無類の買い物好きで、集合時間には必ず遅れる。それも5分や10分ではな
     い。他の客はその間バスの中で待たされるわけで、あまりの常習ぶりにツアーのオバチャ
     ンたちが、自分たちも毎回遅れているのを棚に上げて文句を言い出した。はじめは添乗員
     に当たっていたが、添乗員の吉野さんはまだ若い独身女性で、とても注意などできない。
     よしできたとしても聞く飛天ではない。
      するとオバチャンたちの憤懣は飛天の夫君に向けられた。
      「だいたい、あのご亭主が悪いのよ。ご亭主がビシッと言わないからあの女もいい気に
     なっているんだわ。男なんだから、しっかりしなくちゃ。体だってひょろっとして、弱々
     しいしさぁ。青瓢箪が!」
      夫君はとうとう青瓢箪と呼ばれるようになってしまった。
      そんないきさつのある飛天が、案の定バスに戻ってこないのである。
      青瓢箪はというと、妻を見失ったとかで先にバスに戻っていたが、飛天の方は10分経
     っても20分経っても戻らない。オバチャンたちが騒ぎ出した。
      置いて行こう、と言う人があり、たちまち同調する者が続出した。これは面白いことに
     なってきたぞと思っていると、それまで誰彼となくスイマセン、スイマセンと謝っていた
     青瓢箪がドアの所によろけて行き、探してきますから待ってください、と懇願した。
      「そんな時間はないわよ。行こう、行こう!」と誰か。
      「お願いします! お願いします!」と青瓢箪。
      すると運転手が、たぶん茶目っ気からであろうが、本当にバスを出してしまった。これ
     には吉野さんも慌てたようだったが、見るのも気の毒だったのは青瓢箪で、バスの床に土
     下座せんばかりに体を折り、待ってください、お願いします、と繰り返し絶叫した。
      バスは1街区を回って元に戻ったのだが、そこに飛天が浮かれた様子で立っていた。
      バスが停まり、飛天が満足感を全身で表しながら乗り込んできた。
      そのときである。誰もが目を疑ったことに、青瓢箪がいきなり飛天の横っ面を張り飛ば
     した。唇をわなわな震わせてはいたが、無言で、バシッという音だけが車内に響いた。
      むろん、それで黙っている飛天ではなく、その後は夫を罵る妻の大声が空港に着くまで
     続いていた。夫は一言も言い返せずにいたが、この事件を境にツアー客たちの評価が一変。
     夫君にビールを注ぐ者あり、持参の漬物を勧める者あり。オバチャンたちの中には並んで
     写真を撮る者まで現れた。

      さてそうして着いた空港だが、先述のような理由からか、飛行機の姿はない。出発時間
     の17時半を過ぎても空港職員の動きは見られず、18時を過ぎてから、今日は飛行機が
     来ないので蘭州への飛行機は明日になると告げられる。
      空港で朝から待っていたという欧米人の団体と一緒にバスでホテルに戻る。
      今日一日はいったい何だったのかと思うが、まあ仕方がない。
      今朝まで泊まっていたホテルは次の客が入っているということで、別の太陽能賓館とい
     うホテルに入る。
      スーツケースは今朝から空港預かりになっている。一度セキュリティチェックを済ませ
     ているので、空港外に持ち出せないのだという。チェック後に12時、17時半と欠航に
     なっているのだから、いったん客に返して、明日の便で改めてチェックすればいいではな
     いか。なんとも杓子定規というか知恵のない話だが、文句を言ったところで中国人が考え
     直す筈もないから、着替えや髭剃りは我慢するしかない。
      せめて、弁当を食べながら見た我々の荷物がそのまま屋外に置かれていないことを願う
     が、それもどうにもならない。

      翌朝は9時半にホテルを出て昨日乗る筈だった12時の飛行機に乗るという予定だった
     が、それがまた怪しくなり、ホテルで待機ということになる。
      12時の飛行機に乗れなければまた17時半になるのだろうが、昨日今日と計4機分の
     客が溜まっているわけで、ますます難しくなるのではないか。そう思いながら待機してい
     ると、さすがにうんざりしてくる。
      10時過ぎに連絡が入った。飛行機が10時40分に着くので、急いで空港に来るよう
     にとのことだ。
      何に使っているのか分からないようなオンボロバスが来て、慌ただしく乗り込む。席が
     足りず、通路に立ったままの人もかなりいる。
      10時半過ぎに空港に着き、やれやれと思ったが、飛行機は来ない。さすがに客たちの
     苛立ちは募ってきたようで、欧米からのツアー客たちが険しい顔で文句を言いだした。
      結局飛行機が来たのは11時40分で、それが12時に出るという。そんな無茶な。機
     体の点検はしないのか。そして飛行機は数分遅れで離陸した。いいのか悪いのかは判らぬ
     が、ほぼ時間どおり飛んだというのは、この旅行の中では稀有のことだ。
      双発のプロペラ機で、荒漠たる大地の上を飛ぶ。

      蘭州に着くと、バスの運転手がカンカンになって怒っている。昨日来る筈なのに今まで
     待たせたということらしい。不機嫌も手伝ってか、ビュンビュン飛ばす。
      当初の予定では昨日蘭州に泊まって、今日の昼過ぎに西安に向かうことになっていた。
     しかし、その飛行機の時間は既に過ぎていて、次の便はない。今晩は蘭州泊りになるとの
     こと。西安観光の日程が短縮されるが、どうこう言っても始まらない。
      金城賓館という豪華なホテルに着いた。今晩は部屋が空いてないという。本来なら昨日
     泊まる予定だったのだから、それは仕方がない。王さんと現地ガイドがあちこち電話して
     いたようだが、他のホテルもダメらしい。急遽、宿泊を兼ねて鉄道を使うことになり、夜
     出発ということになった。
      せめてそれまでの時間を使おうと、駆け足で白頭山公園、中山大橋などを回ったあと駅
     に行く。中国旅行社のなんとかいう人が切符の手配を済ませて待っていて、そのあとにつ
     いてホームへ。やがて列車が入ってくる。
      ところが列車の乗務員に席がないと言われたらしく、王さんと旅行社の人が乗務員とさ
     かんにやり合っている。ツアー客14名と添乗員、全線随行の計16人分の寝台券を見せ
     て、確かに予約はしてあると主張しているようだ。
      これは心配ない。私はこれまで何度か同じ経験をしている。席はあるのだ。要は乗務員
     が賄賂欲しさに「ない、ない」を連発しているだけのこと。切符を見せようが手配書を見
     せようが関係ない。添乗員かガイドが金品を渡すまでは乗せないのだ。
      案の定、王さんが小さく畳んだ紙幣を乗務員に握らせた。乗務員はもったいをつけて一
     度車内に入ったが、すぐ出てきて何か言った。8人分だけなんとかしたので、あとの6人
     は食堂車で席の空くのを待てということらしい。
      それだって怪しいものだ。10時間も食堂車にいられたら向こうだって困る。ころあい
     を見て席が空いたと言ってくるのだろう。無論、そこでまたタバコ銭が必要だ。
      6人と吉野さんの7人が食堂車で喋っていると、思ったとおり席が取れた。3段ベッド
     ではあるが、6人分まとまって空いている。そんなにうまい具合に先客が下車したとは思
     えないから、最初から空いていたのは明らかである。

      朝、西安に着き、ざっと観光。変更に次ぐ変更で行程表はもはや無きに等しい状態にな
     っている。
      北京への移動も6人が先に向かい、我々を含む8人は西門や碑林で時間をつぶし、夜7
     時過ぎの飛行機であとを追う。
      北京で新万寿賓館というホテルで6人と合流。このホテルはこれまで見た中国のどのホ
     テルよりも豪華で、ロビーに「熱烈歓迎日本国総理大臣海部俊樹」と垂れ幕が掛かってい
     る。
      最後の晩でもあり、部屋に王さんを呼んでビールを飲む。王さんは誠実な人で、私が好
     感をもった数少ない中国人の一人だ。
      遅くまで飲んでいたので、山内さんの部屋に帰ったときは山内さんはもう寝ていたらし
     く、ノックをしても出てこない。仕方なく、伊藤さんと持崎さんの部屋に戻って床で寝る。

      最終日。北京空港。
      預託荷物をエックス線に通したとき、例の剣は通さなくていいと言われ、そのまま手に
     持ってチェックインカウンターに向かった。そこで検査済みのシールが貼られていないの
     で預かれないと言われる。もう一度エックス線の所に行き、そのことを言うと、なんと検
     査もせずにそのままペタンとシールを貼ってよこした。いい加減なものだ。
      搭乗待合室にいると、「全日空ですが、東京行きのお客様はいらっしゃいませんか」と
     男の人が呼びに来た。
      メンバーの数人が手を挙げると、飛行機が出ますので急いでくださいとのこと。
      吉野さんからは16時40分発なので30分前には手荷物検査を受けてくださいと言わ
     れていた。まだ16時だ。
      実は16時40分と言われたとき、あれ?と思った。予定表には16時10分となって
     いた筈である。しかし今までさんざん飛行機や列車の遅れを経験してきたので、それに慣
     れてしまっていたようで、軽く応じてしまった。
      だからまだ時間があると思って伊藤さんはトイレに行っていた。慌てて持崎さんに荷物
     番を頼み、トイレに走る。ところが姿が見えない。別のトイレに走り、またもとのトイレ
     に戻り、大声で「伊藤さ~ん!」と叫ぶ。大便用の個室から「は~い」という、のんびり
     した声が聞こえた。
      「時間だって。急いで!」
      「えっ? 嘘でしょう?」
      「もう飛ぶんだってさ。急いで!」
      伊藤さんは途中で切り上げたのか、慌ただしく出てきた。
      3人で手荷物検査に走る。
      そこでエックス線を通った私の手荷物が係員に取り上げられた。係員が「ナイフ」と一
     言。荷物は兵馬俑博物館で買った30cmほどの兵士俑で、割れ物であるため厳重に梱包
     がしてあった。そのビニール紐をナイフで切れということかと思ったが、むろんナイフな
     ど持っていないので、手でほどこうと苦労していると、係員はポケットからライターを出
     し、紐を焼き切ってしまった。
      心配した吉野さんが戻ってきたが、全日空の社員が早くしてくれと言って吉野さんを先
     に行かせる。その社員が係員に日本語で「何ですか?」と訊くと、係員はまた自信たっぷ
     りの態度で「ナイフ」と言い、中を調べる。
      もちろんそんな物が出てくる筈はない。別の係員も来て箱をひっくり返して調べたあと、
     横柄に「オーケー」と言った。
      私は収まらず、「ナイフはあったのか!」と語気荒く日本語で言った。係員はそっぽを
     向いたままで、詫びる気配はさらにない。
      私はもう一度「ナイフは?」と言ったが、全日空の人が「すいませんが急いでください」
     と繰り返すので、腹立たしいがばらばらになった箱と梱包材を抱えて搭乗口に走った。
      スチュワーデスがにこやかに迎えてくれたが、私が乗り込んだとたんにドアを閉め、席
     につくかつかないうちに機が動き出した。定刻より7分の遅れだ。
      さすが全日空、このくらいの遅れでも大騒ぎ。中国とは違って時間どおりに飛ぼうと努
     力をするのだ。

      何を望んでもダメ。何を怒ってもダメ。何を言ってもダメ。
      それなら早々と諦めて、なりゆきに任せるのが中国旅行を楽しむ最大のコツである。
中国西域見聞記(2) 九州往復ケチケチ旅行(1)
     
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