第9回 芦屋 ~ 赤穂(3) 2011.5.13 ~ 21 ( 8泊9日 )


2011年5月16日(月)
 朝早く、浦戸大橋を渡る。片側1車線という狭い橋なので、海面から50メートルという高さはかなり怖い。渡り終って料金所がないのに気づいた。前に渡ったときは有料だった筈で、今回もこればかりは仕方がないと思っていた。
 いつの間にか無料になっていたらしい。それなら渡橋の怖さをもう一度味わってみようと、橋を戻る。そしてまた橋を渡って浦戸湾を越える。
 ここから左折すれば数百メートルで桂浜だ。だが、右折した。
 桂浜は4、5回来ており、この先何度でも来たいという思いはある。坂本龍馬記念館だって、2度や3度では見切れない。ではあるが、今回はちょっと気が進まない。
 去年NHKの大河ドラマで『龍馬伝』というのをやり、いま桂浜観光は大変なブームになっている。桂浜だけではない。同じNHKのスペシャルドラマとかで『坂の上の雲』というのがあり、併せて坂本龍馬は今、日本中を席捲している。あっちにもこっちにも、龍馬が入った風呂だとか、龍馬が腰かけた石だとかいうのがあり、ちゃんと観光客が来ているらしい。
 見ていると、殆どの人は龍馬についてちゃんと理解しているわけではなく、ドラマで龍馬に扮した俳優(歌手?)に酔っているだけなのだが、ともあれ「龍馬」と名付けさえすれば「龍馬饅頭」だって「龍馬線香」だって売れるのが今の世相である。
 今回の旅でも四国に入ったとたんにあちこちで「龍馬」という文字の氾濫に接した。龍馬とおりょうの顔出し看板もあったし、プラスチック製も含めて龍馬像はいやになるほど見た。
 無論、私とて龍馬が嫌いなわけではない。立派な人だったと思うし、31年間で私の人生の何回分も生きた人だったとも思う。
 ただ、テレビで龍馬関連の観光地の様子を見ると、「龍馬、龍馬」と押しかけている人たちの姿が、何年か前に韓国の美男俳優を追いかけていた日本のオバタリアンたちの姿とだぶってきて、どうもそういう混雑の中に身を置きたくないと思ってしまうのだ。
 もう少しブームが冷めたら、また来よう。

 鳥取のラッキョウ、下仁田のネギ、淡路島の玉葱などと並んで「土佐の生姜」というのがあることは最近知った。
 ならば四国旅行の土産は生姜にしようか、というわけで土佐市高岡町の「とくひろ屋」さんを訪ねる。これまで付き合いがあったというわけではないが、インターネットで生姜を扱っている所を検索したら最初に出てきたのが「とくひろ屋」だった。他にも2、3の業者が見つかったが、なぜか他の業者には気が向かなかった。
 探し当てたが留守で、近所の人に聞いたところ青果市場だろうという。それをまた探し当て、市場の前で作業をしていた美人の母娘に「とくひろ屋さんが来ていませんか」と訊く。なんとその人が「とくひろ屋」の奥さんだった。
 来意を告げると、ちょうど生姜を扱っていたところで、あれこれ説明してくれた。それなのに、料理ということにまったく無縁の私にはその説明がチンプンカンプンで理解できない。
 娘さんが気を利かせて市場の奥にいたお父さんを呼んできてくれた。明るくて誠実そうな男前のご主人で、生姜の量や値段について説明してくれた。値段には変動があるが、4キロで4千円から4千5百円だとのこと。
 千葉の人間がどうやって「とくひろ屋」を知ったのかと訊かれ、ネット検索でと答えると、うちのホームページ( http://www.tokuhiroya-56.jp )はなかなかヒットしないのに、と笑っていた。
 そんなこんなのやりとりの間、娘さんは終始ニコニコしながら話を聞いている。中学生か高校生か。いまどきの子にしては実に素直で感じの良い娘さんだ。
 8キロを宅急便で送ってくれるよう頼み、支払いをしようとすると、生姜は日によって値段が変わるから後払いにしてもらいたい、4キロで4千5百円を超えることはないからそのつもりでいてくれ、とのこと。
 出ようとするとご主人が追ってきて、高知県の特産である小夏を3個くれた。眠気覚ましとしてありがたい。
 旅の終わりに合わせて送ってくれた生姜は8キロ8千円で予想最低値であったが、品質といい大きさといい、妻もびっくりした立派なものであった。妻はこれもご近所や友人に配り、さらに漬物にしたり砂糖菓子にしたり、あれこれ楽しんでいた。
 
 伊藤さん手作りの酢漬け

 先述(第9回の2)の伊藤さんにも分けたが、驚いたことに伊藤さんはそれを自分で包丁を振るって何種類かの酢漬けにし、おまけにそれを写真に撮ってメールで送ってくれた。瓶が並んでいるだけの写真で、どこがどう違うのか判らないが、妻はその写真を見て感嘆しきり。おそらく自分の亭主が何もできないことに、心中ため息をついていたのであろう。
 
 30分ほどで第36番札所、青龍寺に着く。空海が唐で修行した西安の青龍寺を模して建てられてという話を聞いていたのでちょっと興味があった。横綱朝青龍がこの近くの明徳義塾高校在学中にトレーニングで本堂へ続く170段の石段を駆け登っていたという話も聞いている。だからともあれ行ってみようというくらいの軽い気持であった。
 駐車場が未舗装なのは何も問題ないが、そこに駐車料金100円と手書きされた紙が貼ってあったのには、なんだかせこい寺だなという印象をもってしまった。
 中国の青龍寺を模したという様子は全くない。10数人のお遍路さんがワイワイ言いながら互いに写真を撮り合ったりしていたが、白い遍路衣装を着ていなければ、普通のバス旅行の観光客となんら変わらない。さっきの駐車場に遍路サポート業者のマイクロバスが停まっていたが、おそらくその客であろう。
 青龍寺からは横浪半島を縦断する県道47号線を西進。この道路、高所を走っており、景色もいいのだが、横浪黒潮ラインという名が気に入らない。まあ、日本中の「ライン」に一々腹を立てていたら旅行などできないから、努めて気にしないようにしてはいるが。
 土佐久礼からは国道56号線で、これは「中村街道」と呼ばれている。この「街道」というのはいい。
 その中村街道の七子峠で、対向車がフラッシングをしてきた。こんな山道で取り締まりなどしているわけもないし、こちらのライトがつけっ放しになっていることもないし・・・といぶかっていたら、カーブの手前に警察官の姿が見えた。なにやら計器らしいものを睨んでいる。そしてカーブを曲がると・・・なんと数十人の警察官がいて、何台もの車が捕まっている。
 私はといえば、今回の旅行では意識して制限速度を順守していた。そのために後ろの車に煽られたり、わざとらしく追い越しをかけられたりもしていたが、年金生活で罰金を払うのはいやなので、委細構わずのんびりと走っていた。
 自分が捕まったときは憂鬱の極みだが、他人が捕まっているのを見るのは、まんざら悪い気分ではない。

 入野松原を過ぎて間もなく、中村で四万十川にぶつかる。四国には何度も来ているのに、四万十川というのは改めて見たことがない。35,6年前に川に沿う道を車で走ったが、広くて緩やかな川だという印象をもったぐらいで、特に思い入れはない。
 その後、最後の清流とか三大清流とか言われ、テレビや旅行雑誌で頻繁に取り上げられるようになった。名水百選、秘境百選といった“名誉”も付加され、日本で最も有名な川の一つになっている。
 ならば今回は意識して見てみようかという気になり、左岸を辿って走ってみる。県道340号線がそれだが、地図では川べりを走っているように見えるその道は、川ぎりぎりの崖の上を走っており、川は殆ど見えない。というより、道が狭くてわき見運転などしていられない。
 やっと佐田の沈下橋に出た。橋のたもとに車を停めて、ともあれ渡ってみる。思っていたより広く、水面からもかなりの高さがある。なによりコンクリート製でがっしりしており、車も通れる。歩きながら水面を見下ろすと、水はそれほどきれいではなく、それでもうなぎ採りの筒のようなものが沈めてあるのが見える。
 岸辺に戻って橋の下に降りていると観光バスがやってきた。30人ほどの中年男女が降りてきて、ガイドについて水辺まで歩き、記念写真を撮るとそのままバスに戻った。バスが着いてから出るまで、6、7分ではなかったかと思う。
 中村に戻り、そこから国道321号線で足摺岬に向かう。道路のあちこちに「ようこそ足摺サニーロードへ」というような看板が立っている。サニーロード!
 なんで日本の道路にカタカナの名前をつけるんだっ!
 大岐の浜は広くて気持がいい。トベラの花がちょうど咲き始めで、甘い香りを放っているのもいい。この浜はインターネットでも紹介されているが、その紹介文は次のとおり。
「アカウミガメの産卵場所であり、天然のハマグリが日本でも数少ない場所です」
 どういう意味か、判る人がいるだろうか。

 足摺岬は土産物屋がずらりと並んでおり、おばさん達が自分の店の駐車場に誘導しようと道の真ん中まで出て手招きをしている。車を停めるだけでカネなど払ってなるものかと、路上駐車。ジョン万次郎像の下を足早に展望台へ。
 お遍路さんの団体がいて、旗を持ったガイドがビューポイントを説明したり客のシャッターを切ったりしている。観光を兼ねてバスで回っているのであろう。
 どうも前に来たときの記憶と重ならず、感動も湧かず、早々に車に戻る。
 5時半過ぎ、「道の駅・めじかの里土佐清水」という所に着く。
 めじかというのは土地の言葉でソーダガツオ(宗田鰹)のことだソーダ。土佐清水はソーダガツオの水揚げが全国1位であり、それから作る鰹節は全国シェアの80%だという。そういえば昔、この近くでソーダガツオ釣りをしたことがあるが、そのときは3、4時間ねばって1匹しか釣れなかった。
 道の駅は店が既に閉まっており、停まっている車は高知ナンバー、それも軽ばかり。たぶん従業員のものであろう。ということは、夜通し停めているのは私だけということになり、それはある意味危険でもある。ありがたくないなと思っていると、そこに富山ナンバーのキャラバンが来た。
 富山からですか? ここで寝るつもりですか? と声をかけると、そうだとの返事。
 それは良かった、私もそうしようと思っていたところで同好者がいれば心強い、と言うと、向こうも車が少ないのでどうしようかとためらっていたということで、話が合う。
 旦那さんが定年になったので夫婦で1週間の旅に出たということ。とくひろ屋さんでもらった小夏を2つあげると、柿の種とココナッツサブレをくれた。
 お遍路さん休憩所と書かれた東屋があったので、そこでカップラーメンを作る。キャラバンの中では夫婦でなにやら料理をしている様子。どこに行っても、カップラーメンだけの旅人というのは見かけない。
 むろん私とてカップラーメンが最高だと思っているわけではないが、なにしろ私にできる唯一の料理がそれなのだから仕方がない。いや、唯一ということはなく、たまには鍋で煮るインスタントラーメンを作ることもある。ただ、旅先ではそこまで手の込んだことはできないので、どうしても湯を注ぐだけのカップラーメンということになる。
道の駅・めじかの里土佐清水にあるお遍路さん休憩所

 以前は鍋に湯を沸かしてレトルトご飯とレトルトカレーを温めたりもしたのだが、最近は年のせいかそういう手のかかる料理は面倒になってきた。
 というわけで、やはりカップラーメンが頼りの夕飯が続く。
 さてこのカップラーメンだが、近頃はどうも能書きたらたらの高価なものが幅をきかせている。不思議なことにどれも美味くない。スーパーで98円とかいう値段で売られている平凡なラーメンの方がはるかに美味い。
 だがそれも最近は困ったもので、具は勿論、液体スープだの粉末スープだのが入っており、ご丁寧にそれらが別々の小袋に分けられている。あまつさえ、小袋に「お召し上がりの直前に入れてください」などと書かれているものもあり、こうなるともう、私の手には負えない。
 だから私は委細構わず全部を麺の上にぶちまけて、お湯を注いで蓋をしてしまう。それで十分に美味い。ところが何度か、口に運んだ麺の中に未開封の小さなスパイスの袋が入っていたことがあり、その腹立たしさは筆舌に尽くしがたい。
 初めて「即席ラーメン」なるものを食べたのは高校時代であったが、仲間数人で洗面器に麺とお湯を入れて週刊誌で蓋をし、じっと煮えるのを待ったものである。麺そのものに最初からスープが練り込んであり、わざわざ粉を入れるというような作業は必要ない。具などというものは考えもしなかった。
 そのやり方こそインスタントラーメンの王道であり、そのあるべき姿を今も続けているのが「日清のチキンラーメン」であることは、ツウなら知っていよう。
 無論、私は今回もそのチキンラーメンを持ってきており、ガスコンロで沸かしたお湯を注ぐだけで料理を終えた。あとは3分間、コンビーフを肴にビールを飲んでいればよい。
 これを幸せといわずして何というか。

5月17日(火)
 静かでよく眠れたが、4時過ぎに目が覚めてしまい、トイレで顔を洗っていると富山の男性が来て、もう出発するという。まだ真っ暗だ。
 5時過ぎ、ようやく辺りが明るくなってきたので、私も出発する。
 路傍に小さな立て札があり、「見残し海岸」と書かれていたように思えたので、Uターンして確認すると、やはりそうだった。こんな目立たない表示だから見残してしまうのではないかと、心中文句を言いながら矢印の方角に。
 見残し海岸というのは、弘法大師があまりの不便さから見残したという海岸で、美しい入江に奇岩が立ち並び、絶景である由だが、私は行ったことがない。対岸の竜串から船で行くのが普通らしいが、千尋岬から尾根を歩けば陸路でも行けないことはないと聞いていた。標識はその道を指しているに違いない。
 道はどんどん狭くなり、海岸近くでよく見かけるサトウキビに似た丈の高い草が車をこする。間違ったのかなと怪しみ始めたとき、「見残し展望台1km」という、これも目立たない立て札が見つかった。国道からは3キロちょっと。
 狭いとはいえ道の真ん中に駐車するわけにもいかないので、そのサトウキビみたいな草を押し倒して無理やり車を停め、歩きだす。
 道幅は狭く、所によっては1メートルもない。左右が深く落ち込んでいるということは尾根を歩いているのだろう。落ち葉が厚く積もっており、ときどき足を取られる。何年も人が通っていないのではないか。
 1キロはとうに過ぎているのに、展望台らしいものはないし、海も見えない。
 ときどき、積もった落ち葉が乱暴に掻き分けられたような跡がある。といって人の足跡ではない。ハッと思った。テレビで見た、イノシシが鼻で落ち葉を掻き分けた跡というのにそっくりなのだ。こんな狭い道でイノシシに遭遇したら逃げようがない。
 ぞっとして引き返すことにする。改めて見ると、あちこちに同じような跡がある。きっと弘法大師も同じように引き返したのであろう。車に戻るとどっと汗が噴き出す。

 竜串海岸は、奇岩奇石が波に洗われる天然の遊園地だ。
 造化の神の傑作の一つで、人智をもってしてはこのようなデザインを生み出すことは無理だろうと思う。あえて遊園地と書いたが、子供たちは岩と砂、波と風を相手に何時間でも遊べるであろうし、大人たちは黙って石に腰かけているだけで、これまた何時間でも過ごせるであろう。
 なんでも砂岩と泥岩の層が重なり合っており、それが風波の浸蝕を受けて作りだされた地形だそうで、漣痕、生痕(せいこん)の宝庫でもあるという。これまた説明板からの受け売りであり、白状すると、生痕という言葉は初めて聞いた。生物の足跡や生物が作った穴がそのまま化石になったもの、あるいは捕食、排泄などの痕跡をいうのだそうだ。
 ここ竜串にも沢山あって、表面に無数の窪みができているユーモラスな岩もその一つらしい。その窪みの一つ一つに、たぶん子供たちがいたずらしたのであろう、こぶし大の丸石が丁寧に詰め込まれている。辺りに人がいないのを確認して私も1個入れた。
 岩礁をぐるっと回り終ったところに桜浜という砂浜があり、大きな浜ウドが群生している。
 風景に溶け込んだ木製の説明板があり、ここが紀貫之の「土佐日記」に出てくる所だと書かれている。
「桜の浜というところあり真砂にはあらで美しき貝殻のみの浜なり花の名にある桜貝・・・」と日記の一部が紹介されてもいる。
「土佐日記」なら昔読んだことがある。それなのに、上記の文章はおろか、紀貫之がそういう場所を通ったということすらまったく記憶にない。
 歳月が記憶を奪ったのか、そもそも読み方そのものが浅かったのか。

 歳月が記憶を奪った・・といえば、宿毛港も。
 昔、大分の佐伯からフェリーで着いた場所であり、懐かしい気分もあって行ってみたが、港のどこを見ても、見覚えはまったくない。建物のいくつかが変わっていることはあると思うのだが、それでも港全体の雰囲気ぐらいは記憶のかけらと重なりそうなものなのに。
 やはり老人性ナントカがかなり進んでいると思わざるを得ない。まあ仕方がない、昼飯でも買おうか、と思って松田川沿いの国道56号でコンビニを探していると、田圃の中に水車が見えた。
 水車というのは、いつどこで見ても心が躍る。
 農協の駐車場に女性職員がいたので車を停めさせてもらい、ついでになぜここに水車があるのかを訊く。たいした答えを期待していたわけではないが、意外なくらい詳しい説明が返ってきた。
 土佐くろしお鉄道宿毛線の開業を記念して、江戸時代の用水路の様子を再現したのだという。その用水路は土佐藩家老の野中兼山が整備したものだと、観光バスのガイド顔負けの解説。最後に、水路に沿って植えられている数百株の紫陽花は農協の女性たちが植えたものだと説明があった。なるほど、それで詳しいのか。
 それにしても植えたのはもう十数年前のこと。若いこの職員はまだ小学生か中学生だったころのことであろうに。きっと農協で語り継がれているのだろう。
 あとで判ったのだが、「鯉と水車に出逢える街をつくる会」というのがあって、今も水車を管理しているらしい。つまり宿毛の人たちがかなり積極的に関わっている水車なのだ。
 水路沿いを歩いてみる。大小6基の水車があり、一番大きなものには「贈・豊ノ島関」の木札がかかっている。宿毛市出身の人気力士豊ノ島が贈ったものなのだろう。水を撹拌するので水中の溶存酸素は十分であろうから、鯉には良い環境であるに違いない。
 もっともっと、全国に水車が増えればいいのにと思う。
 車に戻ると、ドアはロックされているのに、右の窓が全開になっていた。さっき農協の職員に声をかけたときに開けたままになっていたのだ。やはり老人性ナントカは疑いない。

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