第9回 芦屋 ~ 赤穂(2) 2011.5.13 ~ 21 (8泊9日)


2011年5月15日(日)その2
 国道55号線に、「義経騎馬像」という大きな看板が立っていた。
 源義経が頂上に源氏の白旗を立てて軍の士気を鼓舞したというところから「旗山」と名付けられた小山があり、その山頂に日本一の義経騎馬像が建っているという。このことは聞いていたから、ためらわず右折する。
 ところがここもまた、その先には何の案内表示もなく、さんざん探し回ったあげく、やっとその旗山に着く。古墳かと思うほどの小さな山で、山頂に内藤神社というのがある。蜘蛛の巣だらけのコンクリートの社で、あまり大切にされている感じはないが、石段の下には義経とこの地の縁を記した立派な石碑が建ち、その横に義経と弁慶、さらに静御前が並んだ顔出し看板がある。なかなかよく描けている絵なので近寄って見ると、絵の下に「製作・小松島高等学校創画部」とある。高校生がこういうことに精を出すというのは良いことだ。
 お目当ての騎馬像を見るため石段を登る。頂上には白旗がたなびいており、威風堂々たる像が建っている。鎧の造作も細かく、義経の表情も精悍で見飽きない。
 どうやら小松島の人々は、屋島の合戦に先立ち義経がこの小松島に上陸したということが自慢らしい。義経ドリームロードというのがあるし、国道にも源氏橋、義経橋というのがある。表示がなければそこに橋があることなどまったく気づかない小さな橋で、おそらく住民たちが源氏とか義経とかいう名をどこかで使いたくて、無理やり橋につけたというところであろう。
 こういう愛郷心は悪くない。

 北の脇海水浴場という表示につられて路地に入り込む。道がたちまち狭くなり、両サイドのミラーを倒して進むが、それでもぎりぎり。両側の民家に、軽とはいえ車が停まっているのが不思議だ。この狭い道からどうやって直角に曲がって敷地に入れるのだろう。
 この日本一周を始めて以来、「なるべく海沿いの道」というフレーズにこだわっていつもこういう迷路のような所に入り込んでは苦労している。バックもできない狭い道で、やっと抜けたときにはとんでもない方角に進んでいることも多い。
 こんなことで時間を浪費しているなら、もっと楽な道を進んで、その時間だけ有名観光地でも見て回った方が収穫は多いのにと思う。
 海に一番近い道を走ったという自己満足、いや実際にはそういう道ばかり走っているわけではないので、「海に一番近い道をたどって日本一周をした」と人に言いたいだけのアリバイ作りと言った方が合っている。
 これは、「旅の本質から離れた愚かなやり方」ではないか。そう思いながら、いつも同じ後悔をしている。

 国道55号線を南下し、福井ダムを過ぎたころから、お遍路さんの姿を見かけるようになる。
 多くは一人で足早に。ときどき夫婦らしい二人連れもあるが、横に並んでいることはなく、数メートル離れて黙々と歩いている。誰もが景色を楽しんだり会話を楽しんだりすることなく、何か思いつめたように、うつむき加減にせっせと歩いている。
 四国八十八か所霊場巡りというのはなんとなくやってみたいという気があるが、その目指すところは私には分らない。各寺々を見て歩くのはたいへん興味深いことであるが、遍路というとどうも作法というのがあるらしく、それが私をためらわせている。
 その一つ。寺々では、自分がここに来たということを弘法大師に知らせるために名前を書いた札を納めるのだという。まあ、私など大師様に知ってもらうほどの存在でもないから納札は勘弁してもらうとして、読経がどうにもならない。
 般若心経を唱えるのが普通らしいが、私は般若心経を知らない。書いてあるものを読めばいいというが、あれはサンスクリット語を中国語に翻訳したもので、日本ではそれをそのまま音読している。だから中国語を知らない私には意味が判らない。判らないものを読んだってありがた味がないし、心がこもらない。それに宗派によって音の上げ下げなどが違うらしいが、私はちゃんとした仏教徒ではないし、ましてや宗派に属してなぞいないから、誰を真似していいのかも判らない。
 写経も願い下げだ。意味の判らない言葉をただ書き写すのは眠くなるだけだろう。
 するとあとは納経帳に朱印を貰うだけだが、それではスタンプラリーと変わらない。それでいいのだろうか。
 車での移動でもクーラーをつけていなければ汗をかくこの時期、リュックを背負って排気ガスの中を歩いている人はおそらく汗まみれだろう。いったい、何のために、何を考えながら歩いているのだろうか。仲間と談笑するわけでもなし、夜の宴会があるわけでもなし、何が彼らのモチベーションを維持させているのだろうか。
 なにか不思議な人種にも見えるお遍路さんたちを見ていると、車で観光しながら回っている自分がかなり低い存在に思えてきて、忸怩たる思いに襲われる。とくに海沿いの道で目の覚めるような若い美人遍路を見て、思わず振り返ったりしたときには、我ながら罰当たりなことだと秘かに恥入ったりしたものである。

 県道25号線にそれて田井の浜を目指す。この道はよく覚えていて懐かしいが、覚えている理由が良くない。難路での苦労がその理由だ。
 車の幅ぎりぎりの急坂で、左下はかなりの高さの崖なのにガードレールもない。ヘアピンカーブでは首を伸ばしてもボンネットの先に地面が見えない。ときどき車を止め、そっと助手席に移動して窓から路肩を確認する。もし対向車があったら何百メートルもバックしなければならないだろうが、そうなったら命がけだ。
 田井の浜でやっと海の高さに下りたと思ったらまた登り坂になり、苦労して走っていると道がやや開け、「えびす洞」の看板が。
 車を停めて遊歩道を下りる。岩山に開いた直径30メートルの浸蝕洞は圧巻で、洞内には岩ツバメが乱舞している。穴を通して磯釣りの人が見える。海に向かって立ち小便をしていた。
 息を切らせながら来た道を車まで戻ると、その先に「恋人岬」というのがある。
 またしても「恋人岬」か。
 旅に出る恋人の安全を願って汽船に手を振った高台だと説明書きがあるが、そんな場所は日本中にごまんとあるし、なにも手を振ったのは恋人ばかりではあるまい。親子、兄弟、師弟だって手を振ったに違いない。「親子岬」といったのでは観光客を集められないから恋人という言葉を使っているだけのことである。
 私がこれまでに旅の途中で偶然出くわした恋人岬という名の“名所”は、いったい何か所になるだろうか。二番煎じ、三番煎じを恥とも思わぬ命名にはうんざりする。
 その上、そういう所には決まって針金や金網が張られており、無数のハンカチが結ばれていたり、南京錠がかかっていたりする。恋人同士が結ばれるとか離れないとかいう意味らしい。誰が考えたか知らないが、そう言われると我も我もと駆けつける馬鹿がいるということだし、その近くでハンカチや鍵を売る輩がいたりするというのが情けない。
 近頃では、「誓いの展望台」などといって屋上フェンスの金網に南京錠をかけさせるホテルまで現れ、それが結構客寄せになっているらしい。金になれば何でもやる商魂と、何でも右へならえで見識のない愚か者が作りだす“名所”は今後も増えるだろう。
 自分が誰かの思いつきに踊らされていることが判らない者たちは次第にエスカレートし、本来は神聖な場所である所にまでそういう“風習”を持ち込む。
 例えば、私の家から車で1時間ほどの所にある三石山という聖山もそうだ。
 山頂に観音堂があり、開運、海運、縁結びと結構な御利益があるらしく、参拝客も多い。
 観音堂の先にある巨石の割れ目をすり抜けて行くと、見晴らしの良い岩峰があり、役行者の像を祀った祠がある。
 足場は悪いが天然の展望台になっており、転落防止のためであろう、一部に太い針金が張ってある。
 そう、もうお察しのとおり、その針金に無数のハンカチが結ばれているのである。縁結びの御利益を願って、などと俗物どもが結んでゆくのに違いない。
 風雨にさらされ、色も定かならぬぼろぼろの物もあるが、真新しい物もある。今まさに恋愛中のカップルがイチャイチャしながら結んでいったものであろう。いまいましいことだ。
 私はそういう新しい物を選んで2、3枚ほどいて捨ててやった。あとのことは知らない。

 海亀の産卵で有名な大浜海岸を過ぎて国道55号線に出て間もなく、前方右側から猿が2匹飛び出してきた。対向車の前を横切ったが、私との距離は十分にあり、危険も感じなかったので減速もしなかった。対向車もそのまま走ってきて、まさに私とすれ違う寸前、もう1匹が道路に飛び込んだのが見えた。対向車と私とはその瞬間に並んだと思う。
「バーン」という大音響が車内に響き、私は反射的にルームミラーを見た。対向車が走り去るのが見えたが、猿らしいものは見えない。とにかく急いで路肩に停車し、車の下を覗き込んだ。血まみれの猿が引っ掛かっているものと思って穏やかではなかったが、それらしいものは何も見えない。車体をぐるりと見て回り、さらに車の下に頭を突っ込んで調べたが、事故の痕跡はまったくない。
 そのときになって、大きな音はしたものの、何かがぶつかった衝撃はなかったことに気づいた。さては対向車にぶつかったのかと、猿には申し訳ないが、いくらか気が楽になった。そこで数十メートル歩いて現場と思われる辺りに行ってみたが、そこにも血はついていなかった。猿の死骸もない。
 そんな筈はないと思って、かなり広範囲にわたって探したが、やはり何もなかった。どういうことか判らぬが、もしかしたら、対向車にぶつかって出血する間もなく道路わきの草むらにでも飛ばされてしまったのかも知れない。いずれにせよ無事だったわけはなく、ぶつかったのが私ではないという確証もない。
 あれだけの音がしたのだから、もし私だったら車のボディがへこんでいる筈だ、それもないのだから、あれはやっぱり対向車にぶつかったのだ、と自分に言い聞かせるが、今でも完全に納得しているわけではない。
 
 大里松原は初めてだが、全長4キロにも及ぶ防砂林は、ゆるく弧を描いて続く砂浜と相俟ってなかなかの景観だ。松林の下に所どころ金鳳花が群生しているのにも目を奪われる。
 白砂青松百選にも選ばれている由だが、このナントカ百選というのは観光地の権威づけに無理やりつけられたタグのようなもので、あまり感心しない。101番目であろうと102番目であろうと、そこにはそこの良さがあるわけで、なにも選考委員の好みに合うだけが価値の基準でもあるまい。現にこの白砂青松百選というのに選ばれた各地の松原を見ても、それぞれ趣きが違うし、ここが選ばれるならあそこだって選ばれていいのに、と思う所も少なくない。
 といって、私はこの大里松原のすばらしさにケチをつける気持は毛頭ない。広い砂浜はアカウミガメの産卵地であるそうだが、むべなるかなと思う。一面に咲く浜昼顔の清楚さも心地良いし、開花前の浜防風が金平糖のような形のまま密生しているのもどこかおかしくて、柄にもなくしゃがみ込んで見とれてしまう。

 徳島県南端の宍喰という所に化石漣痕がある。
 というと私が漣痕というものを知っているようだが、じつはまったく知らない。なんとなく太古の地層か何かだろうと思って、ともあれ行ってみた。

 道路わきに高さ30メートル、幅20メートルほどの崖があり、表面に魚のうろこのような模様がある。
 立派で真面目な説明板。「恋人岬」のようにもっともらしいこじつけが書かれたものとは違い、図解もされ、すべての漢字にふりがながついているなど、本気で説明しようという姿勢が感じられる。
 好感をもってその説明板を写真に撮った。じつは何度読んでもこの崖の生成が理解できないのだが、地学に興味のある人にはよく解るのであろうし、そうでない人にも、説明板というのはこうあるべきだと賛同してもらいたいので、その全文と図をここに書き写しておきたい。読んで理解できるかどうかは保証できないが、それは別の問題だとお許しを願うとして。

 「宍喰浦の化石漣痕」は、今からおよそ4千万年前の新生代古第三紀とよばれる時代の
 海底に、水流によって砂粒が運ばれて、砂の層の表面がうね状になり、その後に固結し
 たものです。漣痕ができたのは、このあたりが、当時の南海トラフに向かう深い海底の
 斜面であった頃のことです。崖を見ると、舌のような形をした水流漣痕が、まるで鱗を
 重ねたように、一面に広がっています。海底に漣痕ができたとき、地層はほぼ水平でし
 たが、その後に、海洋プレートが押す力で陸側に傾いたため、現在は地層の面が急な崖
 になっています。この漣痕を作った水の流れは、舌の形の先が示す左下から右上の方向
 で、地層を当時の海底の状態に戻すと、東北東から西南西に向かっていたことがわかり、
 南海トラフの延びの方向と一致します。現在でも、四国沖の海底で、強い水流が発生す
 ると、こうした漣痕ができているのです。地層は四万十帯に属しています。
                                   海陽町


 念のため繰り返すが、この文章内の漢字にはすべてかなが振ってある。句読点もほどよくつけてあり、じつに読みやすい。
 旅に出ると各地で案内板、説明板のたぐいを目にするが、たいていは文脈が整っていなかったり、文体が不揃いだったり、ひどいのになると主体と客体が混同していたりで読むに堪えない。文案を起こした人はともかく、役所や観光協会、最後に字を書いたペンキ屋さんに至るまで、誰も気づかなかったのかと不思議にさえ思う。
 今回は気持の良い説明を読み、海陽町役場の人たちの誠実さに敬意を抱きながら、しばらくその崖を眺めていた。

 それなのに、そのあと訪れた室戸岬の青年大師像ではまたがっかりしてしまった。
 国道55号線のわきにコンクリート製と思われる白い大師像が建っており、足元まで石段になっている。その手前に極彩色の艶々した仁王像が並んでいるが、周りの景色に溶け込みようがなく、なにやらタイガーバームガーデンにでも来たかと苦笑してしまう。
 石段を登りかけると、横の建物から60代くらいのおばさんが顔を出して、「300円もらわんと」と言った。
 古い神社仏閣などで由緒ある建造物を保護するために参拝者から金を取るというのは、まあ分らないでもないが、ここにはそういうものはない。山の麓にコンクリートで像を建てただけのことで、ちょっと高台になっているから石段がついている。それを数十段登るだけで、300円か。
 大師像は下から見上げただけでテーマパークの飾り物のような俗っぽさが見てとれたので、そばまで行く必要もなかったのだが、足元に横たわるという金色の涅槃像を見てみたいと、仕方なく300円を払った。拝観券のようなものをくれるでもなく、なんだかおばさんの小遣い銭にされたような気分だ。
 その涅槃像がまたいけなかった。確かに金色ではあるが、汚れており、しかも所々剥げている。タイなどで見る黄金仏は本当に金箔を使っており、毎日拭き清められているのか、妖しいまでに光っている。それがここではやはり遊園地の飾り物のように、排気ガスでも浴び続けて黒く煤けたような按配だ。
 そしてとどめが涅槃像の説明書き。大師像の台座に貼りつけられたご大層な石造りの盤ではあるが、長々と書かれたその文章は中学生か高校生が書いたものかと思われる稚拙なもので、文脈も整わず、“てにをは”もなっていない。
 冷めた気分で岬の岩礁に向かう。無料の駐車場があったのはありがたい。ただ、照りつける日差しは真夏のようで、車の中はすぐに高温になると思われた。車内にはお湯を沸かすためのガスカートリッジが積んであるから、熱で爆発でもしたら大変だ。窓を少し開けておけばいいのだが、風が入り込むと盗難防止のセンサーが作動してけたたましいブザーが鳴ってしまう。
 センサー連動の電子ロックを使わなければいい筈だと思って、予備キーを鍵穴に差し込む方法でロックした。
 岩礁に出ると、ひときわ高い岩の上に3人のお遍路さんが海に向かって胡坐をかいており、何やら大声で経を読んでいる。下北半島の恐山にいるイタコのようで、近寄りがたい空気が感じられる。おそらく何度も霊場巡りをしている練達の信者なのであろう。
 一帯にはアコウが自生し、林を成している。クワ科の植物だそうだが、桑には見えない。イチジクの親戚だということで、それなら確かにそう見える。
 中に天然記念物に指定されている木があるというので行ってみると、なるほど驚くほど立派な木があった。無数の気根が3つの巨大な岩を、まるでタコが獲物を抱え込むように包み込んでいる。アコウそのものは沖縄でも台湾でも目にしたが、これほど見事に岩を捕えた木は初めて見た。妖怪の棲む深い森などで立ち入った人間を捕まえて岩に変えてしまう悪魔の木があるとすれば、まさにこのような木であろうと思う。
 車に戻って、ポケットに手を入れたが鍵がない。右も左も後ろも前も。どこかで落としたとして、探しに戻ったところで広い岩礁地帯で見つかるわけもない。仕方なく電子キーを取り出して何気なくドアを見たとき、鍵穴に予備キーが差し込んだままになっているのが見えた。何時間かそのままになっていたということだ。老人性ナントカが始まっていることは間違いない。

 陽も傾いてきたので、適当な寝場所はないかと地図を見ると、香南市の海沿いにヤシィパークという公園があるようだ。ところが行ってみると、駐車場が有料になっている。お金がないから車で寝ているのに、お金を払って車を停めるのでは意味がない。
 さいわい公園の隣が道の駅だったので、そこで寝ることにする。レストランや売店が充実しており、なにより駐車場が広い。道路との間に木が植えられていて、走行車両の音が聞こえないのもいい。
 まだ明るいので、ヤシィパークを散歩し、海水浴場で砂を採る。金をかけて整備された公園で、板張りの遊歩道が500メートルも延びている。
 トイレに入ると、「足洗い禁止!」と大きく書かれた張り紙があった。よくあることだ。
 赤で書かれたその文字に続いて「足元が水浸しになって他のお客様が迷惑しています。床に落ちた小石や砂の清掃に困っています。排水管に砂が詰まって修理しています。洗面台が壊されて修理しています」としつこく書かれているところを見ると、管理者は腹に据えかねているのだろう。
 ただ、その下に「みなさまの善意でトイレがきれいに保たれています」と書かれているのが判らない。むろん意図するところは判断できるのだが、それなら「みなさまの善意でトイレをきれいに保ちましょう」とでもすればいいのにと思う。
 一つ一つのフレーズに間違いはなくても、並べ方で意味がおかしくなってしまう好例だ。
 車に戻ってカップラーメンで夕食。目の前に道の駅のレストランがあるというのに侘しいことだが、なにせお金がないので仕方がない。
 在勤中の同僚だった伊藤さんという食通がいて、今日15日から高野山、伊勢、那智を車で旅している筈だ。毎日金を使って旅館に泊まり、金を使って美味しいものを食べ歩いている。同日同時刻にこちらは狭い車の中で59円のカップラーメンをすすっていると思うと、神はやっぱり不公平だと愚痴りたくもなるが、前回の冒頭で述べたように、大震災の被災者のことを思えば、旅に出られるだけでありがたい。
 窓を叩く音に驚いてドアを開けると、私と同じくらいの年配と思える男性が、コーヒーを沸かしたので一緒に飲みませんか、と声をかけてきた。
 とりたてて飲みたいわけでもなかったが、あえて断ることもない。ラーメンを食べ終わってから出ていくと、すぐ近くのセダンの脇にその男性がキャンバス地のパイプ椅子を出して坐っていた。小さな折り畳みのテーブルがあり、コールマンのガスストーブにパーコレーターがかかっている。勧められたクーラーボックスに腰掛けると、本格的な陶器のカップにコーヒーを注いでくれた。
 県内で、帰れば帰れる所に住んでいるそうだが、もう1週間も帰らずに釣りをしているらしい。この場所に3日続けて泊っているということで、釣った魚を焼いて食べているという。それだけでも図太い神経が感じられるが、話を聞いているとなかなかの豪傑だ。
 私も釣りは好きで、話は盛り上がってきた。
「あるとき磯釣りの最中にクソがしたくなりましてね」
 そう前置きして男性が語った話によれば、岩場で打ち寄せる波すれすれにしゃがみ込んで用を足し、はじめは尻が波に洗われて快適だと思ったものの、波の高さが一定ではなく、そのうちにずぶ濡れになってしまったとのこと。
 大笑いしたあと、私もつられて自身の体験を披露した。
 沖合にある防波堤で夜釣りをしていたときのこと。突然強い便意に襲われた。しばらくは耐えたが、便意はますます激しくなり、とても釣りどころではない。迎えの船が来るまではもちそうにない。
 もはやこれまでとなり、私は暗闇の中、堤防の端ぎりぎりにしゃがみ込んで尻を海面に突き出した。風もあり、煽られて真っ暗な海に落ちたら大変だが、そんなことを案じている余裕はない。
 下痢便の音が他の釣り客に聞こえるのではないかと気が気ではなかったが、なんとか出し終え、さてと思ったときに、紙がないのに気づいた。やむなく魚を掴んだ手を拭くための雑巾で拭いたが、魚のぬめりが付いていてヌルヌルし、結果的にちゃんと拭けたのかどうか、よく分らない。
 迎えの船に乗ると、船頭は他に帰る客はいないかと強烈なサーチライトで堤防をくまなく照らし出した。そのライトの中に、私のしゃがんでいた場所がくっきりと浮かび上がった。
 海に落としたと思ったモノは、太い筋になって堤防の壁にくっついていた。

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