第6回 新居町 ~ 名古屋 (1)  2001.12.27 ~ 29  (2泊3日)


 2年8か月ぶりの日本一周旅行再開。子供たちの教育費が嵩んで出るに出られなかったのだが、このままでは死ぬまでに一周できないということになりそうなので、思い切って出かけることにする。

2001年12月27日(木)
 前夜1時過ぎまで年賀状を書いていたせいで、起床が遅れ、朝食は近くのコンビニで握り飯などを買って、走りながら食べる。
 真っ赤な朝日を正面に見ながら横横道路を通り、逗葉新道へ。この逗葉新道、100円と言われてやけに安いなと思ったが何のことはない、自動車専用道路ではなく交差点も多い。全長 3.8キロしかなく、これで 100円は高いとも言える。
 葉山町に入り、森戸海岸へ。
 砂浜に面したアパートの屋上を見上げると、手摺りに鳶がずらりと並んでいる。数えてみると16羽。さらにそこのテレビアンテナに12羽がひしめいている。隣のアパートにも。鳶というのは、飛んでいる姿はよく見るが、とまっているのはまれで、しかもこうして集まっているのは、珍しい光景だ。
 ところで、私は今「アパート」と書いたので、木造二階建てぐらいで外部に鉄の階段が付いているような建物を想像した向きもあると思うが、そうではなく、外壁はタイルで各戸にバルコニーの付いた7,8階の建物である。多分、ナントカ・マンションというのであろう。
 日本では、マンションを買った、マンションに住んでいる、という言い方がごく普通に使われており、どうも集合住宅、すなわちアパートのことを押し並べてマンションと言うらしい。
 なんということか。マンションといえば、広大な敷地の中に建つ、貴族の大邸宅のようなものをいうのではないか。暖炉の横には鎧などが飾ってあり、深夜には誰もいない筈の部屋から女のすすり泣きが聞こえてくるというような、豪邸中の豪邸をマンションというのではないか。
 それを、どこぞの不動産屋が、物件の立派さを強調したいばかりに、アパートと言うよりマンションと言う方が聞こえが良いとでも考えて、売り出し中の物件をマンションと言い出した。富裕層の虚栄心をくすぐるためであったが、それに手もなく乗せられた客がマンション、マンションと浮かれ騒ぎ、日本中のアパートがマンションと呼ばれるようになった。
 今では住宅用語として「鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅」という間違った定義づけが行われ、自分のことを「マンションに住んでいます」などと言う人までいる。「私は豪邸に住んでいます」と言っているようなもので滑稽さも極まるが、本人は本来の言葉の意味を知らないから、別段自慢しているつもりでもない。さらにマンションのマンを「 万 」と勘違いして、それより立派なアパートを「億ション」と言ったりする馬鹿が現れるに至っては、聞いているこっちが恥ずかしいくらいである。
 ここまでくると、もはやマンションと言っても客の虚栄心をくすぐる効果は薄れ、売れ行きも鈍ってくる。
 そこで今度は、アパートの名前としてメゾン、カーサ、カテドラルなどという、訳の分らぬ名称が冠せられるようになった。何をかいわんやである。

 箱根新道を通り、三島経由、国道1号を西へ。富士川を渡り、左折して吹上の浜へ。
 
 富士川河川敷の桜えび天日干し

 浜までの河川敷は広大な畑地のようで、見はるかす彼方には雪を戴いた富士山がくっきりと姿を見せている。裾野まで届く稜線が見えるのは、さすが静岡である。
 その畑のような平地のあちこちに、さながらレンゲ畑ででもあるように、ピンクに彩られた部分が広がっている。
 初めは何であるか分からなかったが、ふと、以前テレビか何かで見たことのある桜えびの天日干しではないかと思い、かなり歩いて近くまで行ってみた。数人の男性がざるのようなものに入った小エビを地面に敷いた寒冷紗の上に撒いている。
 桜えびですか、と訊くと、色黒の男性が不機嫌そうに
「輸入物」
とだけ答えた。私が、桜えびじゃないんですか、と訊くと、さらに不機嫌そうに
「輸入物」
と言う。取り付く島がない。
 すると、別の男性がとりなすように、桜えびは桜えびだけど地元ではだんだん捕れなくなって、近頃では輸入物に頼っているのだと説明してくれた。
 それならそう言えばいいものを。こっちにとっては輸入物だろうが地の物だろうが、桜えびは桜えびだ。当地の漁師にとって輸入物はグレードが低く、そんなもので量を補っていることは悔しいことなのかも知れぬが、旅行者に当たるとは、狭量なことだ。
 国道に戻り、由比にさしかかると「桜えび」と書かれた看板が乱立している。輸入物とは書かれていない。それでいい。
 午後4時、福田海岸に着く。よく釣り具メーカー主催の投げ釣り大会などが行われる砂浜で、テレビや釣り雑誌で名前は知っていた。男たちがふんどし一丁で練り歩く見付神社裸祭りでも有名であるが、残念ながら私は生で見たことがない。
 海岸近くのガソリンスタンドで給油。待っている間におしぼりをくれたので、顔を拭いてさっぱりしたが、そのあとふと、それはおしぼりではなく車内を拭くための雑巾なのではないか、と思った。そう思って見ると、それはやけに黒ずんでおり、布の端がほつれたりしている。
 幸いスタンドの従業員は見ていなかったようなので、なにくわぬ態で返すと、はたせるかな、従業員はそれを無造作にバケツに放り込んだ。やはり雑巾だったのだ。

 新居町駅前。前回はここで日本一周コースを外れているので、今回はここを始点とし、メーターをゼロに戻す。
 国道42号線に乗り、渥美半島へ。この42号線、静岡県浜松市から紀伊半島を一回りして和歌山県和歌山市に至る 500キロ近い国道であるが、地図を辿っていると、途中で海上部分が20キロほどあったり、別の国道と重複する区間があったりして、ときどき見失ってしまう、変な道である。
 すでに辺りは暗くなり、どこかで寝場所を探したいが、その前にスーパーマーケットに寄りたかった。ラーメンは持っているし、クーラーボックスにはビールの準備も怠りないが、それだけで夕食というのも、ちと寂しい。できれば刺身など、なければせめてソーセージなりと買って行きたいと思ってのことである。
 ところが、国道42号線沿いにはおよそ店というものがない。たまに洋品店や自転車屋などを見かけたが、食料品を売っていそうな店はとんとない。走って走って、ようやく小さな、何の店かよく判らない店の前を通った。あまりに地味なので逡巡しているうちに通り過ぎてしまったが、その後も店はありそうにないので、意を決してUターンし、その店まで戻る。
 どうやら閉店の準備中らしく、客の姿はまったくなかったが、慌ただしく見て歩くと、ガラスケースの中に盛り付けも地味なマグロの刺身が2パックだけ残っていた。見た目はよろしくない。色も艶も鮮度の落ちたことを示している。しかしまあ、食べられないこともないだろう。迷った結果それを取り、醤油の小瓶、チューブ入りのわさび、ソーセージも買った。
 一人旅の食事なんてこんなもんだ、と強いて自分を納得させて走り出すと、間もなく昼間のように明るく照らし出された大きなスーパーマーケットがあった。いかにも大手チェーンといった店で、ここなら色とりどりに盛り付けられた艶やかな刺身がずらりと並んでいるに違いない。そしてその後も数軒、同様のスーパーの前を通る。マーフィーの法則の正しさを改めて思う。
 街灯など全くない真っ暗な道を走り続け、「伊良湖岬海水浴場」という看板を見つけて駐車場に入る。閉まってはいるが土産物屋があり、公衆便所、電話ボックスも見える。
 何より明るいのがいい。車で寝るのは、雨風にはいいが、金品目当ての不良どもに狙われたらひとたまりもない。本当は真っ暗な、人の気配の全くないような場所で寝たいのだが、安全を考えたら贅沢は言っていられない。
 刺身のトレーに直接醤油をさし、わさびをすりつけて刺身を食べる。案じたとおり旨くはなかったが、ソーセージもある。なによりビールがある。至福のひととき。
 いつだったか、宗教活動のため日本に滞在しているアメリカの若者と話をしたとき、アルコールは禁じられていると聞いて、それでは人生の大きな楽しみを放棄していることになると言うと、無宗教の私こそ人生の最大の喜びを放棄していると反論された。
 まあ、どうでもいいが、私はビールなしで生きていくことはできない。いつの日にか、アフリカのナミブ砂漠のど真ん中で寝てみたいという夢があるが、そのときには冷たいビールが飲めないであろうと思うと、今から憂鬱である。



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