ヨーロッパ美術巡り(1)



芸術音痴を恥じもせず



      私の同僚に、伊藤さんという美術の教員がいる。数年前に退職したので元教員と書いた
     方がいいのかもしれないが、私にとっては今でも美術の師であるから、わざわざ「元」な
     どとつける必要もない。
      仕事を離れて趣味も広く、職場の仲間で作った釣りクラブの初代会長でもある。喫茶店
     でヘラブナ釣りの話になったとき、
     「何度か打ち込んでいると、魚が見えてきますね。あの瞬間がたまらない・・・」
     と言った。私は「魚が見えてくる」というその表現にいたく感心し、この人はたいしたも
     のだと思った。竿なども私はグラスファイバーの安物を使っていたが、伊藤さんは竹製の
     和竿を使っており、どうも格が違っていた。
      山野草にも造詣が深く、春蘭やエビネといった渋い花の写真なども撮っている。私もそ
     の魅力を教えられて山に採りに行ったりした。山の持ち主が現れて怒られるのではないか
     とびくびくしながら目立たぬように2、3株を掘ろうと苦労していると、
     「そんな掘り方をするからバレるんだよ。全部採っちまえば、ここにエビネがあったこと
     すら分からない」
     と言って、大きなスコップでざっくりと、跡形もなく採ってしまった。私はまたしても感
     嘆し、この人はエライと思った。
      1989年の夏、その伊藤さんと、ヨーロッパの美術館を巡るツアーに参加した。

      成田空港でメンバーと顔合わせ。参加者は8人。添乗員はなんとエジプト旅行のときと
     同じ山野井道子さんであった。私がそのことを言うと、「まあ、あのときの!」と驚いた
     様子。私はそれを営業用の挨拶であって、本当は覚えてなんかいないと思ったが、旅行中
     にエジプトでの私の失敗談などを皆に披露するので驚いた。7年も前の一参加者のことな
     ど、よくもまあ覚えているものだ。

      アムステルダムのスキポール空港に着いたのは朝の7時。ドルをギルダーに換える。
      空港から、まずは郊外のザーンセ・スカンスに向かう。途中はどこまでも真っ平らな畑
     と牧場ばかり。水路が縦横に走っている。水面が道路とほぼ同じ高さで、なるほどオラン
     ダは干拓の国だと実感する。なんでも国土の60%が海面下にあり、40%は干拓した土
     地だとか。
      ということは100%が人口の土地ということになるのかとガイドの小林さんに訊くと、
     「えーと・・・そうですね」という返事であった。テキトーに答えたのは見え見えで、そ
     の40%が国土の40%なのか海面下の土地の40%なのかは分かっていないようだった。
     私もそれ以上は訊かなかった。

      ザーンセ・スカンスは、日本でいうなら明治村といった所で、風車をはじめ古いオラン
     ダの風景を保存している施設だが、実際に人がそこで生活をしている。
      入口でオランダ娘が我々の姿をパチパチと写し始めた。二人連れでツアーに参加してい
     る中年女性が、
     「まあ、日本人が珍しくて写真を撮ってるわ!」
     とはしゃいでいる。
      この二人、年齢も職業も不詳だが、どうやら同じ職場の者らしく、毎年二人で旅行社の
     ツアーに参加しているらしい。あそこにも行った、ここにも行ったと、既に世界中を旅行
     しているようで、話の様子では月にも行ったことがありそうだが、それにしてはおそろし
     く無知で、見るもの聞くものにトンチンカンな反応をしている。
     「あれは商売で、帰りに出口で売るんですよ」と教えると、目を丸くして驚き、
     「へー! せちがらいわねえ」
     などと勝手なことを言っている。
      草地に鴨が群れている。足元の水路にも浮かんでおり、ときどき水に頭を突っ込む。餌
     でも採るのだろうが、鵜のように潜ることはできないとみえ、頭だけ突っ込む。水面で逆
     立ちをしているような按配で、ずんぐりした尻が水から突き出る。ちょうど船首から沈ん
     でゆく船が船尾を水面に立てているような恰好だ。
      オランダでは年間200数十日が雨だという話だったが、幸いにも好天で、広い草地に
     風車が建ち並ぶ風景はなんとものどかで気持がいい。
      その風車というのは遠くで見ている分には牧歌的でなかなかいいものだが、近寄って見
     ると恐ろしくデカい。羽根の回転もかなり速くて、ぶつかったら大怪我は免れまい。こん
     なものに突き進んで行ったドン・キホーテという人物はかなりイカレていると思わざるを
     得ない。

      アムステルダム市内に戻り、運河めぐりのボートに乗る。
      学生アルバイトだというガイドがついてゆっくりと進む。アムステルダムは言わずと知
     れた運河の街であり、水上から見る風景は絵葉書でお馴染みのものだ。
      干拓でできた町は地盤がゆるく、両岸の建物はそれぞれ勝手な方向に傾いている。正面
     から見て左右に傾く分には、隣の建物が支えになるので倒れないが、手前に向かって傾い
     ているものは、あと何年もつか怪しいもので、その前を通るときはあまりいい気分ではな
     い。
      家は基本的に集合住宅ばかりで、階段が狭いため家具を搬入するのは大変らしい。大き
     なものは窓から直接入れる。そのため建物の最上部に滑車つきの突起があり、家具を吊り
     上げるようになっている。
      そういうことは添乗員の山野井さんが教えてくれたことで、ガイド君の英語の説明はほ
     とんど解らない。彼の英語がまずいのではなく、私に聞き取りの力がないのだということ
     は言うまでもない。ちなみにオランダ人、とくに若いオランダ人はほとんどが英語を話せ
     るということだ。
      ボートから上がったあと、ダイヤモンドの研磨工場を見学。私は知らなかったが、アム
     ステルダムはダイヤモンドの研磨では有名らしい。
      ダイヤモンドは研磨によって多面体に加工されるのだが、その形によって反射に差が出
     る。まあそれはそうだろう。その形は50面体とか60面体とか色々あったらしいが、経
     験値から57面体が一番美しいということになったらしく、ブリリアンカットとか呼ばれ
     る形が今のところ最高だという。
      私は興味がないので、長い説明にちょっとばかり眠気をもよおしてきた。
      その眠気が吹っ飛んだのは、伊藤さんが18万円のイヤリングを買ったときである。奥
     さんへの土産だそうだ。
      いくら伊藤さんが金持ちとはいえ、18万である。釣った魚にそんな餌をやるものだろ
     うか。私は断言していいが、あれは奥さん用ではない。

      今回のツアーは美術館めぐりがメインである。
      その皮切りはアムステルダム国立美術館であった。レンブラントの作品があるというこ
     とは聞いていて、そのとおり自画像などを数点見て歩き、次の部屋に入ろうとしたとき、
     伊藤さんが「夜警だ」と言った。叫んだといってもよい。
      今思うと、我ながらなんたる無知かと思うが、私は「夜警」という作品を知らず、伊藤
     さんの興奮ぎみの言葉も意味が判らなかった。ただ伊藤さんの視線の先に現れた絵を見て
     息を呑んだ。
      全体に暗いというよりは黒いという印象が先に立つ画面の中に、あたかもスポットライ
     トを当てたかのように数人の人物が浮き上がっている。
      ガイドの小林さん
     によれば、これは集
     団肖像画というのだ
     そうな。何人もが金
     を出し合って注文し
     、1枚の絵の中に各
     人の肖像画を描くと
     いうのが当時の流行
     だったらしい。いわ
     ばワリカンなので、
     各人の描き方に差が
     出ないよう、大きさ
     なども均一に描いた
     という。
      この絵も市民自警
     団のメンバーが同額
     を出し合って依頼し
     たものだが、レンブ
     ラントは画面に劇的
     な動きを出すため、
     人物を主役と脇役に
     描き分けてしまった。光を浴びてくっきりと描かれた者と、暗い背景に紛れ込みそうな者
     とがいる。中には別の人物の肩越しに顔が半分見えているだけの者もいる。
      当然のことながら地味な扱いを受けた人たちは不満をもち、この絵を境にレンブラント
     への注文は激減したとのこと。
      そういう説明を受けながら見ると、私のような美術音痴でもなんだか分かったような気
     分になる。レンブラントは職業画家としては失敗したが、この大胆な試みによって不滅の
     名を残すことになったのだろう。
      後年、この絵についてのいろいろな解説を読み、ああそうだったのかと、見落とした部
     分に悔しさを覚えたが、このときにはよく分からなかった。多分説明されたのだろうが、
     消化できないままに忘れてしまったのだと思う。
      その証拠に、この国立美術館にはフェルメールの有名な絵も何枚か展示されているのに、
     私にはその記憶がまったくない。レンブラントの作品にしても、自画像のほかには「ナン
     トカ博士の解剖講義」という絵を覚えているだけだが、これとても「夜警」とは対照的に
     “平等な描き方をした集団肖像画”という説明を小林さんから受けて記憶に残っただけの
     ことである。
      そうそう、もう1枚、タイトルは分からないが男が女の胸に手を当てている絵があって、
     何をしているのだろうと思ったが、偉大なる画家の作品を前にしてそのようなやましい感
     想を持ったことは口に出すわけにいかず、素知らぬ顔をして通り過ぎた。
      最近になり、それが「ユダヤの花嫁」というタイトルの有名な絵であるということを知
     り、今さらながらに絵を見る姿勢が不純であったことに羞恥を覚える。
      と、こう書いてくると、読む人は「こいつ、なんだって美術館巡りなんてツアーに参加
     したんだろう」と思うに違いない。実は私自身も、なんで自分がそういうツアーに参加し
     たのか判らないのだが、それでも行けば行ったで、どんなに無知な者でも、行かないより
     は勉強になる。
      その一つ。私はこの美術館でロイスダールという名前を覚えた。それが姓なのか名なの
     かすら分からないが、ともあれロイスダールという名前で、その画家の絵は画面のかなり
     の部分が空で占められている。その空に浮かぶ雲が光と影とで躍動感に満ちており、どち
     らかというと影の濃い地上の風景と対照的である。
      私はこの旅行後、「この風景はロイスダールの絵のようだ」などという台詞を吐くよう
     になったが、実は私の知識はここまでで、ロイスダールの絵のタイトルは一つも知らない。
     彼が風景画のほかにも何か描いているのか、それも知らない。
      それでも、ロイスダールの絵というものに出会ったことが、風景を見るときの私の目に
     大きな影響を与えてくれたことは間違いない。猫に小判というが、私だって優れた絵を見
     て無駄だということはないのだ。

      昼過ぎ、ホテルにチェックイン。
     団体での予定はなかったので、伊藤さんとゴッホ美術館に行こうという話になる。ホテル
     は市の中心地からかなり離れているので路面電車で行くしかないが、その乗り方が分から
     ない。
      とりあえず近くの停留所に行ってみる。日本では昔、路面電車の停留所を「安全地帯」
     と呼んでいて、路面より一段高くなっていたものだが、ここにはそれらしいものもない。
     あとになって停留所は分かるようになったが、線路の脇に若干のスペースがあるというだ
     けで、慣れないとそこが停留所だと認識するのは難しい作りだった。切符だって、どう買
     ったらいいのか。
      そんな訳でどうしたらいいかというところだが、実はどうしたかが思い出せない。歩い
     て行ける距離ではないし、乗ったことは確かなのに。
      あやふやな記憶を辿ってみると、どうも車内で買おうとして乗り込んだものの、車掌が
     来ないうちにゴッホ美術館近くに着いてしまい、そのまま降りてしまったような気がする。
      いつも思うのだが、かなり昔の旅行についてどうでもよい些末なことをやけに細かく覚
     えていたり、逆にそれほど古い話ではないのに全然覚えていなかったり、記憶のメカニズ
     ムというものはどうなっているのだろうと不思議でならない。
      些末なことといえば、その停留所にはベンチの代わりに金属のバーが渡してあった。長
     くいる場所ではないし、ベンチに比べて場所もとらない。なかなかいいアイデアだと思っ
     たが、悔しいことにそのバーがとてつもなく高い位置にある。オランダ人はごく自然に腰
     かけているが、私の場合は腰かけるのではなく“寄りかかる”ということになる。
      こういう腹立たしいことは忘れてもいいのに、ちゃんと覚えている。

      電車を降りて、美術館を探す。人でごった返している所があり、地べたに坐っている若
     い女の子にゴッホ美術館に行きたいんだがと尋ねると、自分が寄りかかっている壁を指し
     て、ここがそうだという返事。美術館というから木に囲まれた重厚な建物をイメージして
     いたのに、道路に面した何の変哲もない建物で拍子抜けする。
      ともあれ入場券を買おうと列に並ぶ。大変な混雑でなかなか窓口に近づけないが、皆慣
     れた様子で雑談しながら順番を待っている。私の前の男性と後ろの男性が話し始めた。私
     の頭越しに話している。オタンダ人は皆背が高いということは聞いていたが、それにして
     もあんまりではないか。
      10ギルダーの入場券を払って中に入ると、バッグをロッカーに入れるように言われる。
     コイン式のロッカーで、いくら入れていいのか分からないので、近くの女の子に小銭を見
     せ、どのコインを使ったらいいのか訊く。1ギルダーで、これはあとで戻ってくる。

      ゴッホといえば「ひまわり」。私の知識はその程度のものであったから、館内に入って
     初めに目についたのはやはり「ひまわり」だった。
      無知を晒すことになるが、私は「ひまわり」は日本にあるのだと思っていた。この旅行
     の1、2年前だったと思うが、日本の安田火災が「ひまわり」を50何億で落札したと話
     題になったからである。バブル経済が膨らみ始めた頃で、企業は文字通りあぶく銭を惜し
     げもなく使っていた頃だが、それにしてもなんで保険会社が絵を買うのかと思ったことか
     ら記憶に残っていた。
      それなのにその絵が今ここオランダにあるというのはどういうことか。伊藤さんに訊い
     た。
      なんと、ゴッホはひまわりを何枚も描いているのだという。
     「でも、俺がテレビで見たのはこの絵だよ。安田火災が買ったのはこの絵だよ」
      伊藤さんは違うと言う。詳しい説明は忘れたが、別々に見たのでは違いが分からぬほど
     構図も色使いも似たようなものを何枚も描いているらしい。
      その後私も図鑑などでいろんな「ひまわり」を見ることになるが、皆ほとんど同じで、
     並べて見ないとその違いが分からない。確かに言われてみれば花瓶に挿された花の本数が
     違ったりしているのだが、高価な絵の具を使って同じような絵を何枚も描くということが、
     どうにも理解できない。
      後年少しずつ知ったが、高名な画家は例外なく同じようなことをしている。私などは写
     真を並べてみない限りどっちがどっちだかまったく判らない。描いている本人は満足がい
     かないからちょっとずつ変えて描くのだろうが、それなら先に描いた方は失敗作として破
     り捨てそうなものだと思うが、どっこい両方とも名作として残っている。
      その辺は伊藤さんに訊いたがよく分からなかった。というより、説明を理解するだけの
     基礎知識がなかった。
      とにかく私はゴッホについてひまわりと自画像しか知らず、その自画像は美術の教科書
     で見ただけだった。アメリカ映画でカーク・ダグラスがゴッホの扮し、それが自画像にそ
     っくりだったので、印象には残っている。
      その自画像を見た。
      第一印象は、「小さい」。どうも私は名だたる名画を見てもまず「大きい」「小さい」
     ということが頭をよぎる。それは今に至ってもそうで、絵を見る目がその程度しかないと
     いうことだ。次に目についたのが、絵の下にあるプレートに書かれた「
Self-portrait with
        Felt Hat by Vincent van Gogh
」という文字だった。当たり前なのに、なるほど英語では
     そういうのかと感じ入って手帳に写した。ますます私の絵に対する関心の薄さがバレる話
     だ。
      肝心の絵についても、教科書と同じだと思った程度で、あとはなぜこのように短い線で
     描くのだろうと思ったり、これではまるで気もくじゃらの狼男ではないかと思ったりした。
      そしてまた、この自画像も何枚もあるという話。そういえば耳を切り落としたゴッホが
     包帯のようなものを巻いている自画像も写真で見たことがあるが、それだけではないらし
 い。
下手くそな絵を見て感無量の伊藤さん

  伊藤さんがやけに熱心に見ている絵があり、
 黄色い麦畑の上を沢山の黒い鳥が飛んでいる。
 遠近感に乏しく、ありていに言って、下手くそ
 な絵だと思ったが、かのゴッホが描いたとなれ
 ばきっとすごい絵なのだろう。
  私は伊藤さんがなんでそんなに熱心に見てい
 るのかとんと理解できなかったが、伊藤さんは
 あろうことか、その絵をバックに写真を撮って
 くれと言う。
  あとで知ったのだが、それは「カラスのいる
 麦畑」とか「カラスの群れ飛ぶ麦畑」とか呼ば
 れている絵で、やはりたいそうな絵らしい。
      くどいようだが、たいそうな絵というのは、それが有名な画家の絵だというだけのこと
     で、私がそれに魅了されたということではない。私は後日伊藤さんの写真ができたとき、
     後ろに写った絵を改めて見たが、形といい飛び方といい、あれはやはりカラスには見えな
     い。やっぱりゴッホは絵がヘタなのだ。

      帰りはまた電車に乗る。これは覚えている。停留所の路線図を見て12番線と見当をつ
     け、運転手に私たちの泊まるホテルまで行くかと訊くと、行くと言うので、「ワン・ゾー
     ン」と言って切符を買った。ところがこれがいくらだったのか覚えていない。12番線と
     いうのも、なんでそんな数字を覚えているのか判らない。なんとなくそう思い込んでいる
     だけかも知れない。
      とにかく記憶のあちこちが抜け落ちている。
      見ていると、乗り込んでくる客たちは誰も切符を買わないし、見せもしない。運転手も
     客の様子など気にかけていないように見える。大体の客は定期券が回数券を持っているの
     だろう。検察は滅多にないが、だからといって薩摩守を決め込んで、たまに乗り込んだ検
     察係に見つかると、目の玉の飛び出るような罰金を取られるらしい。

      夕食は市内のレストランで。道を歩いていると自転車王国と言われるだけあった、確か
     に自転車が多い。話に聞いていたブレーキのない自転車というのも見た。坂がないからブ
     レーキが要らないのだという。とはいえぶつかりそうになったときにはやはり必要であろ
     うというのは私のような足の短い人間が思うことであって、オランダ人は足をつけば止ま
     るので問題ないのだそうだ。
      どの自転車もごっつい鍵をつけている。運河沿いの鉄柵や街灯の柱に太い鎖で繋いであ
     る様は異様だが、なんでもだいたい3か月ぐらい乗っていれば必ず盗まれるのだそうだ。
     ガイドの小林さんも何台も盗まれたとのこと。盗まれたらどうするのかと訊くと、人のを
     盗むのだという。
      小林さんは車を持っているが、しょっちゅう荒らされるということで、カーステレオは
     夜になると外して部屋に持ち込んでいるということ。
      オランダは自由の国だということで、この時代に売春が公認されているくらいだからデ
     タラメなことも多いのだと思うが、盗みまで自由というのは、どうも住む気になれない国
     だ。
      住むのに困るといえば、犬の糞が多いのにも閉口する。上を向いて糞を踏まずに歩けた
     ら一人前のアムステルダム人だということだが、なに、下を向いて歩いたって踏まずに通
     り抜けるのは難しい。



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