子どもの元気で親はくたくた(3)


   

英語は苦手だというのに


     8月12日、7日目になる。
     ロサンゼルスに帰るためラスベガス空港に行くと、ターミナル前に全長6、7メートルは
    あろうかというストレッチ・リムジンが停まっていた。今でこそ日本でも結婚式場や葬儀場
    が使っているのを見ることがあるが、その頃には日本ではついぞ見かけぬものであり、私も
    初めて見た。
     無駄遣いの極みというべきその車を見て、こんなことをしているアメリカ人には質素とか
    節約を美徳とする他国の価値観は理解できないだろうと思った。
     ターミナルに入ると、さすがというべきか、ロビーにスロットマシンが並んでいる。昨夜
    の経験で分かっている筈なのに、ひょっとしたら、というスケベ根性が頭をもたげ、またぞ
    ろ硬貨を投入した。結局5ドルを使い、何の反応もなく終わった。
     昼過ぎにロサンゼルスに着き、その足でUCLA(州立カリフォルニア大学ロサンゼルス
    校)に行く。ただジェームス・ディーンが出た学校というだけの興味だったが、キャンパス
    内に巨大な熊の銅像(?)があって驚いた。子供たちが早速よじ登ったのは言うまでもない。

     そのあと蝋人形館に行く。大人6ドル、子供4ドル
    とあったので、24ドルを出したところ、次男と娘の
    年を訊かれた。7歳と6歳だが、5歳と4歳だと答え
    ると、それだったらタダだと言われ、8ドルが返って
    きた。我ながらせこいことをしたものだが、まあ、そ
    れで先方の負担が増えるわけでもないので、いいこと
    にしよう。
     先日のホテルに荷物を預けてあり、またそこに泊ま
    る。
     まずは夕飯の材料を買おうと、向かいのスーパーマ
    ーケットに。
     レジで支払いを済ませて店を出ようとすると、長男が小声で「今、同じものを2回打った
    よ」と言う。そんなことはないだろうと言ったが、「打ったよ。言った方がいいよ」と譲ら
    ない。仕方なくレシートを見ると、確かに3.95ドルという数字が2回続けて打たれてい
    る。
    「同じ値段のものを2つ買ったんだろう」
    「違うよ。同じもんだよ」
     正直なところ、そういうことに抗議するのは億劫だった。私は毎日やっと英語を喋ってい
    るのであって、そういう利害に絡むことでアメリカ人とやり合うというのは、まずシンドイ
    というのが本音だ。4ドルぐらいなら泣き寝入りする方が楽だ。
     それでも息子が繰り返し言うものだから、私はやれやれという気分のままレジに行き、多
    く計算していると思うから買った品物と照合してくれと言った。店員は何が違っているかと
    訊き、私がこの金額が2度打たれていると言うと、品物を見もせずに13.15ドルを返し
    てよこした。
     どうしてそういう計算になるのか判らなかったが、それ以上言い合うのが嫌で、そのまま
    受け取ってしまった。蝋人形館に続いて、どうも日本人として後ろめたいことだ。
     ほっとしたというより、なんだか疲れた気分でホテルに戻った。

     翌日はロサンゼルスの市内観光を予約してあった。バスで集合場所であるリトル東京に行
    くと、ワゴン車が待っており、品のいい青年が声をかけてきた。すこぶる流暢な日本語を喋
    り、参加者を確認するのに「○○さんでいらっしゃいますか」などと言う。
     客は私たちの他に2、3人だったと思う。お決まりの観光名所を何か所か回ったあとでマ
    リナ・デル・レイに行き、私たちはそこで降ろしてもらう。
     復元された海賊船が係留してあり、無論のこと、子供たちは大張り切りで大砲に跨ったり
    している。
     掘立小屋のような店が何軒か出ており、中国人か韓国人のような顔つきの人たちが焼きそ
    ばを売っている。無性に食べたくなり、春巻きやら野菜炒めと合わせて買い込み、近くのテ
    ーブルで食べる。結構うまい。
     タクシーでリトル東京に戻り、ぶらぶらと散歩しているとオニヅカ・ストリートという通
    りに出た。
     私は不明にして知らなかったが、日系宇宙飛行士のエリソン・オニヅカさんは、1986
    年1月、打ち上げから数十秒後に爆発したスペースシャトル「チャレンジャー号」の乗組員
    であった。
     事故後、彼を悼み讃える意味でこの通りに彼の名がつけられたということで、私は名前も
    知らなかったくせに、日本人としてなにやら誇らしい気持になった。因みにこのときの乗組
    員7人の姿は、あの蝋人形館にも飾られている。
     もう十分遊んだというのに、子供たちが泳ぎたいというのでロングビーチに行く。
     海水が冷たくて参ったが、子供たちはそんなことにはお構いなしで泳ぎ回る。といって、
    次男と娘は泳げるわけではないので、私と女房は泳ぎたくもないのに、ずっと水に浸かって
    子供を支えていなければならず、ひたすら子供の疲れるのを待った。結局大人の方が先にバ
    テてしまい、無理やり岸に上がって砂遊びをさせる。
     私は水の冷たさのせいか、なんだか腹具合が悪
    くなり、トイレに入った。ところがこのトイレの
    ドアたるや、下は膝より上まで開いているし、上
    は胸の辺りまでしかない。 そのため、便器に腰
    かけているとあとから入ってきた人が前を通ると
    きに目が合ってしまって、まことに居心地が悪い
    角度からして腰から下は見えないのだろうが、だ
    からいいというものでもない。
     外国に行くとドアの下が大きく開いているトイ
    レというのは珍しくないが、アメリカはとくにそ
    れが大きい。聞くところによると、個室内での犯
    罪を防ぐという理由があるらしいが、逆に下から
    手を入れて足元に置いた鞄などを強奪するという事件も結構あるらしい。確かにいきなり足
    元の荷物をさらわれても、ズボンを下ろして用を足している最中では追いかけることもでき
    ないだろう。
     空港や遊園地のトイレでさえそうなのだから、海水浴場のトイレとなればもっと危険なの
    に違いない。そうしたことを考えてのドアなのだろうが、それにしても落ち着かないことこ
    の上もない。
     まだ陽の高いうちにホテルに帰る。部屋に入るなり、子供たちがプールに行くと言う。
     今泳いできたばかりじゃないか、少し休もう。そう言ったが聞く耳を持たない。飛び出し
    て行った子供たちを追いかけて親もプールへ。それほど大きなプールではないが、目が届く
    ので家族連れにはちょうどいい。長男は宙返りして飛び込むなどして一人で遊んでいるが、
    次男と娘は背が立たないので親がついていなければダメで、私はプールなんぞ持っているホ
    テルを恨みながら暗くなるまで水に浸かっていた。
     そのあと道路の向かいにあるコインランドリーに行き、水着の洗濯。洗濯機の使い方が分
    からないので、たまたま洗濯に来ていたおばさんたちに聞くと、親切に教えてくれ、洗剤も
    分けてくれた。使い方といっても、ただ表示されている金額のコインを入れてボタンを押す
    だけだった。

     翌日は日曜日。タクシーでディズニーランドへ。料金は11ドルだと言うので20ドル札
    を出すと、つり銭が6ドルしかないと言う。3ドルはチップとしては多いと思うが仕方がな
    い。それでいいと言うと、急に愛想が良くなる。本当に無かったのだろうか。ちなみに帰り
    は同じ道なのに、7ドルだった。
     タクシーが去ったあとで、だったらクレジットカードで払うと言えばよかったと気づいた。
    なんだか大損をしたような気分になって、しばらく憂鬱であった。
     園内に入るとまずギフトショップとレストランが並んでいる。日本にあるディズニーラン
    ドと同じだ。まあ、当たり前ではあるが。
     正面に城がある。これも日本と同じ。ただこちらは
Sleeping Beauty Castle と呼んでい
    て、日本でシンデレラ城と呼んでいるのとは違う。それにずいぶんと小さい。城というより
    は館という感じだ。
     ミッキーマウスが歩いていたりして、子供たちは握手をしたり抱きついたり、まあ、これ
    も日本と同じというより、日本のものがアメリカと同じなのだが、それはそれで仕方がない。
     カリブの海賊だとか、ジャングルクルーズだとか、ビッグサンダーマウンテンだとか、日
    本でお馴染みのアトラクションがアドベンチャーランドだのトゥモローランドだとかいうエ
    リアに配されているのも無論同じ。
     そもそも世界に冠たるアメリカの遊園地が、それをそのまま日本に持ち込んだのだから、
    何から何まで同じなのが当たり前なのだ。
     だいたいアメリカ人というのは、アメリカがグローバルスタンダードだと思っている節が
    ある。新聞に出ていたが、A国に駐在する各国の大使は懸命にA国の文化や言語を学んで、
    なんとかA国に溶け込もうと努力する。B国でもC国でも同じだ。日本にいる各国大使は押
    しなべて日本通で、日本語をかなり流暢に喋る。
     ところが、アメリカから他国に赴任する大使たちは、その国の言語を覚えようとしないし、
    その国の文化を学ぼうとしないそうだ。アメリカの飛び地にでもいるような気分で治外法権
    に守られた大使館内で数年を過ごし、アメリカに帰っていく。
     そういう風土だから、ザッツ・アメリカともいうべきディズニーランドを日本に作ること
    になったとき、ハードもソフトもアメリカ式をそのまま持ってきた。おあつらえ向きに日本
    人は西欧文化に憧れと劣等感を持っているから、何の抵抗もなくそれを受け入れた。
     これについて書いていると長くなるので、やめるが、アメリカのディズニーランドで見る
    ものすべてが日本のものと同じだと感じたのは、そういう背景があってのことだ。
     子供たちは無論そんなことは考えもせず、乗れるものには何でも乗り、触れるものには何
    でも触り、片時としてじっとしていない。まあ、そのために来たのだからと思い、付き合っ
    ているとスペースマウンテンとかいうジェットコースターのようなアトラクションに長蛇の
    列ができており、無論のこと子供たちが乗ると言い出した。
     歩き続けるのも疲れるが、歩かずに並んでいるというのも疲れるもので、それでも辛抱し
    て少しずつ進んでいたと思ったら、突然列が崩れ、今まで並んでいた人たちがばらばらに散
    ってしまった。どうしたの?と子供たちに訊かれたが、判るわけもない。
    「訊いてきたら?」
    「機械が故障でもしたんだろう」
    「訊いてきた方がいいよ」
    「故障だよ」
    「すぐ直るか訊いてよ」
     悪い予感は当たり、子供たちは私に訳
    を尋ねろとしつこく迫る。
     先述のとおり私はやっと英語を喋って
    いるのであり、それで相当疲れている。
     何か不具合があり、それが告げられた
    ために客が散ったのだということは訊か
    なくたって判っている。判っているのだ
    からなにも訊くことはない。
     だいたいこういう所のスタッフは、それがひとつの売りであるかのように早口で喋る。そ
    んな輩とあまり話したくはない。
     しかし子供にとっては乗れるか乗れないかは大問題であるらしく、その辺を訊いてくれと
    せがんで諦めない。
     やむなく名札をつけた大男に事情を訊いてみると、案の定、機関銃のようにまくし立て、
    まったく理解できなかった。もっとゆっくり言ってくれと頼んで再度説明してもらったが、
    それでも半分も解らなかった。レールの連結部分のボルトが緩んでいたので、締め直すとい
    うことらしかったが、それがどのくらいかかるのかというところで何だかベラベラと言われ、
    どうも他のボルトも点検するのでどうのこうのということで、結局何だかよく解らない。
    「何だって?」
    「ボルトが1か所緩んでいたんで、安全のために他のボルトも全部確認するそうだ。どのく
    らいかかるか分からない。今日はダメだろうってさ」
     半分は私の作り話だ。
     いぶかる子供たちを促して3D映画をやっている建物に入る。3Dの何たるかを見せる短
    い映像のあと、マイケル・ジャクソンのステージ映像が始まった。
     観客たちが一斉に奇声をあげ、画面に合わせて踊り出す。アメリカ人がノリがいいのは分
    かっているが、その興奮は尋常ではない。私にはマイケルのどこがいいのか分からないが、
    どうやらアメリカではスーパーの上にスーパーがつくようなスターらしい。
     そのあとも遊びに遊び、夜のエレクトリカル・パレードを見て、ホテルに帰ったのは何時
    だっただろうか。風呂から出たら日付が変わっていた。

     ウトウトっとしたと思ったら朝。嘘だろう! と言ってみたが窓からの光はもう陽が高い
    ことを示している。
     フロントでシャトルバスを呼んでもらい、ロサンゼルス市内まで行き、そこからタクシー
    でベニスビーチに行く。
     あちこちで水着姿の男女がローラースケートをやっている。旅行雑誌の写真などでお馴染
    みの光景だ。そう、ここはローラースケートのメッカだ。
     ここまで来てこれをやらせないでは話にならないから、貸しスケート屋に行く。ちゃんと
    子供用もあり、膝や肘に当てるプロテクターも借りられる。
 長男はスイスイと、苦もなく滑る。娘は女房につかま
りながら、滑るというよりは転びまくっている。
 次男はというと、これがどういう訳かスケートボード
を借りてスイスイ滑っている。そんなもの、一度もやっ
たことがない筈なのに、子供のバランス感覚というもの
は大人の常識を超えているようだ。
 あっという間に遥かかなたまで行ってしまうので、親
としては見失わないように追いかけなければならない。
行ったり来たり、汗だくになって駆けまわる。アメリカ
くんだりまで来てなんでこんなに走らなければならない
    のか。
     ようやくのことでスケートを返し、昼食となった。露店で買ったホットドッグやトウモロ
    コシだから安いものだ。目の前に広がるのは太平洋。
    「あの向こうは日本だぞ。いつもは海の向こうがアメリカだけど、今日は反対から見てるん
    だ」
     子供たちは「だから何?」という顔をしている。と思ったら突然駆け出した。ビーチに設
    置された鉄棒と吊り輪が目当てだ。
     落ちないのが不思議なくらい派手に遊ぶ。足でぶら下がった娘
    はパンツ丸出しで前後に大きくスイングしている。落ちたときに
    受け止めなければならぬ親は、娘の動きに合わせて前に後ろにバ
    タバタと駆け回る。
     子供は元気なのがいい。それは分かっている。分かってはいる
    が・・・。
     夕方まで遊び、親だけが疲れ、もうバスを乗り継ぐようなこと
    は億劫になっていた。ホテルまでタクシーで帰る。84ドルもか
    かった。
     明日は帰国だ。今日は早めに荷造りをしてゆっくり寝よう・・・と思ったら子供たちはホ
    テルに着くなり、またプールに行くと言う。確かにロサンゼルスの日の入りは遅く、この時
    間ではまだ明るい。しかしそれは夜が短いということなのだから、明るくても夕飯を食べて
    寝ないと明日が大変なのだ、と説明しても、子供たちは聞いていない。
     私はもう着替えるのも億劫なので、ジーパンを履いたまま、プールサイドでビールを飲ん
    でいた。

     最終日、8月16日。
     山本さんがロサンゼルス空港まで送ってくれた。こちらの虫のいい頼みを聞いてくれて、
    呼び寄せ切符の購入に手を貸してくれた上に、初日の迎えと今日の送りをしてくれた。それ
    だけではない。ホテルでカリフォルニア米を炊けるようにと炊飯器まで貸してくれた。
     それに相応するお礼の言葉も述べず、月並みな挨拶をして別れる。
     チェックイン・カウンターでちょっとしたトラブルが起きた。帰りの便に私たちの名前が
    ないというのだ。
     冗談ではない。ちゃんとチケットも持っている。それなのに先方は、リコンファームを怠
    ったのではないか、とまるでこちらの落ち度のようなことを言う。いや、それもちゃんとし
    てある、ということで押し問答に。自分たちがオーバーブッキングをしておいて、責任はこ
    ちらにあると言わんばかりの態度に腹も立ったが、そんなことより飛行機に乗れないとなれ
    ば、その先どうしていいか分からない。当然ねばった。
     やっとのことで予定した便に席が取れ、やれやれという思いで昼食のためフードコートに。
    カウンターについて簡単なものを注文し、やっと落ち着いたとき、娘が自分の手をじっと見
    ているのに気がついた。べっとりとガムが付いている。
     そんなものを買ってやった覚えはない。どこでつけたのか。娘の背丈まで身をかがめてみ
    ると、なんと、カウンターテーブルの裏に、あるわあるわ、噛み潰したガムがほとんど隙間
    なく貼り付けられている。
     アメリカ人というのはなんと公徳心のない民族なのかと、ここでも憤慨。
     気色の悪い思いで食事を終え、搭乗ゲートに向かう。
     ところが、行ってみると掲示された便名が違う。そんな馬鹿なと思って別のゲートに行っ
    てみる。焦る気持と腹立たしい気持とで4、5か所を回り、ようやく予定の便名を見つけた。
    近くの人に訊いてみると、ゲートが変更になったのだという。
     そんなアナウンスは聞いていない。私が聞き取れなかったのかも知れないから、それにつ
    いては腹を立てるわけにもゆかないが、ちと不親切ではないか。ゲートの変更というのはよ
    くあることなので、もう少し分かりやすく、表示をするなりアナウンスを繰り返すなりして
    もよさそうなものだと思う。
     どうも最後の最後でアメリカについては悪い印象が残ってしまった。
     子供たちはそんなことにはお構いなく、元気いっぱい、我さきに乗り込んでいった。成田
    までの長いフライト中、立ったり坐ったり、はたまたトイレに遊びに行ったり、これでもか
    というほど親を疲れさせた挙句、成田から自宅までの車の中では揃いも揃ってぐっすりと眠
    ってしまった。
     12日間さんざん親を振り回しておいて、いい気なもんだと思ったが、寝ているときだけ
    は親孝行な子供たちなので、旅の最後としてはいいのかも知れない。



子どもの元気で親はくたくた(2) ヨーロッパ美術巡り(1)
     
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