恥の基準はどこに(1)  金のためなら恥など忘れる中国人?


孔孟の教えもどこへやら


    「コーラ買ってくる」
     そう言うなり、長男が駆けだした。次男と娘があとを追う。
     北京について空港で両替をするつもりでいたのだが、大変な混雑にうんざりして、そのま
    まホテルに入った。だからまずは両替と思って、フロントで円を少しばかり元に替える。
    「これが中国のお金だぞ」
     そう言って渡した1枚を受け取るなり駈け出した子供たち。
     オイオイ、ここは中国だぞ。中国語だぞ。売店の場所、分かってるのか?
     呆れながら待っていると、3人それぞれコーラを持って、子供たちが帰ってきた。めくら
    蛇に怖じずというか、ノーテンキというか。
     長男は小学6年生。次男は1年、娘は幼稚園の年長組だ。中国という国に興味がある筈も
    なく、ただ毎年の家族旅行が今年は中国というだけのこと。



     だから万里の長城などと言ったって、それ何? という感じで全然反応しない。
     それでも途中で立ち寄った明の十三陵では元気に走り回る。興味の対象は参道に居並ぶ石
    像群だ。武人、文人、象、駱駝、馬、麒麟などの巨大な像が道の両側に並び、あたかも参拝
    客を歓迎しているように見える。
     無論そんな意図で置かれたものではないのだが、それはどうでもいい。子供たちはその巨
    大さに興奮ぎみで、像を囲む鉄柵によじ登ったりしている。
     柵? 2年前に来たときは柵などなかった。だから駱駝の背に登り、悦に入ってポーズも
    とった。まあ、鉄柵に登る子供と同じレベルだ。
     そんな輩が多いことから柵が設置されたのであろうということは想像がつく。私も原因の
    一人かも知れない。だが私は反省の気持などは起こさず、子供たちに石像に登る父親の雄姿
    を見せられない無念さで、当局の無粋な措置を恨んだ。
     陵内の見学を終えて出ると、広い石畳が続く。それが切れると、そこからは両側に土産物
    の露店がひしめく未舗装の空き地になる。どうやら石畳の部分は商売禁止区域になっていて、
    駐車場までのわずかな空き地が官憲の管理が及ばぬ商圏になっているらしい。
     売り手の呼び込みがかまびすしい。
    「シェンシェイ、ボーシ!」
    「イチエン、イチエン」
     うるさいが、それは仕方がない。日本でも観光地の土産物屋通りなどでは、程度の差こそ
    あれ、呼び込みはある。
     ただ、ここ中国では用心が必要だ。
     売り手は子供に目をつける。そして駆け寄ると、有無を言わさず土産物を手渡す。Tシャ
    ツを体に当てたりもする。愛想笑いをするでもなく、猫なで声を出すでもなく、ほとんど叫
    ぶように何やら言いながら強引に押し付けてくる。
     その勢いはすさまじいもので、娘は怯えて後ずさりしたほどだ。
     私は同じ光景を2年前に見ていたので、きつい声で「プーヨウ(要らない)!」と断った。
     もし子供が訳も分からぬまま受け取ったりしたら、あとは代金を払うまで金切り声でわめ
    き散らし、中国語の解らぬ日本人はその剣幕に押されて買ってしまう。2年前に見た光景が
    まざまざと蘇る。
     勝手の分からぬ外国人、それも比較的財布の紐が緩い観光客をターゲットにしたこういう
    やり方は恥ずべきことだと思うが、中国では当り前のように繰り返されている。
     
     万里の長城でも同じ。駱駝が繋がれていて、背中に乗って記念写真を撮れるようになって
    いる。写真屋がいるわけではなく、客はみな自分のカメラで互いに撮り合う。それで1回2
    元(約200円強)はかなり高い。なにしろ中国人の平均月収が40元だそうだから、駱駝
    に跨るだけで月収の20分の1が吹っ飛ぶことになる。
     浮かれた観光客相手のぼったくり商売であるが、それを承知で乗る客はいるし、いやなら
    乗らなければいいのだから、まあいいとしよう。
     長男、次男がそれぞれ乗って、そのあと娘はまだ一人では無理なので、女房と乗った。私
    はそれぞれの写真を撮って、10元札を出した。お釣りが2元しか返ってこない。一緒に乗
    ろうが別々に乗ろうが、1人2元で4人だから8元なのだという。
     2人乗せて歩くのなら駱駝も疲れるかも知れないが、ここではただ立っているだけである。
    それに女房と娘を合わせたよりも遥かに重そうな客はいくらでもいる。
     第一、乗る前には1回2元と言っておいて、いざカネを払う段
    になってから1人2元だと言い出すというのは、いかにもあざと
    いではないか。私は文句を言ったが、日本語だったから通じる筈
    もなく、よしんば通じたとしても折れるような相手ではない。
     幸いこのときはガイドの何平さんが猛然と抗議をしてくれ、合
    計6元で済んだが、不愉快さは残る。中国人はそういうやり方を
    国の恥だとは思わないのか。

     この旅行は近畿日本ツーリストのパックツアーで、参加者は私たち5人のほかに父母と子
    供2人の4人家族、合計9人であった。
     北京での現地ガイドが何平さん。若いが日本語もかなり流暢で、なによりシャツの裾をズ
    ボンの中に入れているのが中国人らしくない。ただ、足元はサンダルで、それはいかにも中
    国人らしい。
     観光の途中で土産物屋に寄るが、これはもう仕方がない。店員の横柄な態度も仕方がない。
     店員は仲間同士のお喋りに夢中で、客が呼んでも、チラッと客の方を見るだけ。2、3度
    呼んでやっと応じても、いかにも不機嫌な態度でぶっきら棒に答える。
     中国語であるからまるで解らないのだが、「没有(メイヨウ)」という単語だけは覚えた。
    「ありません」という意味で、2年前にもいやというほど耳にした。本当にないのか、面倒
    くさいから無いと言っているのか、その辺は判らない。今回も同じだ。
     まあ、店員にしてみれば、なまじ客が来たために同僚とのお喋りが邪魔されて迷惑なのだ
    ろう。だからそれも中国流だと思って我慢しよう。
     だが、トイレの汚さだけはどうにかならないものか。
     外国人用の店であるから、一応各個室にドアがついている。そのドアの下から水が外に流
    れ出してトイレ全体の床がビショビショ。それはまだ我慢しよう。
     一か所ドアの開いた個室があり、その前を通ると、中にしゃがんで大きな用を足している
    男がいた。なぜ閉めないのか。
     中国では公衆便所に仕切りがないことが多い。建物に入ると中はがらんとしていて、床に
    長方形の穴が並んでいる。そこに数人がしゃがんで大便をしているという光景は2年前にあ
    ちこちで見ていたから、特別驚きはしない。
     しかしドアがあるのにわざわざ開けたまましているというのは、理解できない。
     この店は外国人観光客を対象にした店で、商品にはべらぼうな値段がついている。通貨も
    外国人用の兌換券しか使えない。
     だから個室にいた中国人は従業員なのだろう。であれば、外国人が他人の排便の様を見て
    嫌悪感を抱くということぐらい分かっている筈だ。にも拘わらずドアを開けてしているとい
    うのは、いくら習慣とはいえ、いただけない。
     どうも店員の態度としい、空港や駅などの係員の態度といい、遠来の客をもてなすという
    意識はまるでないようだ。
     それはホテルでも同じで、我々の泊るホテルは外国人用の高級ホテルなのだが、それでも
    信じられないことが沢山ある。
     まず洗面所の蛇口に「熱」と「冷」の文字がついているので、当然「熱」がお湯で「冷」
    が水だと思い、蛇口をひねったところ、「冷」から熱湯が出てびっくりした。別の場所では
    両方の蛇口に「熱」の字がついていた。
     天井の電気は切れている。文句を言ったところですぐに直す筈もないから、壁の薄暗い電
    気で我慢。
     風呂は洋式であったが、バスタブにカーテンがないのでシャワーが使えない。湯はチョロ
    チョロとしか出ないので、溜めるのに大変な時間がかかる。1人ずつ湯を流していては何時
    間もかかるので、湯は流さずに入った。
     トイレには洗浄用のタンクがあるが水が入っていない。しかたなく洗面所から少しずつ運
    んで、タンクを一杯にしてから用を足す。洗面器を使ったが、これが全面に金魚の絵がかか
    れたもので、ぴちゃぴちゃと揺れる水と真っ赤な金魚に腹立たしさが増幅する。




     翌日は北京市内の観光。
     天安門広場を通り、故宮の見学を終えて北門を出た所で肉まんを売っていた。自転車の荷
    台に積んで売っている。つまり外国人用の店ではないということで、人民幣が使える。
     当時中国には外貨兌換券、人民幣という2種類の紙幣があった。空港やホテルで両替でき
    るのは兌換券で、当然外国人は兌換券を持たされる。
     観光施設や博物館などの入場料は「外賓」と「人民」とで違い、外賓つまり外国人は人民
    の約10倍の金額になっている。つまり、外国人は何をするにも中国人の10倍のカネを払
    わされる仕組みになっているのだ。
     博物館でガラスケース越しに同じ物を見るのに、外国人が見たら展示品が10倍傷むとい
    うことはなかろう。それなのに外国人は中国人の10倍のカネを払わなければならない。言
    い換えれば、外国人からは10倍のカネをふんだくるということだ。
     それを国家がやっている。なんという恥知らずなのだろう。利益のためには倫理も道徳も
    ない。誇りも矜持もへったくれだ。
     その兌換券は、闇のレートで人民幣より多少高く扱われるから、中国人でも兌換券を欲し
    がる人はいる。だから観光地の露店でも使え、お釣りに人民幣がくることもある。
     人民幣は紙質も低劣で、たいていは図柄も定かでないほど傷んでいる。私も2年前に何回
    か受け取ったが、それは日本円に替えられないので、ほとんどそのまま持ち帰った。今回は
    それを持ってきている。
     そこで私はその人民幣を使って肉まんを買った。10個で1元。リンゴも買ったが、それ
    は4個で1元。兌換券は1元が100円強であったが、闇両替屋で2人民幣と交換できるか
    ら、1人民元はだいたい50円くらいということになるだろう。もっともこの両替屋が油断
    のならない連中ばかりで、よほど注意してかからないと、このレートでは交換してくれない。



     4日目の早朝、洛陽に着いた。前夜から13時間かけて列車で来たので体中が痛い。それ
    はいい。家にいるような楽ばかりではないのが旅行だ。
     なにより、洛陽という所に来たという事実が気持を昂ぶらせる。
     洛陽といえば、芥川龍之介の『杜子春』の舞台である。
    『杜子春』は、「或春の日暮です。唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、
    一人の若者がありました」という文章で始まる。その短い話の中には洛陽という地名が何度
    となく出てくる。
     子供のころ誰もが読んだ『杜子春』。その洛陽の都に自分が来たと思うと感慨もひとしお
    である。むろん『杜子春』に描かれた都の様子が今も保たれている筈はないが、洛陽という
    地名だけで十分気持が満たされる。
     それに洛陽といえば、有名な龍門石窟のある所だ。
     その龍門石窟に向かう。伊河という川の畔の巨大な岩山に穿たれた石窟寺院群で、北魏が
    大同から洛陽に遷都したときから造営が始まったというから5世紀末のことになる。その後
    約400年にわたって2千以上の石窟が掘られ、大小10万体の仏像が安置されているとい
    うから驚く。
     とても全部は見られないが、主だった石窟とその中に彫られた仏像を見て歩くだけで、そ
    の技術の確かさに舌を巻く。とりわけ奉先寺の蘆舎那大仏はその端正な顔立ちが日本の仏像
    に通じるもので、親しみが湧く。
     実はこの蘆舎那大仏の顔は、かの則天武后がモデルとされているのだが、残虐非道な女帝
    のイメージはまったくない。こんな穏やかな顔をして夫の先妻の手足を切り取ったり酒壺に
    入れて殺したりしたのかと、いろいろな角度から見上げてみたが、どうしても想像は膨らま
    なかった。
     古代エジプトのファラオ像もそうであるが、モデル自身が写実より美化を望み、彫刻家た
    ちもまたモデルの機嫌を損ねまいと精を出した結果かも知れない。
     ここでも我が家の子供たちは鉄柵を見てはよじ登ったり、水たまりに棒を突っ込んだり、
    意味のないことで遊んでいた。
     石窟群が途切れる辺りに土産物の露店が並んでいる。中国ではどこに行っても見られる光
    景だ。その中に龍門石窟の写真集などを売っているところがあった。
     手頃なものがあったので「いくら?」と日本語で訊いた。そういう場面で訊くのは値段し
    かないから、何語であっても通じる。
     相手が指を2本出し、次に5本出す。25元だ。2500円強というところで、ちと高い
    が、ここでしか買えないだろうと思い、買うことにする。
     すると全線随行の劉さんが私の手からその本を取り、裏表紙をめくって「これは8元です
    よ」と言った。なるほど8元と書いてある。一見の外国人だと思って吹っ掛けたのだろう。
     全線随行とは、ツアーが中国に入ってから中国を出るまでついているガイドのことで、そ
    れとは別に各都市ごとに現地ガイドもつく。そのころ中国観光は団体でなければビザが下り
    ず、団体には必ず全線随行と現地ガイドがついていた。
     劉さんとは4日目で、2家族9人の小さな団体であるから気心が知れていた。9人のうち
    5人は子供であるから、劉さんも肩肘張らずに付き合ってくれていた。
     劉さんは売り手の男に抗議してくれた。しかし男はえらい剣幕でなにやら言い返し、いつ
    かな話がつかない。
     私は劉さんに面倒をかけることより、売り手の恥知らずなやり方に不愉快な思いが募り、
    買う気がなくなった。劉さんを制してその場を離れた。
     龍門石窟は既に述べたとおり伊河の畔にある石窟群だ。つまり岸辺が各寺の境内のような
    按配になっている。その岸辺のあちこちに木箱を置いて商売をしている男女がいる。箱の中
    身はアイスキャンデーだ。
     とくに買いたいとも思わず歩いていると、けたたましいバイクの音がした。警官だ。
     すると、キャンデーを売っていた男女が慌てたように箱を抱え、逃げ出した。ザブザブと
    水をはね上げながら川の中に逃げて行く。ここは境内であり、商売は禁止されているのだろ
    う。
     警官はバイクに乗ったままそれを見送るだけで、水に入ってまで追いかけるということは
    ない。キャンデー屋の方も心得ているとみえ、川の中で立ち止まって警官の方を見ている。
     やがて警官は去る。キャンデー屋はまた岸に戻り、何事もなかったようにまた商売を続け
    る。しばらくするとまたバタバタとバイクの音。キャンデー屋は逃げる。
     私たちが歩いた岸辺は1キロかそこらだと思うが、そのわずかな間にそんなことが2、3
    度あった。どう見ても警官が本気で捕まえようとしているようには見えない。そもそも捕ま
    える気なら、あんなバイクの音などさせず、大勢の観光客の間を歩いてくれば逃げられるこ
    ともないだろう。
     2年前の経験から、中国では大抵のことがワイロで解決することを知っていた。だからあ
    のキャンデー屋たちは、バイクの警官た
    ちに陰でワイロを渡しているのだろうと
    思った。
     警官も一応取り締まりのポーズはとる。
    キャンデー屋も逃げることで警官の顔は
    立てる。
     そんな了解ができているから、川の中
    ほどで立ち止まって平気でいるのに違い
    ない。
     警官だって、指呼の間に立ち止ってい
    る連中の顔は覚えている筈であるから、
    捕まえる気ならあとでいくらでも捕まえ
    られるだろうに、それをしないというの
    はいかにも不自然である。
     世界に名高い観光地であり、そこでの振る舞いは多くの外国人の中国に対するイメージを
    左右する。しかし、そんなことはどうでもいいらしい。儲かりさえすれば、自分の国がどう
    思われるかなどということはどうでもいい。
    「恥」という概念はないのだ。
 
     ナントカ餐庁というレストランで昼食。
     中国ではわざわざ「冷えたビール」と言わないと生温かいビールを飲まされる。
    「冷えた」と注文しても大抵は「メイヨウ(ありません)」と言われるが、こっちにしてみ
    ればビールが冷えているかどうかは大問題だから、押し問答になるのが常だ。しつこく言う
    と冷えたものを持ってくることもある。さっきの「メイヨウ」はなんだったのか。
     このときも粘ったが、「メイヨウ」「メイヨウ」の一点張りで、結局は炎天下に置いてあ
    ったのではないかというようなものを飲まされた。
     まあ、郷に入っては郷に従うしかあるまいと自分に言い聞かせ、一口含んで止まってしま
    った。腐臭が口いっぱいに広がり、飲み込むことなどとうていできない。口にビールを含ん
    だままトイレに走り、吐き出す。蛇口の水を手ですくってうがいをするが、匂いはとれない。
     席に戻り、料理を次々と飲み込んで口の中を掃除する。もう一家族の父親は、グラスを口
    元に持っていったところで匂いに気づき、飲まなかったとのこと。
     中国ではビールに期待できないと分かってはいるものの、さすがにこれはひどい。離れた
    席で食事をしていた添乗員とガイドに訴えて、善処を頼んだ。
     ガイドがウエイトレスになにやら言っていたが、ウエイトレスはふてくされた態度で別の
    瓶を持ってきて、テーブルに無言で置くと、行ってしまった。
     私たちはもう飲む気もなくなり、生温かい水での食事となった。
     ビールを冷やして飲むという習慣がないのなら、それはそれで仕方がない。しかし外国人
    客がことごとく冷えたビールを注文するのだから、外国人用にと割り切って冷やしておけば
    いいではないか。
     第一、外国人は中国人の10倍の代金を払っているのだから、外国人がビールを飲めば、
    10倍の利益が転がり込むわけだ。冷やすことによって売り上げも伸び、それだけ儲けにな
    るではないか。
     ただ、中国ではレストランも商店も原則的に公営であり、地方の人民食堂でもなければ個
    人経営はない。つまり、客が増えようが利益が上がろうが、従業員の給料は変わらない。
     それでも客に喜んでもらえれば働き甲斐があるだろうし、あの店はおいしいと評判になれ
    ば自分たちの誇りにもなるだろう。
     いや、そう思うのは日本人であって、彼らにとっては「働き甲斐」とか「誇り」という言
    葉に価値はないのだ。
     だから面倒な客は迷惑だし、もっと言えば、客が来ないのが一番いいということなのだろ
    う。
     そしていきおい、客に対しては敵意とも感じられる態度をむき出しにする。「冷えたビー
    ル」と言っただけで睨みつけるように「メイヨウ!」と吐き捨てるウエイトレスに慣れるの
    は、日本人にとって容易なことではない。

     白馬寺参拝。
     白馬寺という寺があることすら知らなかったが、なんでも後漢の時代に創建されたらしい。
    なんとかいうインドから来た偉いお坊さんが白馬に経典と仏画を載せて洛陽に来たのを歓迎
    して建立したとか言っていたが、それ以外の説明は全部忘れてしまった。
     小じんまりした山門はあちこちで見られるごてごてと飾り立てた山門に比してシンプルで、
    好感が持てる。文字通りレンガ色をしたレンガの重厚さも良い。
     堂内の仏像は極彩色で、ポーズも表情もタイガーバームガーデンにでもありそうな、稚拙
    な作りに見える。これは本尊を守る四天王だろうからまあいいかとも思うが、それでは本尊
    はというと、これが全身金ピカで、土産物屋の店頭にでも置いたら似合いそうなバタ臭い風
    情である。
     ツルツル頭に太鼓腹の、まるで布袋様のような仏像もあり、げんなりする。後日分かった
    ことだが、中国では布袋様になぞらえた太鼓腹の弥勒菩薩が多く作られているそうで、どう
    も日本で見慣れた弥勒菩薩の崇高なお姿とはかなりイメージが違う。破顔一笑といった態も、
    なんだか軽い感じて崇敬の念が湧かない。
     もっとも仏様のお姿をどう表現するかは国により人により違うわけで、日本人が違和感を
    持つからといって、それが日本より劣っているというものではない。中国の人たちが親しみ
    敬っているものにケチをつけるつもりはない。
     まあ、珍しいものを見たということで良しとして外に出ると、次男が死んだコウモリを持
    っている。コウモリが好きだという御仁にはあまりお目にかからない。薄気味悪さが漂う動
    物であるが、初めて見る子供たちにしてみれば珍しさの方が先に立つらしく、妹と取り合っ
    て遊んでいる。
     
     そのあと自由市場を見学。といっても集合時間だけを決めての自
    由散策だが、これにはちょっと興味があった。
     中国では解放、文化大革命を通じて自由経済が厳しく圧迫され、
    個人の商売は禁止されていたが、実際には庶民の間では細々と続け
    られていた。
     とりわけ中央官憲の目が届きにくい農村部では家庭の副業として
    農作物を市に出すことが日常的に行われており、人々は食料品のか
    なりの部分を自由取引に頼っていた。いわば闇取引であるが、これ
    はある意味自然なことで、日本でも戦後のヤミ市がなかったら一体どれだけの餓死者が出た
    か分からない。だから官憲の取り締まりも形式的なものにとどめざるを得ず、警察官自身が
    ヤミ食糧の買い込みに奔走していたという。
     中国農村部におけるヤミ市場も、いわば社会の必要悪として見逃されており、次第に拡大
    されていった。
     そして1970年代の末になると、農村の市における売買は社会主義経済の「補完」とい
    うこじつけで正当化され、農副産品市場などという取ってつけたような名称で公認されるよ
    うになる。
     そうなると個人取引もエスカレートして、次第に農産物以外の商品が紛れ込むようになり、
    あれよあれよという間に都市部にまで拡大してゆく。今ではそうした市場は「自由市場」と
    呼ばれ、どこにでもある。
     そういう流れは机上の理念ではどうにもならない経済活動の必然であり、その自由市場に
    行けば、庶民の活力が満ち満ちた真の中国が見られるであろう。国策として観光客に高価な
    土産物を売りつける「友誼商店」などにはない、人々の喧騒に浸ることもできそうだ。
     そう思って歩いた自由市場は、確かに活気があった。いささかあり過ぎた。
     いったい中国の庶民はなんであんなに喧嘩をするのだろう。あっちでもこっちでも口角泡
    を飛ばし、ときには掴みかからんばかりにして怒鳴り合っている。男も女もない。
     まあ、自分に火の粉がかからない喧嘩であるか
    らどうということはない。むしろ面白がって見て
    はいたが、子供たちはさすがに緊張したようで、
    顔をこわばらせている。
     そんな中で、若い女性二人が話しかけてきた。
    日本語を勉強しているという。しかし会話ができ
    るレベルではなく、1人が身ぶりで筆談をしたい
    と言ってきた。
     持っていた手帳を渡すと、そこに漢字とかなの
    混じった文章を書いて、私に見せた。
     さすが漢字の国だけあって、漢字は問題ない。
    文章としては怪しかったが、それを指摘すると長
    くなるので、私は次のページに「你・日本語・是
    」とデタラメなことを書いて見せ、その場を離れ
    た。



台湾大名旅行(2) 恥の基準はどこに?(2)
     
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