恥の基準はどこに(2)  そもそも恥を知らない中国人?


孔孟の教えもどこへやら


     翌日は洛陽博物館で黄巾族の武器など見てから洛陽駅に向かう。
     中国での列車の旅は悪くない。なにしろ景色が変わらない。何時間走ってもまったく同じ
    農村風景が続く。畑の色が日本と違う。
     子供のころ、クレヨンにオード色というのがあった。何の考えもなくオード色と言ってい
    たが、長じてそれが黄土の色だということが分かった。そして2年前、鎮江から上海への列
    車旅でどこまでも続く黄土の大地を走り、なるほどと合点がいった。
     そして今回、やはり同じような風景を延々と見続け、それでいてまったく飽きることがな
    い。「大地」という言葉が実感できる。そういえばパール・バックの長編小説『大地』の舞
    台は中国の農村地帯であったことを思い出す。
     といって、実は私はその小説を読んでいない。必読の名著といわれ、読みかけたことはあ
    るが、退屈で投げ出してしまった。私は列車の窓からいつまでも続く黄土の大地を眺め、改
    めてもう一度読んでみようと思った。それなのに、その後もまったく読んでいない。
     まことに恥ずかしいことであるが、それはそれとして、黄土の中にときどき現れる溜め池
    のようなものに目がいく。どの池にもたいていアヒルが見えるが、水牛が浸かっている所も
    多い。
     鋤を曳いている水牛もいるが、働いていない水牛はだいたい水の中で、水牛とはよく名付
    けたものだと思う。
     車窓から見ているぶんにはのどかでいいが、近くで見ると水牛というのはどうも汚い。し
    かも臭い。その水牛の浸かっているそばで洗濯しているのを見ると神経を疑ってしまう。
     10時間列車に揺られ、いささか体がきしみ始めたころ西安に着く。そのままホテルへ。



     朝、子供たちに「ここは唐の都長安だぞ」と講釈。むろん「だから何?」というだけで何
    の興味も示さない。
     腹立たしいことだが、まあ仕方がない。それよりもなぜ長安という地名を西安に変えてし
    まったのだろう。唐の都長安といえばかつては世界最大の都市と目され、日本からもたびた
    び遣唐使や留学生が訪れている。今の奈良や京都の町づくりも長安に倣っているという。
     その由緒ある地名を西安などと呼ぶのはどうも勿体ない。
     まあ、文句を言っても仕方がないので、バスで乾陵へ。ホテルからはちょうど2時間かか
    る。
     高宗と則天武后を合葬した陵墓で、通称おっぱい山という二つの小山をそのまま両者の墓
    としている。参道は広くなだらかな登りになっていて、煉瓦を敷き詰めてある。両側に文官
    武官の石像がずらりと並ぶ様は圧巻で、この参道だけ見ても被葬者の権力の大きさが偲ばれ
    る。
     高宗の葬儀に参列した外国の王や使節の像が参道の両側に立ち並ぶ所があった。あとで聞
    いたところによると120体ほどあるということだったが、見たときはそんなにあるとは思
    わなかった。
     奇怪なのはそれらの首がすべて切り落とされていることで、ガイドの周さんによればその
    理由は不明とのことであった。
     まあ、確かに不明といえば不明ではあるが、いくつかの説はあり、日本人の私だって一つ
    や二つは知っている。西安観光の専門ガイドが知らないというのは、ちょっとばかり怠慢で
    はないのか。
     私がいかにもありそうだと思っていた理由は、それら使節を送った国の人間が自国の使節
    像の首を切り落として持ち去ったという説だ。
     帝国というのは一人の帝(王・皇帝)が国を治める中央集権国家であるから、その一人を
    倒せば国全体を奪うことができる。ゆえに帝の命を狙う勢力は国の内外にあり、帝は終生、
    心の休まる時がない。
     国を奪った者は、前政権を慕う者による復讐を恐れて、前政権に心を寄せる者を粛清する。
    であるから、既に亡くなった高宗の葬儀に参列していたとなれば、その参列者の国と国民は
    いつ新政権によって粛清されるか分からない。そこで自らの安泰を考え、自国からの参列者
    がいたことを隠そうとしたのではないか。
     高宗は倒されたのではなく、皇后の則天武后があとを継いでいる。だから使節を参列させ
    た国々は競って忠誠の証拠となる像を寄進したである。つまり則天武后の機嫌をとろうとし
    たのであり、武后はそれを見て悦に入っていたに違いない。
     だから、像が壊されたのは則天武后が死去したあとということになる。
     そう思って見ると、首のない石像が屹立する光景は千二百年あまりの時を越えて当時の人
     々のうろたえぶりをまざまざと想起させる。
      なにしろ則天武后といえば中国史上ただ一人の女帝であり、皇位につくためにはいたい
     けな我が子まで手にかけ、皇位についたあとは前皇后の四肢を切り落として半死の状態で
     酒壺に浸けたという悪名高い人物である。
(則天武后については別稿「武則天考」をご一
     読ください)

      私は子供たちに、高宗と則天武后について大雑把な
     説明をした。しかし子供たちは毛ほどの興味も示さず
    、首のない石像によじ登って遊んでいる。
      まあそんなものだろう。私は自分の興味から、近く
     にある永泰公主墓に向かった。          
      永泰公主は則天武后の孫娘で、字(あざな)を穠輝
     (じょうき)といった。父・中宗をないがしろにして
     専横の限りを尽くす祖母に内心反感を抱いていたこと
     は想像に難くない。
      そんな穠輝は、祖母が寵臣・張易之と昌宗兄弟をあ
     まりに重用することを密かに批判していた。それが密告され、激怒した武后によって死を
     命じられる。ときに17歳である。
      あまりのことにそれを哀れんだ父・中宗が公主の名を追贈し、乾陵に陪葬した。それが
     永泰公主墓であり、中に入れるという。
      塚の手前が拝観券売り場になっていて、すぐに地下に続くスロープがある。あとで調べ
     たら87メートルということだった。その両側の壁には白虎、青竜、文官、官女などがび
     っしりと描かれ、その姿は奈良県明日香村の高松塚古墳に描かれた女子群像によく似てい
     る。
      描かれた人物の数からいうと文官や武人などより官女の割合が高いように感じられるが、
     それは埋葬された人間が17歳の少女だということと関係があるのだろうか。
      壁画の前には一応柵のようなものがあるが、それは柵というよりはスロープを歩くため
     の手摺という感じで、手を伸ばせば絵に届いてしまう。となると触ってみたくなるもので
     、私はほとんど無意識に指で絵をこすってみた。手に絵具がつく。
      慌てたが、考えてみればこんな観光客がぞろぞろ歩く所にオリジナルの絵が剥き出しに
     なっているわけはない。聞いてみるとやはり、本物は陝西省歴史博物館に収蔵されている
     のだという。私が2年前にその博物館に行っているのだが、気がつかなかった。今回も行
     く予定なので、見落とさないように気をつけておこう。
      ここでも子供たちは狭い墓道を通って墓室に入って行くということには興奮していたが、
     それは遊園地の迷路にでも入って行くような遊び気分だけであり、悲劇の皇女にまつわる
     歴史なんぞにはまったく興味を示さなかった。
      西安市内まではまた80キロほどの道を戻る。小さな団体なので、バスといっても十数
     人乗りの小さなマイクロバスであり、乗り心地は極めて悪い。
      そんな揺れるバスの中で、娘はぐっすり寝ている。娘の特技だ。
      西安の西門に着き、娘を起こす。起きるなり、喉が渇いたと宣う。結構なご身分だ。
      ハイお嬢様、と言いたいところだが、飲み物は危険だ。2年前、添乗員の山本さんから、
     外で売っている飲み物は絶対に飲んではいけないと言われた。瓶に入っていてもダメ。そ
     もそも製造工程が不衛生なのだから栓などされていても意味がないのだという。
      そう言われて見ると、道端でバケツの水に浸けられて売られているコーラやジュースは
     どうも色が薄い。薄く作っているのか、栓を開けて薄めて数を増やしているのか、疑えば
     きりがない。
      そこで今回は水筒を持ってきており、朝ホテルでお湯を入れている。ところが今日は炎
     天下の乾陵でそれをすっかり飲んでしまい、一滴も残っていない。
      さてと思ったとき、門の前で西瓜を売っているのが目に入った。中国ではどこに行って
     も道路に西瓜を積んで売っている。西瓜なら薄めるも何もあるまい。
      全線随行の劉さんに頼んで買ってもらった。大きな西瓜だが、切り売りはしないという
     ので、1個買う。人民元で1.5元。こういうとき、中国人の劉さんは人民元が使えるか
                       らいい。
後ろは劉さん

  ほかにも買っている人がいて、拳で叩き割って
 かぶりついている。劉さんが言うと、包丁で切っ
 てくれた。だったらほかの人のものも切ってやれ
 ばいいのにと思うが、どこの売り場でもみんな叩
 き割って食べている。まあ、豪快でいいが。
  ただ、折角の西瓜も路上に積んであるものをそ
 のまま割って食べるわけだから、冷たくはない。
  中国人は、ビールも西瓜も冷やすということが
 ない。冷やしたものを所望すると、怪訝な、とき
 には不機嫌な顔をする。1週間も10日も生温い
 ビールを飲まされると思うと、それだけで中国旅
 行をためらってしまう。
  一方我がお嬢様は、食べ終わるなり、オシッコ
                       と言い出す。
      西門には、入ったところにトイレがある。妻が娘を連れて行く。しばらくして出てきた
     が、してこなかったという。水洗でないことは知っていたが、中に仕切りがないことと、
     あまりの汚さに娘が拒否反応を示して、どうしても近寄らないのだという。
      何度も書くが、どうして中国人はトイレに無神経なのだろう。個人の家ならともかく、
     公衆便所、それも外国人が次々と利用する観光施設のトイレなら中に仕切りをつけたり水
     洗にするくらいの手間と費用は惜しむことではないと思うのだが。
      男が立って小便をするのならまだしも、大便をしたり女性がしゃがんで用を足したりと
     いう姿がお互いに丸見えということに何の抵抗もないのだろうか。
      仕方なくホテルまで我慢することになるが、小さなグループとはいえ一応パックツアー
     であるから、他の予定を切り上げてホテルに直行というわけにもいかない。
      我慢、我慢でやっとホテルに着き、大事に至らずに済んだ。ホテルは水が出なかったり
     はするものの、一応どこでも水洗になっている。だったら観光地もそうすればいいのにと、
     改めて思う。

      さて、トイレが済んでホッとすると、やることがない。
      街でも散歩しようかと外出。歩いていると小雁塔に出た。塔の周りが公園のようになっ
     ていて、入るには入場料がいる。例によって「外賓1.2元、人民0.1元」と書かれて
     いる。
      私はいくつかの施設で人民料金で入ろうとしたが、どこも入れてくれなかった。同じも
     のを見せて外国人からは10倍のカネを取るという恥ずべきやり方なのに、窓口の係員は
     恥じることも恐縮することもなく、横柄に構えて外賓料金を要求する。
      ここ小雁塔でもそれは同じ。私は皺くちゃな人民幣で1元を出し、後ろにいる家族を指
     して指を5本出した。案の定、係員はなにやら早口で外賓料金を払えと言っているらしか
     ったが、私は日本語で「5人、5人」と繰り返した。
      時間にしてほんの数十秒だったと思うが、係員は根負けしたのか、面倒だと思ったのか、
     「入れ」というジェスチャーをした。ダメ元で粘ったものの、本当に入れるとは思ってい
     なかったので、こちらも驚いたが、人民料金でOKになったのだったら、0.5元、つま
     り5角のお釣りを貰わなければならない。
     「お釣り」
     と日本語で言ったが、むろん通じない。チェンジと言っても通じない。私は手帳に「五角」
     と書いて相手に見せ、「お釣り」と繰り返した。
      係員は無言で5角をよこした。周りに誰もいなかったし、係にしてみれば外国人が入っ
     たか中国人が入ったかということが上役に知れるわけでもないので、面倒くさくなったの
     だろう。
      入ってから、ふと気づいたが、入場券はもらわなかった。ということは、あのカネはど
     こへ? まあ、いいか。
   



      翌日。出発してまず土産物屋に行く。
      これにはさすがにうんざりして、店内には入らず付近を歩く。折しも葬送の列が通りか
     かり、その賑やかさに驚く。龍の張りぼてのついた荷車に黒い棺を載せて、大勢で曳いて
     いるのだが、銅鑼を叩き、ラッパを吹き、何事かと思うほどの騒ぎだ。
      しかし、通行人はまったく関心を示さず、ほとんど一瞥もくれずに通り過ぎる。まあ、
     見慣れた光景なのだろうが、私たちにとっては大変なもので、子供と一緒にしばらく後に
     ついて歩く。
      荷車の粗末さと棺の立派さがなんともちぐはぐだが、そういえば前に戦争で中国に行っ
     ていたという人から聞いたことがある。中国人にとって最高の親孝行は、親の生いている
     うちに親の棺桶を作ることだというのだ。
      これはなるほどと思う。自分が死んだらちゃんとした棺に入れて送ってもらえるだろう
     かという心配をしなくて済むのだ。その棺桶が立派であればさらに安心だ。
      考えてみると、外国で見る棺は押し並べて立派だ。タイなどでは川沿いのオンボロ葬儀
     屋に漆塗りと思しき棺桶が並んでいたりする。それに引き換え、日本では棺桶はただの木
     箱だ。どうせ燃してしまうのだし、本人は分からないのだからそれで十分とも言えるが、
     日頃そういう棺を見ていると、自分もああいう木箱に入れられるのだということが分かっ
     てしまう。
      私個人に限って言えば木箱も要らないし、布袋でも毛布でも十分ではあるが、死者を敬
     う気持という観点から見ると、日本人はあまり褒められたものではない。
     
      またバスに乗って華清池へ。いわずと知れた玄宗皇帝と楊貴妃ゆかりの場所であり、『
     長恨歌』の舞台である。
      楊貴妃、長恨歌については別稿(「楊貴妃考」『長恨歌』再読)に書いたので重複を
     避けるが、私としては思い入れのある場所で、できれば池の畔で静かにものを思ってみた
     いものである。
      しかし、実際には人が多く、楊貴妃の格好をした記念写真用のモデルが何人も歩いてい
     たりして、とても落ち着ける場所ではない。
      それにしても、中国人というのはどうしてあんなに写真が好きなのだろう。
      どこに行ってもそうだし、中国人がほかの国を観光しているときもそうだが、とにかく
     写真を撮る。まあそれはいいし、日本人だって名所旧跡や景色の良い所に行けば写真を撮
     る。
      ただ、中国人は周囲のことを考えない。
      たとえばここ華清池でも、橋の上に立ったり岩の上に坐ったりしてポーズをとる。カメ
     ラの前を横切るわけにもゆかないから待っていると、それが容易に終わらない。右を向い
     たり左を向いたり、カメラを持った人間があれこれ指示をしてベストなポーズをとらせる。
     次第に待っている人が増えるのだが、そんなことにはまったく頓着しない。
      ようやくシャッターを切ったと思うと、間髪を入れず入れ替わり、さきほどまでカメラ
     を持っていた人間が今度は被写体になる。そしてまた延々とポーズ。そこへまた例の楊貴
     妃が加わったりするものだから、いつかな終わらない。
      とりあえず待っている人を通して、それからポーズをとろうなどということは全く頭に
     浮かばないようだ。
      一方、我が家の豚児たちは、楊貴妃が入った浴槽というのに飛び降りて遊んでいる。あ
     の長恨歌に「温泉水滑洗凝脂」「侍児扶起嬌無力」と詠われた聖なる風呂だというのに、
     あたかも公園の遊具か何かと勘違いしている様子だ。こいつらが『長恨歌』に出会ったと
     き、はたして楊貴妃の艶めかしい姿がイメージできるだろうか。

      というわけで、西安屈指の見どころである華清池は極めて散文的な雰囲気での見学とな
     ったが、バスに戻るとそれまでの観光気分が吹っ飛ぶような光景を目にすることになった。
      乗り込んだバスが動き出すまで、窓から見るともなく外を見ていたときである。
      まだ若い男性が、キャスターのついた板に横坐りして、手で地面を掻いている。昔日本
     に「いざり」という言葉があったが、まさしくそのいざりであった。着ている服は埃だら
     けで擦り切れており、直視するのも気の毒な風体だ。
      手を地面につけているため、体は前のめりになり、胸はほとんど板につくほどになる。
     その姿勢で前を見るのはかなり苦しいと見えて、一見喘いでいるようにも見える。行き来
     する車に阻まれていることもあり、ほとんど前には進まない。地を這っているわけだから、
     近くの車の運転席からは死角になっているのではないか。
      ハラハラしながら見ていると、何台かの車がけたたましくクラクションを鳴らしながら
     通り過ぎた。男性は身をよじるようにして車から逃げる。
      どういう原因で歩けないのか分からないが、それを邪魔だと言わんばかりにクラクショ
     ンで追い払うとは、あんまりではないか。もし私が道に立ってそれを見たのだったら、衝
     動的に車を追っただろうと思う。いや、実際私はバスから駆け降りようとした。しかしバ
     スは何事もなかったように走り出し、男性の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
      私は何人かの例外を除き中国人に好感を持っていないが、このときのクラクションと周
     りの人々の冷たい態度については終生忘れることがないと思う。



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