忘れ得ぬ人    


女乞食、サカエさんの話


 子供の頃、木更津に女の乞食がいた。私たちはサカエさんと呼んでいたが、本名かどうかは知らない。
 服というよりは、ボロ布をまとい、その上にゴザを蓑のように巻いている。風呂敷包みか何かのような物を背中に負い、そのせいか、いつも前かがみになって歩いている。結果、髪が前に長く垂れ、顔は殆ど見えない。その髪はおよそ櫛というものを知らぬ風で、絡み合って嵩が増えていたのか、やけに強い印象として残っている。
 後年、歴史で『魏志倭人伝』を学んだ私は、その中に出てくる「持衰-じさい-」なる者の風体を聞き、真っ先にサカエさんを思い浮かべた。
 持衰とは、邪馬台国の使節団が中国に向かう船中に載せられた1人の男のことで、髪をとかさず、衣服は垢にまみれ、ノミやシラミがたかっていたという。航海が順調に終えたときにはその持衰に褒美を取らせる。病人が出たり難破したりすれば、その男を殺す。さしずめ、船全体の禍いを一身に引き受ける役割りの者といったところか。
 男と女の違いはあれ、私はあのサカエさんこそ、世人の禍いを一身に背負って日々徘徊していたのではないかと、本気で考えた。
 

 さてそのサカエさんは、乞食であるから毎日家々を回って物乞いをするのだが、とくに芸をするでもなく、口上を述べるでもない。ただ戸口に立って頭を下げる。追い払われる姿を何度も見た。
 無論、私の家にも来た。父は頑固で偏屈な仕立て職人であったが、何故かこの女乞食を粗末にせず、いつも母に握り飯か何かを用意させて待っていた。母は渡すときに何か声をかけていたようだが、何を言っていたのかは分からない。
 話がそれるが、当時日本には浮浪児と呼ばれる子供たちが沢山いた。空襲などで家族と死に別れた孤児で、当然のことながら都会に集中している。とりわけ上野界隈は浮浪児で溢れていたらしい。
 父は先述のとおり紳士服の仕立て屋を営んでおり、生地の仕入れで時々東京に行っていた。私たち子供を交代で連れて行ってくれることもあり、その都度、上野公園にも行っていたようだ。私も西郷さんの銅像が楽しみであった。
 その公園にはおびただしい数の浮浪児がいて、あっちでもこっちでも通行人に手を差し出して食べ物を乞うていた。記憶は定かではないが、多くの大人はそれを無視し、中には浮浪児を蹴飛ばす人もいて、その光景は今でも覚えている。
 父は西郷さんの前で、私たちに弁当を食べさせた。勿論浮浪児たちが寄ってくる。すると父は別に用意していたのか、握り飯を彼らに渡す。あっという間に無くなるので、何人が喜んだのか怪しいものだが、ともあれいつもそうしていた。
 父に改めて何かを言われた記憶はないが、私は浮浪児やサカエさんに対する父の姿勢からなにがしかのことを学んだように思う。
 

 さてまたサカエさんのことに話を戻すと、どういう訳か、私はこのサカエさんと仲が良く、あとについて家々を回るのは、えも言われぬ楽しいことであった。
 サカエさんの方も私のことをマー坊、マー坊と呼んで可愛がってくれていたように思うが、これは私の自惚れかも知れない。
 運送会社の倉庫の裏が陽だまりになっていて、何度かそこに並んで腰かけては、焼き芋など分けて貰って食べていた。何のことはない、乞食の上前をはねていたようなものである。
 どんな話をしていたのかは殆ど覚えていないが、サカエさんはどうして、なかなかの博識であった。
 人間は死んだら極楽という、蓮の花の咲いている美しい所に行くんだとか、西洋の便所は椅子の真ん中に穴があいていて、そこからウンコをするのだというようなことも教えてくれた。
 私は驚愕し、ますますサカエさんが好きになった。
 子供のこととて、相手の年齢など考えもしなかった。何となく老婆だったような気もするが、存外若かったのかも知れない。どだい顔はいつも真っ黒に汚れており、年など判じようがなかった。いずれにせよ、今も生きているとは思えず、いつ、どこで、どう亡くなったのだろうと思うと胸が痛む。
 そのくせ私は、そのサカエさんといつ頃から、どうして会わなくなったのか、まるで覚えていない。その部分について、私の記憶は完全に欠落しているのである。
 中学のときに父が死んで家がごたごたし、その後私も慌ただしく木更津を離れたが、そんな事情と重なっているのかも知れない。
 あるいは、思春期になって乞食と一緒にいることをためらったのかも知れない。そうだとすれば申し訳なく、一層、その後のことが気になる。
 今となってはどうしようもないが、私に楽しい日々を与えてくれ、子供の好奇心を膨らませてくれた恩人と、そんなけじめのない別れ方をしてしまったことは、悔いても余りあるし、謝っても謝り切れない。
 もし、あの世というものがあるのなら、私はそこでもう一度、あのサカエさんに会いたい。会って、サカエさんの言っていた蓮池のほとりに並んで、握り飯でも食べたいものだと思う。
 そのとき私が色々話をしたら、サカエさんは、「マー坊、お利口になったねえ」と褒めてくれるだろうか。

  
※ 2001年に勤務先の高校で「図書館報」に載せた文章です。
   
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