英語、発音の壁
どうにもならないLとR
外国に行ってビールを頼んだらミルクが出てきた、ミルクを頼んだらビールが出てきた、という話がある。
そんな馬鹿な、なんぼなんでもビールとミルクでは発音が全然似ていないではないか、と思うが、同じ経験談は3、4人から聞いている。
カルピスは英語圏の人にはカウピス cow piss (牛のオシッコ)と聞こえるそうで、これは多分、本当だろう。
かく英語の発音は難しいのだが、わけても L と R,B と V,S とTH は厄介だ。日本人の多くが苦労している音であるが、欧米人にしてみると、なんでその違いが判らないのか、不思議であるらしい。
私も韓国で大学のことをタイガク、学生のことをカクセイと言われておやおやと思ったことがある。濁音が単語の頭にくると清音との区別がつかなくなるらしいのだが、これはもう理屈ではない。
若い頃に読んだ本に、外国のレストランで日本式にライスと言うと、ご飯ではなくシラミが出てきます、ということが書いてあった。 Rice(米)とLice(シラミ)の話である。
嘘をつけ、と思う。レストランにシラミが用意してあるわけがないし、場所が場所であるから、ウエイトレスだって、ああ Rice のことを言っているんだな、という察しぐらいつくだろう。現に私だってタイガクと言われて「退学」のことだとは思わなかったし、カクセイと聞いて「覚醒」のことだとは思わなかった。
会話というのは、その場の状況からかなり察しのつくもので、発音の間違いなど、たいていの場合は大事にならずに済む。本の著者は自分の英語力を示したいあまりに、実体験の裏付けのないまま、上記の話を書いてしまったのだろう。
私は常々、発音や文法にこだわって無口でいるより、間違ってもいいからどんどん話をした方がいいと言っている。
と言うと、私が少しは英会話に自信があるように聞こえるかも知れないが、本当は自分に英語力がないからそう言っているだけであり、実際に苦労もしている。カタカナで覚えている英語はとくにいけない。
例えば、私はフリーマーケットという言葉を無意識に自由市場というくらいの意味にとらえていた。誰でも自由に出店できるところからの連想かも知れない。ところが実はフリーマーケットのフリーは Flea(蚤、ノミ)であり、 Free(自由)ではない。そう言えば「蚤の市」という言葉があったわけで、どうしてそれが頭に浮かばなかったのかと思うが、これなどもカタカナで考えている弊害であろう。
だから私は自分が話すとき、その単語が L なのか R なのか判らないので、例えば「そのラスクを取ってくれますか」というときには、「そのラスク、Rusk か Lusk を取ってくれますか」というように言う。このときは、ことさら舌を丸めたり、上歯の裏にべたっと付けたりして L とR の音を強調する。すると相手が「これですか? これなら Rusk です」と言って、取ってくれる。
人の家を訪問したときに、庭を褒めるつもりで、「このラティスは自分で作ったのですか? ラティス、L か R か判らないんですが」などと訊く。
「ええ、私が作りました。Lattice, L です」
そんな返事が返ってきて、やっと会話が成り立つ。
いつもこんな調子で、とくに大きな問題になるということもないが、いささか面倒ではある。
また時には、ちょっとまずいことになる場合がない訳でもない。
オーストラリアの牧場主の家でステーキをご馳走になったとき、焼く前の艶々した牛肉を見て“It looks fresh."(新しそうですね)と言った。ところが牧場主はあまり良い顔はせず、“It's meat.”とぽつり。どうやら私の言った fresh は flesh と発音されていたらしい。flesh は骨や皮に対する肉という意味で、たとえばテロ事件の現場に人の肉が散らばっていた、などというときに使われる言葉だそうだ。それに対して食用の肉は meat という。牧場主にしてみれば、折角自慢の牛肉を振る舞ったのに「食べられない肉みたいですね」と言われたような按配であろう。
私はそのとき flesh という単語を知らなかったものだから、そんな違いに気づく筈もなく、牧場主が「これは meat (食用の肉)ですよ」と言うのを聞いて、そんなことは分ってる、と思っていたのだから、まあ、失礼なことをしたものである。
そんな私が L と R で苦労した話をもう一つ。
仕事でニュージーランドに行っていたときのこと。現地で知り合った人から、自宅でバーベキューパーティをやるから遊びに来ないかと誘いを受けた。土曜日でもあり、喜んで出かけた。
住所と電話番号は分っているので、大体の見当をつけて行ったのだが、360 度見渡す限り羊の放牧場ばかりで家などない。やっと出会った農夫に道を尋ねたところ、この道をまっすぐ行くと、道端に大きな樽が3つ置いてあるから、そこを左に曲がって云々、と教えられた。
しかし、走っても走っても樽などない。どうしたことかと思いながら走っていると、道端に大きなベルが3つ描かれた看板が見えた。
さては樽(バレル、barrel)というのは私の聞き違いで、農夫の言ったのはベル(bell)であったかと、いさんで左折。ところが行けども行けども家などない。やむなくさっきの道まで引き返し、さらに進むと道端に大きなラズベリー(raspberry)かブラックベリー(blackberry)のようなものが3つ描かれた看板がある。
さてはバレルでもベルでもない、ベリー(berry)こそ農夫の教えた目印だったのか、と合点して左折。またしても無人の牧場ばかり見ながら車を進め、またしても最初の道に戻る。
電話をしようにも、公衆電話はおろか家一軒見つからず、諦めて帰ろうかと思い始めたとき、道端に大きな樽が3つ置いてあるのが見えた。
最初に聞いた「樽3つ」で良かった訳で、バーベキューパーティでその話をしたところ大笑いされ、おかげで場が盛り上がったのは悲劇というべきか、喜劇というべきか。
ひとしきり L と R 、B と V の難しさで話が続いたあと、私は長いこと半信半疑であった次の質問をその場の人達にしてみた。
「日本人がアイラブユーと言うと、I love you. ではなくて I rub you.(私はあなたをこすります)と聞こえるという話を聞いたことがありますが、本当ですか」
またしても大笑いになり、確かにときどきそう聞こえるということであった。厳密に言うと、ラは L に聞こえるが、ブは B に聞こえるということで、必ずしも rub と聞こえる訳ではないらしいが、どちらかと言うと、love よりは rub に近いのだという。
ともあれ、ついてゆくだけで精一杯の、というより殆どついてゆけない英語のシャワーの中で、そういう話のときだけは私が主導権を握れるので、まあ、怪我の功名というべきであったとは思うが、あれから15年経った今も、同じ失敗をしない自信はまったくない。
もう私のレベルでは L と R を自然に聞き分けたり使い分けたりするのは無理と諦めて、いちいち「bloom、L、lunch の L」「broom、R、red の R」などと確認しながら話した方がいいのかも知れない。
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