グアムがジャングルだった頃(3)


美しい海とナマコの怪

 島巡りのバスは、ラッテストーンという変てこりんな茸型の石が並んでいる公園やら、スペイン古橋というただの橋やら、いろいろ見たあとで、恋人岬という所に行った。アンダーソン空軍基地に近い 123メートルの断崖絶壁で、恋人岬、という名の由来はこうである。

  その昔、それは美しい1人のチャモロ娘がおりました。娘に言い寄る男は数知れず、とりわけ支配者のスペイン人は金と力にものを言わせて強引に娘の両親を口説くのでした。とうとう慾に目の眩んだ両親は、そのうちの1人、スペインの老船長に娘をやることを約束してしまいました。ところが、この娘には相思相愛のチャモロ青年がいたのです。叶わぬ恋に絶望した2人は、船長との婚礼の夜に手に手を取って駆け落ちしました。岬の端まで追い詰められた2人は、もはやこれまでと、お互いに髪の毛を結び合って、かたく抱き合ったまま、直下の波濤に身を投じたのでした。その後、2人を呑み込んだ月夜の海には、かえがえのない娘を失い、悲しみに打ちひしがれた両親が悔恨の情を込めて手向けた可憐なポマリアの花が漂っていました。

 と、まあ、こういう訳で、なんとも哀れで美しい物語であるが、どうも崖と水には人の想像力を掻き立てる魔力があるようで、洋の東西を問わず、崖のある所、水のある所には必ずと言ってよいくらい、血涙を誘う悲しい伝説が残っている。
 付言すると、そうした話には決まって、若く美しい娘というのが出てくるのだが、これはちょっと怪しい。たまには二重あごで三段腹のオバサンだって飛び込んだりはするのだろうが、それが語り継がれたためしはない。
 恋人岬などというわざとらしい名称に惹かれてか、同乗の新婚カップルたちは我先にバスから飛び降り、一斉に記念写真を撮り始めた。私にカメラのシャッターを押してくれという人がいて、仕方なく応じると、たちまち何組かのシャッターを押すはめになり、私はすっかり白けてバスに戻ろうとした。
 バスの前にはいつの間にか、ゴム草履を履いた現地の女の子が数人集まっており、手に手に貝を繋げたネックレスを持って観光客に差し出している。どれも1ドルらしく、指を1本立てている。
 さきほど私にシャッターを押させた女が「ワンドル?」と訊き、少女が頷いて、どうやら商談が成立したらしい。それにしても、ワンドルなどという英語があるものだろうか。

 その夜、ポリネシアンショーというのを見た。ホテルの庭に設けられたステージの上で、半裸の男女が躍動的なリズムに乗って踊り続ける。
 踊り手は現地チャモロの若者たち。男は皆屈強、女はまた豊満かつしなやかで、その妖しさはこの世のものとも思われぬ。
 私があんぐりと口を開けて観ていると、一番小柄でとりわけ魅惑的な踊り子が、私に向かってあたかも旧知の間柄ででもあるように笑みを浮かべ、手を差し出してきた。私は瞬時にして魂を失い、フラフラとステージに上がった。
 プルメリアのレイなど首にかけられ、殆ど放心していると、くだんの踊り子が嫋々とした腰をゆっくりとくねらせ、私にも同様に踊れと促してくる。私は両手を頭上に挙げ、前後左右に腰を振った。
 リズムがだんだん速くなり、男たちが激しく太鼓を打ち鳴らし、奇声をあげて囃し立てる。美女の全身が信じがたい速さで揺れ動き、長い髪が宙に浮く。息ひとつ乱さず微笑み続ける舞姫に比べ、私はと言えば、汗にまみれ、息が切れて目が眩んできた。幸い自分の顔は見えぬものの、おそらく断末魔の形相をしていたのであろう、ゼイゼイと肩で息をしながら席に戻ると、妻が呆れた目つきで私の顔を見ていた。
 
 グアム島と言えば、やはり海であろう。
 底がガラス張りになった小舟で魚を見るというのに乗ると、なるほど珊瑚礁に泳ぐ色とりどりの熱帯魚も見える。ただ、魚よりもその下に、何やら棒状の物体がゴロゴロと転がっているのが目につく。スクリューで海水が撹拌されるのか、水の動きにつれて、右にゴロリ、左にゴロリと転がる。形といい大きさといい、どう見てもヘチマなのだが、聞けばナマコだそうで、げんなりする。
 それはどうもいただけないが、やはり白い砂、青い海とくれば、ここで泳がぬという手はない。一日、ココス島で遊ぶことにした。
 グアム最南端の村メリーソの沖合い4キロの所にある無人の小島で、椰子が密生し、白い砂浜が美しい。尤も、無人の小島と書いたのはその当時のことで、今はまるで様子が違うらしい。最近、もう一度行ってみようかと思って、旅行社のパンフレットを見たところ、無人島どころか、なんとかリゾートというのができており、ジェットスキーからパラセーリングから、何でもできる。
 メリーソからはモーターボートで渡ったが、これが実にのろい。船べりから手を出し、海面に浸けていても、殆ど水の抵抗というものを感じない。

 着いてみると、桟橋と、ニッパ椰子の葉で屋根を葺いた東屋が2,3棟あるだけで、飲み水すらない。正真正銘の無人島であった。更衣室もないので木陰で着替え、脱いだ物を砂の上に置いたまま、海に入った。
 こんなにも透明な海水というものがあるのかと、ひとしお感激した私は、理由もなくその海水を舐めてみて、やっぱりしょっぱいなと当たり前なことを考え、次に沖に向かって泳ぎ出した。沖と言ったって、どこまでも遠浅で、かなり泳いだつもりでもせいぜい胸の辺りまでしかない。
 その胸までしかない所で足をついたとき、足の裏に何やらグニャリと異様な感触を覚えた。反射的に足を上げたので、海水が鼻にゴボッと入る結果となったが、潜ってみると、またぞろナマコである。
 幸いここのはさほど大きくはないが、その数たるや 100匹や 200匹ではない。まるで海底に敷き詰められたように、夥しい数のナマコが散らばっている。
 敷き詰めた、というのはいかにも大袈裟に聞こえるだろうが、実際、足をおろせばその都度、必ずナマコを踏んづけてしまう。
 エメラルドグリーンに輝く南海の珊瑚礁の、もう一つの現実を見せられて私は気色が悪くなり、早々に浜に上がると、もう二度と泳ぎはしなかった。
 それにしても、いったいぜんたい、このナマコというのは何という代物であろう。
 全身いぼいぼのついた円筒状をしており、どちらが頭なのかも判らぬ。それでも確かに一方が頭で、そこには口もあり、砂泥を呑み込んではその中の微生物を消化して、残りを他の一方、即ち肛門から糞として排出する。
 刺激するとこの肛門から腸を出すので、それを切り取ると、それが再生して、また1 匹の成体になるという。呼吸は肛門でする。まことに重宝なコウモン様だが、動物界には度し難い奴がいるもので、カクレウオというウナギに似た魚は、こともあろうにそのナマコの肛門に入り込み、そこを隠れ家としているそうだから、まあ、ナマコも舐められたものである。
 それにしても、造物主の悪ふざけによってこの世に出現したとしか思えぬそのグロテスクな姿を見れば、悪魔だって怖気づくであろうと思うのに、あにはからんや、神をも恐れぬ人間は、不謹慎にもこのナマコを食べてしまう。
 最初にナマコを食べた人は勇気があるとかいう話を聞いたことがあるが、なに、初めてでなくたって、こんな物を食うのはよほどの勇者か、霊長類の名を汚す蛮人くらいのものであろう。

 泳ぐのをやめた私たちは、島を一周してみることにした。一周と言ったところで、長さ1,400 メートル、幅 250メートルの小さな島だから訳はないが、亜熱帯植物が生い茂っており、何よりも人の気配がなく、ちょっとした探検気分が味わえる。
 やはり椰子の木が多く、島の中ほどではジャワ椰子、周辺部ではココ椰子が見られ、そこここに実が落ちている。
 タモン湾での失敗に懲りず拾い上げようとすると、これが根を張っていて持ち上がらない。それもこれも、砂の上であれ土の上であれ、よくぞこんな所にと思えるような岩の上にもしっかりと根を張っている。
 考えてみれば、30メートルもの直幹のてっぺんに、いかにも潮風をまともに受けそうな大きな葉をつけて倒れずにいられるのは、ひとえにこの根っこの強靭さによるものなのであろう。
 タコの木というのもある。
 タコの木とはまた妙ちくりんな名前だが、幹の下半分から無数に下垂する気根を蛸の足に見立てての命名という。
 樹高は3,4メートルであろうか。細長くて先の尖った葉が枝頂付近に密生して、その多くはだらしなく折れ下がっている。まあ、南の島にあるからいいのであって、わが日本庭園に移植してみても、あまり見栄えのするものでもない。
 私はのちに沖縄で同科のアダンという木を見た。これにはパイナップル状の実が赤味を帯びた黄色に熟してたわわにぶら下がっていたが、グアム島、ココス島で見たタコの木には、実はついていなかった。

 夜、南十字星を見た。以前、漫画か何かで光が十字状に放たれている星の絵を見たことがあり、南十字星というのはそんな星だと、考えればすぐ分かりそうな誤った観念を抱いていたのだが、人に教えられてその星を見ると、これが何の変哲もない星で、とくに輝いている訳でもない。
 私はその後、「南十字星なんて、ただの星ですよ」などと人に語ったが、ずっとあとになって、南十字星というのは1つの星ではなく、3個の一等星と1個の三等星が十字状に配された星座の名前だと知ったときには、恥ずかしさで消え入りたい心地になった。

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