第9回 芦屋~赤穂(1) 2011.5.13 ~ 21 ( 8泊 9日)


 13日の金曜日。
 まあ、大安も仏滅も意識したことはないし、13日の金曜日というのも、それがなぜ不吉なのか、じつは分らない。諸説ある中には、イヴがアダムを誘惑したのが13日の金曜日だったというのがあり、それなら私も是非誘惑してもらいたいものだ。
 というわけで、今回は13日の金曜日に出発することにした。


2011年5月13日(金)
 いつも訳あってなかなかこの「せこい旅」に出かけられないのだが、今回も、1年半のブランクがあった。
 そこへ持ってきて、東日本大震災の復興費用捻出のために、高速道路料金の休日割引がなくなるという。そうなるとまたしばらく出られない。
 民主党は2008年の総選挙で、全国の高速道路を無料にすると宣言した。その他バラ色の公約をこれでもかというくらい並べ立て、そんな金はないという他党の批判に対して、現行予算を組み替えて無駄を省けば16兆円は簡単に浮く、と大風呂敷を広げた。
 そうやってまんまと選挙に勝った民主党は、結果的に何一つ実現できず、その言い訳として二言目には「予算が足りない」と言っている。なにしろ簡単に浮く筈の予算は2年かかって4兆円足らずしか動かせず、それ以上は鼻血も出ないのだから、公約はすべて雲のかなただ。
 それでも16兆円ぐらい云々と自分たちが言ったことなど、どこの話かという顔で澄ましている。そして今、大震災を公約破棄の格好の口実として、次々と前言をひるがえしている。民主党にとって、大震災は棚から落ちてきたぼた餅のようなものだろう。
 もとより東北各地の苦難を思えば、私の道楽旅行で高速道路の料金を取られることぐらい、文句を言えたものではない。年金生活の身にはこたえるが、出かける回数を減らせば済むことだ。その結果、生きている間に日本一周を完遂できなくなったとしても、津波にさらわれて夢を断ち切られた人達を思えば、残念という言葉さえ不謹慎というべきだろう。
 あれこれ考え悩んでいると、妻が休日割引のあるうちに旅の続きに出たらどうですかと言ってくれた。
 大震災の被害者が苦労しているときに、という後ろめたさもあったし、いつも私ばかりがいい思いをして妻に留守番をさせているので、ためらいもあったが、この機を逃すとまたいつになるかも分らない。
 妻は、退職後いつも家にいる私にうんざりして、たまには追い出そうと思ったのかも知れない。私のいない間に友達と苺ショートケーキなど食べながら亭主の悪口で盛り上がろうという算段かも知れない。
 しかし、私の身近には年をとっても女房に尻を叩かれて、よれよれになりながら働かされている先輩もいる。私としては、元気なうちに無収入の道を選ぶことを快く許してくれた妻が、私のいない所で私を笑いのネタにして楽しんでくれたら、こんなに有難いことはない。
 それやこれや考えながら走っていると、あっという間に大津サービスエリアに着いた。味噌ラーメンを食べて早々と寝袋にくるまる。

5月14日(土)
 前回の終点、深江浜から日本一周の続きに入る。
 神戸港を左に見ながら国道2号線を西へ。神戸港はシンボルマークのポートタワーが周辺の建物に中ほどまで隠れてしまっており、以前とはかなり様変わりしている。ビルというのは無粋なものだ。
 今回は淡路島と四国をぐるりと回るつもりでいる。橋ができて四国行きはたいそう便利になった。
 昔、岡山県の宇野と香川県の高松を結ぶ宇高連絡船というのがあって、瀬戸内海の島々を眺めながら何度か渡った。大分県の佐伯からフェリーで愛媛県の宿毛に渡り、徳島県から淡路島の福良港、淡路島の岩屋港から兵庫県の明石港をやはりフェリーで渡ったこともある。瀬戸内海航路は船が揺れないので、いつもじつに快適な船旅であった。
 それが1988年に本四架橋の先陣を切って瀬戸大橋(児島・坂出ルート)が開通して車で渡れるようになると様子が一変。私も一度は電車で、一度は車で本四を往復した。高額な通行料がネックとなり利用者数は伸びなかったが、非日常の旅行者にとっては日本列島の4つの島が鉄道で結ばれたという高揚感の方が勝り、日本(二本)列島ならぬ一本列島だという浮かれた気分でもあった。
 その10年後には明石海峡大橋(神戸・鳴門ルート)が開通し、これでも3往復した。最後に開通した尾道・今治ルートは数年前に初めて利用したが、橋で四国に渡った回数は、それ以前に船で渡った回数を上回っている。
 考えてみれば四国にはずいぶんと行っているわけで、その間に走った道を繋げれば、四国を一周する幹線道路はすべて走っていることになる。ただ、今回はそれを通しでやろうということと、なるべく幹線道路ではなく、狭い路地を含めて海沿いの道を走ろうということが従来と違う点だ。
 そしてこれがあまり意味のあることではなく、むしろ旅の本質から外れた愚かなやり方であることに気づくのに、そう時間はかからなかった。

 まず、淡路島の北端、明石海峡大橋の真下にある道の駅「あわじ」で深呼吸をする。これから淡路島の東岸を南下して四国に渡り、帰りに西岸を北上しようという計画である。
 国道28号線は途中から島の内陸部に入っていくので、洲本で国道から逸れ、海沿いの県道76号線を選ぶ。アップダウンが多く、道幅も狭い。高所を通るので危険な上、趣味の砂採集もできない。
 ときどき路上にトビが降りていて、車が来ると飛び立つのだが、巨体のせいか飛び立って車からよけるまでが実にゆっくりとしている。ローギヤでやっと発進する感じで、こちらは
ぶつかるのではないかとハラハラする。
 途中に立川水仙郷というのがあり、立派なゲートがある。それが閉まっており、脇に「本日開店しています。入口はドライブイン」という張り紙。ゲートに人を配するほどの客が見込めないのであろう。まあ、オフシーズンであるから仕方もなかろうと思って前方のドライブインに行ってみると、これが閉まっていて、声をかけても応答がない。
 島を縦貫する高速道路ができて、この辺は観光面では取り残されたのかも知れない。

 南あわじ市に入ると、あちこちに玉葱畑が見えてくる。
 淡路島といえば玉葱。玉葱といえば淡路島。降りて写真を撮っていると、収穫作業中の人が見えた。近づいてみると、今しも土から引き抜いたばかりの玉葱が累々と転がっている。どれも驚くほど大きい。はち切れそうに膨らんだその玉は、素人目にも美味しそうで、思わず写真を撮る。
 畑にいたのは2人の女性で、どうやら葉を切り落とす作業をしているらしい。旅行中であること、淡路島の玉葱は以前食べてその美味しさを覚えていること、などほんの二言三言の会話のあと、「持って行きますか?」と言われた。
 持って行きたいのは山々だが、暑いくらいの陽気であり、車内で傷むことはないのだろうか。訊くと、「臭くなる」とのこと。せっかくのブランド品が臭くなるのでは困ると思ってそう言うと、臭くなるのは車に玉葱の臭いが付くということだそうで、玉葱そのものが傷むわけではないという。それなら何の問題もない。家への良い土産になる。
 案内されたのは畑のすぐ隣の立派な家で、作業場には収穫後のまだ土のついた玉葱が広がり、出荷用のダンボールに詰められたものが重ねてある。
 その一つ、10キロの箱を勧められた。これは量的にもインパクトがある。最高の土産になると小躍りし、値段を訊くと、お金は要らないという。それは望外のことで、なんぼなんでもこんな高級品をタダで貰うわけにはいかない。
 しかし、どうしてもお金は受け取ってもらえない。それではせめて住所とお名前だけでもと尋ねたが、後日礼でも送るつもりかと察した奥さんはそれも断り、淡路島の玉葱を美味しいと言って食べてくれればそれで十分だと言う。
 見ず知らずの通りがかりの旅人に対してこの親切はどういうことだろう。一度しか来ない旅人と見れば、値段をふっかけてきたとしても不思議ではないのに。
 ここはもう、ご好意に甘えてタダで貰うことにした。そしてそのあと見つけたコンビニから宅急便で家に送ったが、妻は滅多にない高級品であるゆえに早速スライスして食べ、その甘さ、美味しさに感激して近所におすそ分けをしたらしい。たいそうな評判で、妻はそれならとさらに分け、私が帰ったときには1玉も残っていなかった。
「なんだ、少しぐらい残しておいてもいいじゃないか」・・・などと言わぬのが・・・男の美学である。
 男とは・・・辛いものなのだ。

 大鳴門橋を渡って徳島県に。国道192号線を西進、阿波の土柱を目指す。
 かなり手前から「土柱」と表示があり、矢印がついているが、近づくにつれてそれがなくなり、近くでずいぶん道に迷う。こういうことはどこの観光地でも同じで、案内表示に従って進むとT字路やY字路にぶつかり、そこには右とも左とも書いていない。今回の旅でもあちこちで腹立たしい思いをした。
 7,8年前にも車で来ているのに、道がまったく分らない。行ったり来たりしたあげく、やっと土柱公園駐車場というのに出る。前回は道端に車を停めて歩いて行ったので、いつの間にこんな立派な駐車場ができたのかと思いながら坂道を登る。かなりの距離。急勾配。息が切れる。ようやく登り切ると、そこには観光旅館が。これも前回にはなかった筈だ。
 前回は土柱に向かって右側の崖を、足を滑らせないよう、這うように登ったものだが、今は近づけないように柵が張られている。
 さてこの土柱。130万年前の氷河時代に堆積した扇状地がその後隆起し、雨水の浸蝕を受けて形成された稀少な地形だという。なんでもイタリアのチロル地方、アメリカのロッキー山脈とここ日本の阿波市にしかないものだそうで、確かに見ていて飽きない特異な景観である。
 それはいい。私もわざわざ再訪したのはその魅力に惹かれてのことだ。
 いけないのは、それを「日本のグランドキャニオン」として宣伝していることである。前にも書いたが(第4回、河津~沼津)、なぜ「日本の~」と言うのか。規模からいっても形状からいっても、グランドキャニオンとは似ても似つかないのに、なぜ外国の有名地にあやかろうとするのか。
 土柱には土柱の素晴らしさがあり、なにもグランドキャニオンの名など借りなくても、土柱それ自体で立派な価値がある。グランドキャニオンにはない良さもある。
 大分の原尻の滝でも「日本のナイアガラ」と騒いでいたが、壮大さ、圧倒的な迫力という点ではナイアガラの足元にも及ばないし、逆に、流れ落ちる水の詩的なまでの美しさ、鳥の声に和する水音の妙はナイアガラにはないものだ。
 そもそも、外国の地名になぞらえて「日本のA」と言う場合はAを上に見る目線が根底にあり、そこにはどうしても「A以上のものではない」というニュアンスが含まれてしまう。
 昔、Sさんという俳優がその風貌から「日本のリチャード・ウィドマーク」ともてはやされたことがあった。そのときSさんはムッとして、「私はウィドマークのコピーではありません。日本のSです」と言ったそうだ。
 また別のMさんという俳優は、日本のある名優を彷彿とさせる演技で「第二の○○」と評された。それに対してMさんは、「私は第二の○○ではありません。第一のMです」と言ったという。
 どちらも見事な矜持ではないか。「日本の」とか「第二の」という形容詞に「それ以上ではない」という含意があることに気づいていたということである。
 阿波土柱を「日本のグランドキャニオン」などと言う人が、グランドキャニオンのことを「アメリカの阿波土柱」と言うか、聞いてみたいものだ。
 土柱正面に近く、「土柱ランド新温泉」という旅館とも銭湯ともつかぬところがある。これはよしと思い、入っていくことにする。旅館のフロントと銭湯の番台を兼ねたようなカウンターがあり、500円を払って中に入る。雰囲気は銭湯そのもので、脱衣所に貼られた効能書きに「放射能泉・ラドン温泉」とある。
 ラドンとはラジウム元素から放出されるもので、温浴中に皮膚を通して吸収されるとそのイオン化作用により体内の老廃物質の消退が促されるとか書いてある。どういうことやらさっぱり判らない。
 ただ、子供のころ、近くにあった銭湯の名前が「ラジウムなんとか」といい、父が銭湯に行くことを「ラジウムに行く」と言っていたことを思い出して、懐かしい気分になった。そういえば父は、「電球を買ってこい」というときに「ナショナルを買ってこい」と言っていた。まあ、これは余談だ。
 念のため付記するが、ここの銭湯の名は「土柱ランド新温泉」であり、「土柱ラドン新温泉」ではない。それもなんだか意味が判らないが、まあ、いいだろう。
 それはそれとして、近くに男女神社というのがあるらしく、看板が立っている。これはまた意味深な名前だなと思ったら、続いて男女神社秘宝館という看板が出てきた。なるほど、それで訳が判った。

 そこから7,8キロ離れたところにある脇町を訪ねる。
 江戸から明治にかけての町家を中心とする町並みが保存されている所で、伝統的建造物群保存地区に指定されている。伝統的建造物群保存地区というのは白川郷、倉敷など全国にあるが、ここの特徴はなんといっても「卯建(うだつ)」である。
 卯建のついた旧家は各地にあるので、それ自体はそれほど珍しいものでもないが、ここ脇町のそれは数も多く、一つひとつの立派さは感動的ですらある。中には最近作られたものではないかと思われる意匠のものもあるが、それはそれで、伝統が継承されている証であろうから、良いことに違いない。
 また、各地の伝統的建造物群保存地区の中には、妻籠や高山のように通り全体が土産物屋のようになっているところが多いが、ここは普通の町民生活が営まれているだけで、茶処や酒屋もあるにはあるが、よほど意識していないと見落としてしまう。
 前回来たときには人通りというものが全然なく、それを冬のせいだと思っていたが、今回もまた、通りに人の姿はまったくなかった。その代わり燕の数は尋常ではなく、棒でも振れば当たるのではないかと思われるほどであった。
 外国に行ってホテルの窓から外を見ると、見渡す限り赤い瓦が続いていたり、白壁石造りの家が密集していたりして、いかにもその国らしい雰囲気に旅情を刺激されたりするものだが、日本では瓦屋根ありスレート屋根あり、それも色とりどりで秩序なく、家屋の形態も洋式なのか和式なのか判らないものが多い。レンガや石を模したプラスチックの壁にスペインかどこかの家を真似たオレンジ色の屋根が載っていたりもする。
 ナントカハウスとかナントカハイムというような建築会社が競って「地中海風」「北欧風」といった言葉で宣伝をし、客は喜んでそれを購入し、蒸し暑い都会の真ん中で庭に白樺を植えたりしている。無国籍住宅、無国籍庭園のオンパレードである。
 まあ、和風建築というのは金がかかるので、私のようなものには無理なのだが、島根県あたりで石州瓦の家が建ち並んだような風景を見ると、「日本らしい町並み」というものに、得も言われぬ落ち着きと風情を感じる。
 ここ脇町も、白壁と格子造りの間口や虫籠窓、競い合う卯建を眺めながら散策していると時間を忘れる。いつまでも残してほしいと願わずにはいられない。

 夕食を安く済ませようと、国道沿いの「吉野家」に入る。安くて早くて美味くて、つまり私向きなのだが、会計のときに若い店員から「レシートは大丈夫ですか」と訊かれてうんざりする。
 大丈夫、というのは「困難だがどうにかやれる」とか「なんとかもちこたえる」というような場面で使う言葉であろう。「レシートは大丈夫ですか」と訊かれれば、「レシートはちゃんと持ちましたか。落とさずに持てますか」という意味かと思ってしまう。
 もちろん店員がそういう意味で言っているのではなく「レシートは不要ですか」という意味で言っているのだということは最近の傾向から分ってはいるが、ここまでデタラメな日本語を聞くと、気分のいいものではない。
 だからこのときもムッとして、「大丈夫じゃないよ!」と声を荒げてしまった。
 そのあとも別のうどん屋で、「温かい方で大丈夫ですか」と訊かれたが、すんでのところで「俺は猫舌じゃないから大丈夫だ」と答えるところであった。
 我ながら大人げないとは思うが、いったいこの先日本語はどうなってしまうのだろうと思うとユーウツである。
 そんな気分で走っていたせいか、この日は寝場所がなかなか見つからず、小松島市の街中でどこかの会社の駐車場らしい所を見つけたときは11時を回っていた。警備員でも回ってきたらまずいとは思ったが、それ以上場所を探す根気もなく、なかば開き直った気分でそこに車を停め、そのまま寝てしまった。

5月15日(日)
 まだ暗いのに、近くで犬がキャンキャン鳴き続け、寝ていられない。とうとう起き出して近くを散歩する。
 海辺にしゃれたデッキが広がり、椰子の木が1本植えられている。しばらくするとその向こうから朝日が昇ってきて、なかなかいい雰囲気になってきた。早朝ウォーキングらしい人も歩いている。
 とりあえず近くの公園トイレへ。蚊がすごいので用は足さず、洗顔のみ。歯を磨いているとボストンバッグのようなものを持ったおじさんが入ってきて、私を見て驚いたらしく、オウッ!とか言ったが、それ以上のことはなかった。どうやらこれから旅行に行くところで、仲間とここで待ち合わせをしていたらしい。
 あとで判ったのだが、ここは「しおかぜ公園」という所で、派手さはないがよく手入れがされており、気持のいい公園だ。パンジーがきれいに植えられた花壇があり、「ここには、小松島生まれのみみずふん土を使用しています。みみず太郎100」と書かれている。なんだか判るような判らないような文章だ。
 公園の片隅に韓国の済州島にあるトルハンバン(石爺)の像が建っている。なんでこんな所に?と思って見ると、済州島のライオンズクラブとここ小松島のライオンズクラブの交流云々と説明書きがあった。ユーモラスな石像で心がなごむ。
 公園の外れの雑草の中ではなく、もっと真ん中のきれいな場所に置けばいいのにと思う。

 辺りはすっかり明るくなり、無断駐車を咎められる心配もあったので、出発することにする。
 ところで、小松島のシンボルは狸らしい。
 天保年間というから江戸時代、この近くに金長という名の狸が棲んでいた。あるとき村の子供たちが巣穴の前で枯れ葉を燃やして金長をいぶり出そうとしていたところ、通りかかった染物屋の主人茂右衛門が救ってやった。金長は恩に報いるため染物屋の守り神になり、店は大いに繁昌した。
 金長はその後、四国の狸の総大将のところに修業に出て、化け術を学ぶ。総大将は金長を見込んで娘の婿にと望んだが、金長は茂右衛門のもとで奉公したいという思いからこれを辞退。これが元となって金長と総大将の間に狸界を二分する「阿波狸合戦」が起こり、深手を負った金長は息も絶え絶えになりながら茂右衛門のもとに帰り、礼を言って息を引き取った。茂右衛門は金長を大明神として長く讃えたという。
 その金長の像があるという公園に行ってみた。
 大きな銅製の狸像があり、それを見るためか、正面に階段状のベンチが作られている。通りかかった男性が、正面で手を叩くと狸の周りの岩から水が流れると教えてくれた。
 しかし、正面のベンチには1人の中年女性が坐っている。しかも次の段に体、その次の段に頭を載せて、つまりほぼ仰向けになって狸を見上げているので、その前に立ったのでは、女性の視界を遮ってしまう。男性はしきりにやってみろと促すが、私は返事だけして、女性が起き上がるのを待っていた。
 しかしその女性はいつかな動こうとせず、手まで広げて大の字になっている。私は斜め前から写真を撮ったりして、それとなく女性に私の存在をアピールしたが、まるで効果はない。
 かなりの時間が経って、やおら女性が起き上がった。数歩前に出て、パンパンと手を叩く。水は出てこない。すると女性は続けて手を叩きだし、これもいつやめるのかと思うほど、いつまでも叩いていた。
 私は早朝だから電源が入っていないのではないですか、と言いたかったが、女性の熱心さは鬼気迫る感じで、とても口を挟む雰囲気ではなかった。
 私は自分がやってみようという気をすっかり失って、公園をあとにした。

  第8回 尾鷲~芦屋(3) 第9回 芦屋~赤穂(2) 
       
Copyright© 2010 Wakeari Toshio.All Rights Reserved.
inserted by FC2 system