第7回 名古屋 ~ 尾鷲 (2)   2002.12.28 ~ 12.31 (3泊4日)


2002年12月30日(日)
 寒さで寝ていられず、5時過ぎに起床。 まずはストーブ代わりにガスコンロをつける。
 お湯を沸かし、インスタントコーヒーとインスタント味噌汁で 身体を暖める。 私の旅はいつでもインスタント食品ばかりだが、料理というものが全くできないので仕方がない。
 旅名人の旅行記など読むと、テントで寝るにしても車で寝るにしても、ご飯を炊いたりスパゲティを茹でたりと、毎日バラエティに富んだ食事をしている。コーヒーもパーコレーターを使って本格的に飲んでいる。
 私もいいなとは思うが、自分がそれをしようという気にはならないし、できるとも思わない。
 夕食は食堂で済ませるのが一番楽だが、ここに寝ようと決めた場所はいつだって浜辺や道端の空き地で、近くに食堂などない。コンビニ弁当を暖めてもらえば大層なご馳走といえるが、そういうものは 寝場所が決まるまでに冷めてしまう。
 そんなこんなで、たいていはカップラーメンにソーセージで済ませることになるが、ビールがあれば、それ以上望むこともない。
 やっと身体が暖まり、人心地もついたので、真っ暗な中を出発する。
 熊野灘に面した南張海浜公園で トイレに入ろうと思ったが、電気がついていない。 暗闇で用を足すのは気が進まないので、先へ進む。
 田曾白浜を過ぎた辺りの海岸で、懐中電灯を頼りに砂を採っていたら、犬を連れた地元のおじさんに怪しまれ、何をしているのかと訊かれた。
 旅をしながら各地の砂を集めていると説明したが、どうも疑念は晴れない様子だ。
 そこでわざとらしく、この砂を標本にするので この海岸の名前を教えてもらいたい と言うと、
「 アチニヤ 」
との返事。 何度か訊き返して、どういう字を書くのか尋ねたが、ワカラン、の一言。 どうやら地元の通称らしい。
 家に帰ってから詳細な地図で調べたが、そんな地名は載っていない。仕方がないので標本には「三重県度会郡南勢町・アチニヤ海岸」と書いてある。
( 南勢町はその後合併により南伊勢町となっている )
 ようやく明るくなり、コンビニが見つかったので、アンパンと 缶コーヒーを買って 食べながら五か所湾に沿って走る。 網を張った杭が立ち並んでいるのは 海苔の養殖用であろうか。 少し沖にチヌ釣りの筏が並んでいる。
 湾をぐるっと回り込んで礫浦(さざらうら)に着き、寒風の吹きすさぶ中で立ち小便をしていたら、小便が風にあおられて、もろに自分の顔にかかってしまった。慌てて体をひねって 風を背にはしたが、小便は途中で止まるものではなく、終るまで 目も開けられずに閉口した。
 車に戻って トイレットペーパーで顔を拭いていると、地味な縞模様の子猫が ニャーと鳴きながら近づいてきた。 見ていたのが猫でよかった。
 誰かに見られはしなかったかと辺りを見渡すと、「南海展望公園」という標識が目に入っ
た。 気分直しに行ってみようと思い、狭い山道を登る。
 急勾配とつづら折りの連続で、ワゴン車は何度も切り返さなければ 先へ進めない。
 腹立たしいほどの難路であったが、着いてみると絶景で、目の前は熊野灘、右後方には相賀浦(おうかうら)に続く砂洲がきれいに見えている。規模こそ小さいが、京都府の天橋立を傘松公園から見下ろした景色にそっくりだ。
 おおいに気分を良くし、ゆっくり景色を楽しんだあと、登ってきたのとは逆方向の坂道を下る。今度は難なくその砂洲に出る。地名としては相賀浦、砂洲はニワ浜というらしい。
 しばらく浜を散歩したあと、相賀浦漁港に向かう。漁港のわきに、2本のソテツに守られるようにして、野口雨情の詩碑が建っている。
  波にぬれぬれ
  きみは綱曳いて
  女ながらも
  夜を明かす
とあるが、どういう意味なのか判らない。
 わざわざ碑にしてあるということは名詩なのだろうが、その方面にまるで素養のない私には、猫に小判のようなもので、我ながら情けない。
 雨情は昭和11年7月にこの南勢町に逗留し、五か所小唄というのを作ったそうで、町内にはその歌詞を刻んだ碑が13基あるとのこと。
 方座浦漁港で休憩。 海水が透き通っていて、気持が良い。
 尾張ナンバーのワゴン車が着き、父子らしい2人が降りてくる。子供の方は高校生くらいか。屈み込んで吐いている。 無理もない。ここまで来る道は カーブに次ぐカーブで、私も運転していたからよかったものの、後部座席 にでも坐っていたらたまらなかっただろう。
 トイレで歯を磨き、さっぱりしたところで用を足そうとすると、足下が濡れていて、へたにズボンを降ろすと裾が濡れてしまう心配があった。見れば身障者用の方は広くてきれいなので、そちらでゆっくり用を足す。
 漁港を出て、国道 260号線を目指す途中、「南島左折」の小さな案内板が見える。南島は260号線が通っている町だ。 よし、と思って左折。
  ところが 標識に従って細い道を行くと、どんどん山道になり、そのうち舗装が切れ、車が左右に揺れるデコボコ道になる。流れた水であちこちに溝と段差ができており、おまけに倒木が道を塞いでいる。 それらは強引に乗り越えたが、ほかにも 右の崖から崩れ落ちたと思われる岩が ごろごろ転がっており、中には 車ではどうにも越えられないものもある。
 といって、道幅が狭いためUターンもできず、2度ほど車を降りて除石作業をした。倒木を使ってテコにし、肩を痛めながらなんとか岩をどけ、これで行き止まりにでもなっていたらどう戻るのかと不安を抱えながら徐行を続けていたら、本当に行き止まりになってしまった。
 またあの道を戻るのかと絶望的な気持になったが、他に方法はない。Uターンする場所もないので、何度も車から降りて車輪の位置を確認しながら、小刻みな切り返しを繰り返し、ようやく向きを変えて、ギヤをローに入れたまま、のろのろと 同じ道をたどる。
 さっきの案内板の所まで戻り、はじめに来た道をそのまま進むと、すぐに260号線に出て、あっという間に南島町に着く。 いったいあの案内板は何だったのか。
 紀勢町の向井ケ浜海水浴場に着く。穏やかな湾で、周囲はきれいに整備され、弧を描いたビーチは不自然なほど白く、透き通った海底も まるでポリネシアの海のように白い。
 砂地に腰をおろしてのんびりしていると、中型の茶色い犬が 吠えながら駆け寄ってきた。甲高い声で激しく吠え、敵意を剥き出しにしている。
 飼い主の若い女性が明らかにお義理で犬を叱りながら駆けてきて、「すいませーん」などと謝っているが、返事をする気にもならず、無視する。
 だいたい犬を飼っている人間は、世界中すべての人が犬好きだと思っているようで、自分の犬が他者に働く無礼については 幼児のいたずらほどにも思っていない。
 私はとくに犬が嫌いだという訳ではないが、それでも 歩いていて犬に吠えられるのは 愉快ではない。 そんなとき、飼い主(たいていは女)が自分の犬に向かって猫撫で声で 「こらジョン。駄目でしょ 」などと言うのを聞くと、憎悪ではらわたが煮えくりかえる。 そんな女に限って、こちらにはスイマセンのスの字も言わない。
  今回の女性は 一応スイマセンと言っているだけマシとも言えるが、本気で謝っている風は まるでなく、犬に対しても 形式的に「こら」とか言っているに過ぎない。
 興が醒めて車に戻ろうとすると、浜の中央に大きな木造船が置いてあり、説明板が立っている。「大敷持船。長さ14m、幅3m」とあり、「漁師さんが、この舟に約 600尾の鰤を積み、6丁の櫓を漕ぎ、沖から元気よく市場まで運んでいました。紀勢町水産課」と書かれている。
 これで全文である。どうしてこの手の案内板は みな文が下手なのだろう。
 その少し先に真っ白な砂が おそらくダンプカー4、5台分であろう、山になっている。
 してみるとあの浜辺や海底の白砂は オーストラリアあたりから輸入して この浜に敷いたものではないか。そう思って波打ち際から離れた所に行ってみると、やはりそこの砂は淡い茶色で、ビーチの砂とはまったく違う。
 そういえば、南紀白浜の白良浜もオーストラリアから白い砂を運んで敷いているが、どうしてそういう姑息なことをするのだろう。そんなことをしたって一時的に白くなるだけで、白良浜の砂質が変わるものでもない。日本の浜辺には日本の浜辺の良さがあり、色にも太古から続く自然の調和というものがあるのに。
 どうもここではあまり良い気分になれず、先へ進む。
 
 種まき権兵衛の資料でもあるかと思って海山町郷土資料館を目指したが、着いてみると、これが残念なことに閉まっている。考えてみれば暮れの30日であるから、それも当然かも知れない。
 それでも 近くに「パーラーごんべえ 」などというのがあるところを見ると、やはりこの辺は 種まき権兵衛の里なのであろう。
 
 3時近く、尾鷲駅に着く。名古屋の熱田神宮から 459キロ。今回の日本一周コースはここで終りとし、メーターを0に戻す。
 国道42号線を引き返すと、さきほどの海山町の入口に 種まき権兵衛の看板がある。 裏に、
   
   権兵衛が種まきゃ          
   カラスがほじくる
   ズンベラズンベラ

と書かれている。
 海山町は 1982年に長男との旅行で来ており、そのとき入口に大きな権兵衛の木像が置いてあるドライブインに寄った記憶がある。 そのドライブインを探したがどうにも見つからない。
 あのときは南紀勝浦に向かっており、道は今走っている国道42号線以外にはないのだから、今でも営業していれば 見つからない筈はない。
 結局見つからず、道の駅「海山」に寄る。店内に観光案内のリーフレットがあれこれ置いてあり、中に種まき権兵衛について書かれたものがある。
 それによると、この権兵衛というのは、実在の人であったらしい。武士の家に生まれたが自ら農民となる。 しかし、武士の商法ならぬ武士の農法で、種を蒔いても蒔いても カラスにほじくられてしまう。それを笑いものに村人たちがはやし立てたのが良く知られた民謡だとのこと。
 これには異説もあり、権兵衛は鳥集めのために、ほじくられるのを承知で種を蒔いたという話、いやそれは別の権兵衛の話だと、いろいろ言われている。
 ただ、武士の身分を捨てた権兵衛という人が村人たちのために尽くし、次第に村人の尊敬を勝ち取っていったという史実はあるらしい。
 ちなみに、ズンベラとは丸っこいすべすべした石のことだそうで、それがカラスや種まきとどういう関係があるのかは どうもはっきりしないとのこと。
 
 出るとき、駐車場の隅に水車を配した坪庭のようなものがあり、見覚えがあったので行ってみると記憶が蘇ってきた。 確かにこの坪庭は あのときのドライブインにあったものだ。してみると、あのドライブインがその後に道の駅になり、建物も全面的に建て替えられたのであろう。
 それはそれで、時代の変化とやらで仕方がないが、あの権兵衛像はどうなったのか。立派なものであったし、どこかで個人の所蔵となっているとしたら 勿体ないことだ。
 
 42号線を北上し、伊勢自動車道 勢和多気インターから高速に乗る。 関料金所で「名神はこのまま乗れますか」と訊くと、「乗れんわな」という答え。ではどこで降りるのかと訊くと、「降りんでもええがな」と言う。ここは東名阪自動車道なので 名神とは路線が違う、従って直接ではない、という理屈らしい。
 とはいえ、実際には続いているので そのまま走っていれば名神に乗れる。 馬鹿野郎と言いたくなる。どうも三重県の料金所係員は 不親切な奴が多く、態度も尊大で不愉快だ。
 
 東名の上郷サービスエリアで車中泊。 折角だから インスタントラーメンではなく、レストランで えびカツカレーを食べる。 880円。 面倒もなく、味も良く、楽なものだが、高速道路上のレストランということで、ビールがない。無論はじめから分っていることなので、クーラーボックスに冷えたヤツを入れてある。車内でソーセージをかじりながらビールを飲み、寝袋に潜り込む。

12月31日(火)
 夜中の3時過ぎに寒さで目が覚め、そのまま眠れず。 4時半にとうとう起き出し、500円の天婦羅うどんで身体を暖める。
 5時半、まだ真っ暗で 下弦の月がくっきり出ているが、することもないので ガチガチに凍ったフロントガラスに水をかけて 出発する。
 昼前、家に着くと、隣りのおばさんから声をかけられた。
「もう暮れの掃除は終わった?」
 そうか、今日は大晦日だ

 今回の一周コースは 495キロ。コースへの往復で走った距離が 977キロだから効率は悪いが、それでも一周コースの通算走行距離は 1623キロになった。 全体の1割を少し超えただろうか。

第7回 名古屋~尾鷲(1) 第8回 尾鷲~芦屋(1)
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