お羊様にうんざりげんなり


 

我が物顔の羊たち - ニュージーランド


      もう20年以上も前になるが、勤務先の高校で、ニュージーランド北島の西海岸にある
     オタキ・カレッジという学校との交流プログラムを実施することになった。
      こちらの生徒を向こうに連れて行き、学校生活と家庭生活を体験させるというものであ
     る。むろん英語など全くと言っていいほど話せない生徒たちであるから、物理だの歴史だ
     のという授業についていけるわけはなく、音楽とか体育とか、あまり言葉を要しない授業
     が中心となる。
      それでも生徒にとっては緊張の連続であり、だんだん負担になってきてホームシックに
     襲われたりもするであろうから、半日、ときには終日、牧場見学だの乗馬体験だのという
     息抜きを組み込んで、さらにとことん追い詰められる前に帰国するという日程にしてある。
      まあ、気楽といえば気楽なプログラムである。
      そしてその引率に、私が行くことになった。
      羨む者もあり、やっかむ者もあり、総じて「ただで海外旅行に行けるオイシイ話」と見
     られながらの仕事であるから、人が思うほど心が弾むわけではない。
      それに、実際行ってみると授業の見回りやアクティビティの引率、職員会議への出席な
     ど、けっこうハードな仕事がある。さらに放課後は生徒が世話になっているホストファミ
     リーを訪ねてトラブルの有無を確認し、具合の悪くなった生徒がいれば医者に連れて行く
     など、およそ自分の時間というものがない。
      最もきついのは、ほぼ毎晩どこかのホストファミリーの夕食に招かれることだ。私にと
     って英語でのやりとりは決して楽なものではなく、ときに料理の味も分からなくなるくら
     いで、正直なところ、自分でレストランに行くか、スーパーで出来合いの物を買って食べ
     る方がよほどいい。
      そんな按配であるから、ホストファミリーが歓迎のつもりで近所の人たちを集めている
     ときなどは、早口の英語が飛び交う中で作り笑いをしながら「おつとめ」を果たさねばな
     らず、ニュージーランダーのホスピタリティに恨み言の一つも言いたくなってしまう。や
     っとお開きになり、モーテルに帰るともう、英語を聞きたくないのでテレビもつけずに早
     々と寝てしまう有様で、我ながら情けない限りである。
 
      そんな中で、期間中1日だけ、それも7時間ほどではあるが、日曜日の昼間が空くこと
     になった。
      なればひとつ、北島横断と洒落て東海岸へでも行ってみようかという気になり、車を走
     らせた。
      滞在地オタキの東側にはタラルア森林公園と呼ばれる山岳地帯があって東進を阻んでい
     るので、1号線を北上して山岳地帯の切れ目であるパーマストンノースから東に折れる。
      その先は道こそあるものの、山また山だ。山といっても木はない。麓から頂上まで単色
     の草原が広がり、そこに羊が点々と、所によりびっしりと貼り付いている。
      そもそも我々がイメージとして抱くニュージーランドの草原は、牧羊のために人口的に
     作られたものだそうな。
      元々は鬱蒼たる森林というのがニュージーランドの風景であったのだが、19世紀にイ
     ギリスを始めヨーロッパ各地から続々と移民が流入するようになると、まるでバリカンで
     刈り取るように木を切り倒し、牧草地にしてしまったのだという。
      いったい、何という数の羊であろう。当時のニュージーランドには人口の10倍の羊が
     いると聞いていたが、私の見た範囲では、百倍にも千倍にも思えた。
      実際、行けども行けども人間の姿というものはなく、逆に羊の見えない瞬間というもの
     は殆どない。
      そんな風景の中を一応舗装された道がうねうねと続いている。単調と言えば単調である
     が、アップダウンが激しく、眠気を催すことはない。
      困るのは道を訊きたくても人がいないことくらいか。

      4時間ほどまったく同じ景色の中を走り続け、ようやく東海岸のアキティオという所に
     出た。大きな流木がごろごろと転がる荒涼とした砂浜で、目の前には南極海が広がってい
     る。まっすぐ東の先は南米のチリ、南の先は南極大陸だと思うと、感慨もひとしおである。
      ここから海沿いに南下すれば、滞在地オタキまではそう遠くない筈・・・。
      ところが、やっと出遭った人に訊くと、東海岸沿いには道がなく、帰るには今来た道を
     そのまま戻る以外に方法がないという。
      その晩は、受け入れ校の校長先生から夕食に招待されていた。ご自宅の場所を知らない
     私のために、校長先生は私の泊まっているモーテルの前で待っていてくれることになって
     いる。
      遅れるわけにはいかないが、約束の時間まではあと3時間足らず。往路に4時間かかっ
     たことを考えると絶望的な気分になり、山道といわず農道といわず120~30キロで飛
     ばしに飛ばした。
      制限速度は100キロのところが多く、町や村を通るときだけ60か50になる。しか
     しながら町とはいっても幸いなことに殆ど無人であり、見通しに問題はない。悪いとは思
     ったが、事故の心配はないし、校長先生を待たせるわけにはいかないから、違反を承知で
     飛ばし続けた。
      と、なんということであろう、前方に羊の群れが。およそ7~80頭であろうか。牧羊
     犬に追い立てられてはいるが、一向に急ぐ様子もなく、道いっぱいに広がって、のんびり
     歩いている。
      どけ! どけっ!
      ニュージーランドといえば羊ではあり、なだらかな丘陵で草をはむ羊の群れはニュージ
     ーランドの風物詩として絵葉書の恰好の題材になっている。
      ではあるが、産業としての羊を見ると、「のどか」というイメージばかりではない現実
     が見えてもくるし、羊が可愛いという思いも薄れてくる。。
      まず、羊そのものが汚い。やたらめったら糞をするから、羊のいる草原を歩いたら靴は
     糞だらけになる。その糞だらけの草原で寝起きしているのだから、きれいなわけはない。
      それに羊の毛というのは油分が多く、うっかり触ると、手にべったりと油がついて、水
     で洗ったぐらいではなかなか落ちない。
      ちなみに、そんな糞だらけの地面に、奴らは顔をくっつけて草を食べている。およそ目
     が覚めている時間の大半はその姿勢でいる。ごくたまに顔を上げて辺りの様子を窺うこと
     はあり、牧羊犬に追われているときはさすがに顔を上げているが、それ以外はまず地面し
     か見ていない。地面に腹ばいになって休んでいるときもあるが、そんなときは口をもぐも
     ぐさせて、さっきまで食べていた草を反芻しているようだ。
      私は一度、羊のいない草地で四つん這いになり、羊を真似て顔を地面につけてみた。そ
     の姿勢でどのくらいの範囲が見えるかと思ってのことであるが、見えたのは直径20セン
     チぐらいの地面だけであった。羊と人間では目の位置が違うから、羊にはもう少し広い範
     囲が見えているのであろうが、それにしても終生そんな景色しか見ないで生きているのだ
     から、何の楽しみもない人生(羊生?)毎日だろうと思う。
      次に、羊はうるさい。
      1匹2匹が遠くでメェ~と鳴くのは牧歌的でいいが、何十匹何百匹という羊が群れてい
     る所では、互いの鳴き声が重なって、こちらは拷問でも受けているような気分になってく
     る。
      今まさにその何十匹という群れが、人間様のために作られている道路を占領して我が物
     顔で歩き、車が近づいても毛ほども動じない様子を見て、私は生まれて初めて羊というも
     のに憎悪を感じた。
      そのときなぜか、自分が未年の生まれであることを思い出したが、いったい干支に羊な
     んぞを入れたのはどこのどいつであろう。
      長い長い時間のあと、ようやく羊の群れが道から外れ、私はアクセルをいっぱいにふか
     した。時計の針は約束の時間まであと40分を切っていた。
      その針が既に地平線に沈んだ陽の残照の中でちょうど約束の時間を差したとき、私の目
     に無情な道路標識が飛び込んできた。
      『 Otaki 90km 』

      校長先生はイエス・キリストとお釈迦様を合わせても敵わぬ慈愛に満ちた笑顔で待って
     いてくれたが、後日ニュージーランド警察から極めて事務的な手紙が送られてきた。
      2か所のスピードカメラに私の違反が記録されており、それぞれの罰金を早急に納める
     ようにという通知であった。

小さなミステリー キウイイングリッシュ
     
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