九州往復ケチケチ旅行(5)



  観光地のアイデンティティはどこへ


      翌朝、もう一度白兎海岸を散歩してから鳥取砂丘に向かう。
      いきなり観光用のラクダに出遭う。幻滅だ。
      鳥取砂丘は見事なものだが、中国や中東の砂漠ではないのだから、ラクダは似合わない。
     もっと我が鳥取の風景、日本の風景として見せようという矜持はないのか。
      どうも日本では、なんでも外国っぽくすればカッコイイと思う輩が多いらしく、日本の
     ものを日本らしいままにしておくという姿勢が見られなくなっている。
      例えば、日本の車は世界に誇れる優秀なものであるが、せっかく「これぞ日本車」とい
     うものを作っておきながら、それにおよそ日本語とは関係のない名前をつける。
      「カムリ」「アルファード」「ヴェルファイア」「ヴォクシー」「エスクァイア」「カ
     ローラ」「プリウス」「ヴィッツ」「パッソ」「オーリス」「ポルテ」「ラクティス」
      インターネットでトヨタ車の一覧を見ると、こんな名前が並んでいる。私がその意味を
     理解できるものは一つもない。それどころか、何語であるかも分からない。つまり私にと
     っては無意味綴りなのだから、覚えられる筈もない。。
      他のメーカーの車も同様で、ここに羅列する気にもならない。
      アパートの名前に至っては舌をかまずに言えるものを探すのが難しい。
      「プレデュリーヴ」「エリジオン」「ミオカステール」「アンシュティーク」・・・い
     ったいぜんたい、なんじゃらほい?
      そもそもアパートをマンションということからして滑稽だ。マンションといえば中世ヨ
     ーロッパで荘園の領主などが住んでいた大邸宅のことであろう。敷地内で乗馬など楽しみ、
     バラの咲き乱れる前庭でメイドが運んでくる紅茶などをゆっくりと飲んでいるような暮ら
     しの場だ。いわば館ともいうべきもので、ときには開かずの間から夜な夜な女の鳴き声が
     聞こえてくるというような建物が目に浮かぶ。ディズニーランドにある「ホーンテッド・
     マンション」というのがまさしくそれだ。
      日本では賃貸や分譲の集合住宅に高級感を付け足そうというさもしい根性から、欧米で
     はアパートメントと呼んでいる建物をマンションと呼び、それに載せられた大衆がマンシ
     ョン、マンションと浮かれ出した。
      そうなると単にマンションといっただけでは客の歓心を呼べなくなり、やがてロイヤル
     マンションなどというようにエスカレートしていった。「ロイヤル」「マンション」とい
     えば「王室の」「大邸宅」ということになる。ベランダに布団や洗濯物を干している家の
     ことではあるまい。
      日本には古来「拙宅」という言葉があるように、あまり自分の家を自慢しないのが美徳
     とされてきた。それが今では「私はマンションに住んでいます」などという、謙遜とはま
     ったく逆の言い方が平気で使われるようになってしまった。
      住所を尋ねて、「マンション・レフィナードの302号室です」などと答えられたら、
     こっちの方が気恥ずかしくなってしまうし、覚えようと思っても覚えられない。
      道路もそうだ。
      日本を旅しているとやたら「○○ロード」や「△△スカイライン」を通ることになるが、
     「○○街道」「△△路」「××峠」と日本語名で言うよりカッコイイとでも思っているの
     だろうか。それでいながら外国の道路を「ロマンチック街道」だの「カスバ街道」「メー
     プル街道」「メルヘン街道」などと言ってなんとなく洒落た響きを味わっているのだから、
     訳が分からない。
      砂漠に外国を真似てラクダを置いたり、ものの名前に外国語を使ったりするだけではな
     い。自分の容姿まで外国風にしようと髪の毛を金髪茶髪に染めてしまうというのだから、
     恐れ入る。なにやらイソップ物語のカラスを思い出させるような・・・。
      おっと、ここまで言うと何千万人を敵にすることになりそうだから、この辺でやめてお
     こう。

 
      話を砂丘に戻す。
      この砂丘もまた修学旅行で来る所であるが、折角ここまで来ても砂丘に登らない生徒が
     多い。特に男子がそうだ。
      今やるべきこと、今しかできないこと。ここでやるべきこと、ここでしかできないこと。
     ・・・そういうことにとんと興味を示さない。
      いつでもできること、どこでもできること。・・・それが彼らの関心事だ。
      私は仕事柄、生徒を連れてあちこち行ったが、バスの中ではガイドの説明を聞かず、窓
     の外も見ず、お喋りや居眠りで過ごす生徒が多い。これは女子も同じだ。
      私はたまりかねて、「もう一度ここに来られるかどうかは分からないんだぞ。今見なけ
     れば一生見られないかも知れないんだ。見ろ、見ろ!」などと叫ぶのだが、仕方なく窓外
     を見た生徒もすぐまたお喋りに戻ってしまう。
      生徒たちの前に聳える砂丘は日本一、その向こうは日本海。
      となれば上まで登って見渡そうと思うのが普通だと思うのだが、それよりも売店でおで
     んでも食べている方がいいと言うのだから、もう勝手にしろと言いたくなる。
      だから我が家の子供たちもおそらく登るのを渋ると思っていた。
      それが案に相違して張り切って上まで登り、
     砂を盛ったり崩したりしておおいに楽しんでい
     たばかりでなく、反対斜面を下って波打ち際を
     バシャバシャと駆け回ったりしていた。
      まあ子供のうちだけだろうと思いながらも、
     ちょっとは連れて来て良かったという思いもし
     たひとときであった。
      その砂は、右の写真でも判るように、やや湿
     っていて粘性もある。乾けばさらさらとして風
     紋も描くが、それでもエジプトあたりの砂漠の
     砂とはかなり違う。
      やはりラクダは似合わない。

      山陰の観光はここを最後として、鳥取市内から国道53号線を南下し、用瀬町(現:鳥
     取市用瀬町)に入る。
      流し雛の風習が残る町で、今でも毎年旧暦の3月3日に男女一対の紙雛を桟俵に載せて
     千代川(せんだいがわ)に流しているという。桟俵には菱餅や桃の小枝も載せるというか
     ら本格的だ。
      その千代川にかかる歩行者用の赤い橋を渡ると、「もちがせ流しびなの館」というのが
 ある。立派な木造建築で、なにやらどこかで見たような形だと思ったら、
 京都の金閣寺を模しているとのことであった。
  なぜ金閣寺を真似るのか。用瀬には用瀬の文化があり、それを伝えるた
 めの展示館であろう。それを縁もゆかりもない京都の建築物に似せて作る
 というのは田舎者がコンプレックスから都会風を真似て着飾るようで、い
 ただけない。
  それでも中は見応えのある展示で、各時代の雛人形や雛飾りが所狭しと
 並べられている。土産物売り場があるのはまあ仕方がない。
  流し雛の風習というのは各地にあるようで、テレビのニュースなどで見
 ることがある。身の穢れを人形に託して水に流すということらしいが、そ
 ういうささやかな営みは人の心を温かくする。
  実際に自分の目で見たことはないが、機会があればまたここを訪ねて、
 緩やかな流れに浮かぶ紙雛を見てみたいものだと思った。
  昼までそこで過ごし、あとは作用インターまで南下して中国自動車道に
 乗り、名神・東名と乗り継いで浜名湖畔の宿までひた走る。

 
     
  今回の旅行で最後の晩ということもあり、少しばかり値の張るホテルに
     泊まったが、そこは貧乏人の性で、勿体ないという気ばかりが先に立ってしまう。テーブ
     ルに載り切れないほどの料理はどうせ食べ切れないし、目をつぶって寝るのだから、部屋
     の立派さは関係ない。
      民宿で鍵のかからぬ部屋に泊まっても盗まれる物はないし、畳の色が褪せていたとして
     もそこでお茶会をやるわけでもないのだから一向に構わない。
      ただ、大浴場や露天風呂はやはり大きなホテルや旅館の醍醐味だ。深夜早朝に好きなだ
     け入れるのも、民宿にはない魅力だ。
      この夜も次男と泳いだりしてたっぷりと楽しみ、ケチなことは考えないようにしたが、
     それでもつい風呂場にあった使い捨ての櫛を持ち帰ったりしたのは、今思い出しても情け
     ない習性であった。

      8月13日、この旅行も11日目、最終日である。
      朝、また大浴場に行った。
      朝風呂というのは旅行中でしか味わえない贅沢だ。昔、北杜夫さんの『楡家の人々』を
     読んだときに、西洋式のバスタブに浸かってゆっくりと心身の寝覚めを味わうという場面
     に羨望を覚えたことがある。
      その後小さな家を建てたとき、当時としては珍しかった洋式バスタブを探してもらい、
     早速朝風呂を始めた。そして翌月のガス代に仰天し、以来自宅での朝風呂はなくなった。
      だから民宿以外での泊りでは、たとえビジネスホテルでも必ず朝風呂に入る。

      浜名湖周辺をざっと回ったあと、中田島砂丘へ。
      日本三大砂丘の一つというから、今回の旅行でその二つを回ったことになる。因みに三
     大砂丘とは、鳥取砂丘と中田島砂丘と、千葉県の九十九里浜だそうだ。
      ふーん、九十九里浜ねえ・・・。あれを砂丘というのかな? と思っていたら、三大砂
     丘とは前二者と鹿児島の吹上大砂丘だという話が聞こえてきた。
      吹上大砂丘というのは行ったことがないが、たしか海亀が産卵に訪れることで知られて
     いる浜ではないかと思う。
      そのほか、私が見た感じでは茨城県の波崎砂丘や鳥取県の浜村砂丘、静岡県の浜岡砂丘
     などなど、九十九里よりはずっとスケールの大きい砂丘が沢山ある。
      まあ、三大ナントカというのはどこもご当地贔屓、我田引水の見本みたいなものだから、
     どうでもいいと言えばどうでもいい。
      ともあれこの中田島砂丘は私の好きな場所で、何度も来ている。次男ともこの旅行の7
     年後にまた行った。(cf.ねんきん老人のせこい旅第5回「沼津~新居町(2)」

      昼ごろ、御前崎灯台へ。
      中学生のときだったか高校生のときだったか、松竹の『喜びも悲しみも幾歳月』という
     映画があった。灯台守の話で筋などまったく覚えていないが、灯台守夫婦が娘の乗った船
     に向かって懸命にカンテラを振るシーンが
     脳裏に焼き付いている。
      その場面がここ御前崎灯台の回廊で撮影
     されたのだということはずっとあとになっ
     て知ったのだが、御前崎という名の響きも
     あって、無機質な機械としての灯台を超え
     たイメージを抱いていた。
      大阪万博を見に行った帰りにここの磯で
     岩についた亀の手という貝を採って食べた
     こと、長男が生まれる直前にこの灯台の下
     で野宿したこと、などを思い出し、秘かな
     感慨を抱いていた私の前で、子供たちは服をびしょ濡れにして遊んでいた。

      いよいよこの旅行も終わりに近づいてきた。
      最後に三保の松原に行く。
      小学校で「砂洲」という言葉を習う。例として必ず出てくるのが、この「三保の松原」
     だ。
      だから初めてここに来たときは、ちょっとばかり心が躍った。しかし当てが外れたのは
     言うまでもない。中華料理のフカヒレのように湾曲した地形は飛行機にでも乗らなければ
     見える筈もないし、小学校のときは砂でできていると思っていたその場所は、ごく普通の
     土地で、おまけに道路は立派に舗装されている。言われなければ、いや言われても、今自
     分が堆積した砂の上にいるとは信じられない。
      それはともかくとして、ここはこれまた「日本三大羽衣伝説」の舞台だ。天女が羽衣を
     掛けたという松があるのはまあご愛嬌として、「白砂青松」と宣伝しているのはいただけ
     ない。
      なぜならば、ここの砂は白くはない。というより真っ黒である。黒くて美しい。それを
     なぜ白砂と宣伝するのか。黒砂と言ったの
     では風光明媚な感じがしないとでも考えた
     のだろうか。
      鳥取砂丘のラクダ、用瀬の似非金閣寺、
     そしてここの「白砂」。
      その土地の持つアイデンティティを捨て
     去って、よその風景を真似たり、よその形
     容詞を借りたり・・・。
      観光地が客集めのために悩みながらよそ
     の真似事をしているのか、それとも無邪気
     にその方がカッコイイと悦に入っているの
     か。いずれにしても、情けない話である。
      その黒い砂浜を駆け回っていた子供たちを促して車に戻る。
      走り出したが、車内がやけに臭い。子供たちも「臭い、臭い」と大合唱。
      よもやと疑いながら私の靴を見ると、底に犬の糞がべったりと付いている。急停車して
     道端の草に靴を何度もこすりつけてようやく落としたが、車のフロアマットの毛足にすり
     込まれた糞は、家に着くまで匂い続けていた。
      11日間にわたる我が家の大旅行。最後はかく惨憺たるものであった。


九州往復ケチケチ旅行(4) 小さなミステリー
     
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