ヨーロッパ美術巡り(3)


   

場違いな自分を恥じもせず


     5日目は終日自由行動ということになっており、それじゃあモンセラに行ってみようかと
    いうことになる。
     
Montserrat と書き、モンセラットあるいはモンセラートと読むらしいが、何度聞いても
    モンセラとしか聞こえない。こっちもずっとモンセラと言っていたが、それで十分通じる。

    Mont が山で serrat が名前、つまりセラット山という意味なのではないかと思ったが、ス
    ペイン語が解らないので誰かに訊くこともできない。あとでそれが間違いだということが分
    かった。
     横須賀だか茅ヶ崎だかから一人で参加している諸寄さんという女性が一緒に連れてってと
    いうので、3人での行動となる。
     フロントで、モンセラに電車で行くにはどうしたらいいかと訊くと、
    「電車? とんでもない。鉄道なんて無理だ。外国人には乗り換えその他で難し過ぎる。私
    が東京に行って電車で行動できないのと同じことだ。ツアーバスが出ているから、それを利
    用すれば 3,100 ペセタで行ける。そうしなさい」
     と、しつこく勧める。
    「いや、電車で行きたい」
    「いや無理だ」
     押し問答が続き、こうなったら駅で訊こうとホテルを出る。駅はスペイン広場のそばにあ
    ると見当をつけていたので、まずはタクシーで広場へ。運転手に、モンセラに行きたいのだ
    が駅はどこかと訊くと、地下だという。
     階段があったので降りて行くと、そこは地下鉄駅で、市内の路線しかない。駅員に訊くと、
    もう1階降りるのだという。地上鉄道の駅が地下鉄の駅より下?
     いぶかりながら更に降りて行くと、確かにそこが地上鉄道の駅だった。出札所があり、乗
    車券の自動販売機がある。使い方が分からないので、窓口で買う。 960 ペセタ。
     ホームを訊いて行ってみると、9時10分発のモンセラ行きが出たばかりで、次が11時
    10分になっている。
     2時間も待つのは御免なので、ホームの時刻表で探すと、10時10分発の電車がある。
    それは途中で違う方向へそれてしまうらしいが、とにかくその分岐点まで行けば別の手段が
    あるかも知れないと、それに乗ることにする。
     電車が入ってきたので乗ろうとすると、中年の駅員がモンセラに行くのかと訊いてくる。
    日本人と見て、それならモンセラに行くのだろうと思ったようだ。
     そうだと答えると、この電車はモンセラに行かないと言う。もとより承知の上なので、途
    中で乗り換えるからいいんだと言うと、乗り換え方は分かるのかと訊いてくる。親切はあり
    がたいが、それ以上の会話は億劫なので、分かると嘘をついて乗り込む。
     動き出して、いくつかの駅に停まったが、なかなか地上に出ない。なにしろ地下鉄より深
    い所から出発しているので、さもありなんとは思うが少々心配でもある。
     向かいの席に坐っている女性に訊こうと思って、英語は解るかと声をかけると、
    「
No.
     と一言。それなら日本語でも同じことだと思い、日本語と身振りで訊くと、英語とスペイ
    ン語を混ぜて説明してくれる。ほとんど解らないが、どうやらこの電車で間違いないらしい。
     傍で聞いている人には、いったいどういう会話に聞こえただろうか。
 

     分岐点の駅はまったく田舎の駅で、降りた客は数人しかいない。改札もない。民家よりも
    小さな待合室風の建物のほかには、離れた所に官舎か事務室のようなものがあるだけだ。
     ともあれそこまで行き、モンセラに行く方法を尋ねると、次の電車を教えてくれたが、そ
    れは1時間後。つまりバルセロナ発11時10分の電車で、それなら早い電車で来た意味が
    ない。
     タクシーはあるかと訊くと、ここにはないがと言って、電話で呼んでくれる。
     タクシーならなにもモンセラ駅に行く必要はない。直接ケーブルカーの乗り場に行けば

    い。
    「モンセラ・フニクラーレ」
     そう言うと、運転手は返事もせずに走り出した。解ったのかな? と心配だったが、英語
    の通じる雰囲気ではなかったので、きょろきょろしながら乗っている。きょろきょろしたっ
    て、道を知っているわけではないのだから意味はないが。
     だんだん景色が変わり、辺りは赤茶けた岩肌がむき出しの山が続くようになる。前方にピ
    ンクの異様な山が見えてきた。モンセラだ。
     あとで知ったのだが、モンセラ(モンセラート)とは「鋸山」という意味だそうだ。それ
    なら私の住む千葉県には「鋸山」という山がある。房州石という石材を切り出したために文
    字通り鋸のようにギザギザした景観を作っている。
     それに比してモンセラは粘土をこねた丸い棒をどんどんくっつけていったようなグロテス
    クな形をしている。無理に鋸に見立てたとしても、切れ味は期待できない。
     着いた所は鉄道駅。
     ここじゃない、ケーブルカー駅に行ってくれ。そう言いたいが、そんなスペイン語を言え
    るくらいなら苦労はない。
    「フニクラーレ、フニクラーレ」
     それだけ言ったが、運転手はここだと言って動かない。しかたなく1,700 ペセタ払って降
    りる。すぐに分かったことだが、鉄道駅はロープウェイ駅を兼ねており、電車で来た人はホ
    ームを歩いてロープウェイのホームに行ける。そのロープウェイの終点から更にケーブルカ
    ーがあるのだそうな。
     早速ロープウェイに乗る。世界
    で2番目に急な勾配をもつという
    触れ込みだけあって、なかなかス
    リルがある。岩山の壁にぶつかる
    ように登るので、乗客が悲鳴に似
    た歓声を上げる。
     修道院のある中腹に着き、そこ
    からまた急勾配のケーブルカーに
    乗り、山頂へ。
     このケーブルカーがまた結構な
    勾配で、おまけに右、左と岩にこ
    するように登る。ほとんどの窓が
    全開なので危ないようだが、客た
    ちは慣れているのか、手や顔を出
    して平然としている。
     終点から山頂までは、途中ちょっとした鎖場があったりする山道を歩く。山頂のレストラ
    ンからは遮る物のない絶景が楽しめる。ここからはさらに何本か散策コースがあるらしいの
    だが、それは諦めて、コーヒーで休憩。
     再び修道院前に下りる。土産物屋に混じってファストフードの店があったので、ホットド
    ッグとコーラを買い、露店でぶどうを買って食べる。
     改めて修道院へ。標高700メートルほどの所で岩山をテラス状に切り開き、そこに修道
    院を建ててあるのだが、それだけで気の遠くなるような作業だ。
     言ってみれば崖の中腹を切り開いたような場所だから、修道院そのものは岩に抱かれたよ
    うな按配で、その岩のグロテスクな形が直線を基調とした建物と不思議な調和を保っている。
     修道院付属の聖堂があり、大きな薔薇窓の下に十二使徒の像が並んでいる。
     中に入ると、ステンドグラスが見事だ。赤、緑、黄色と色とりどりのロウソクが灯り、静
    かな空気が流れる。信者であろうか、20~30人がお祈りを捧げ、讃美歌を歌っている。
    こういう雰囲気は悪くない。
     ロープウェイで麓駅に下り、電車の切符をどこで買うのかと訊くと、ここでいいとのこと。
    バルセロナ3枚と言うと、870 ペセタと言われる。バルセロナからこの駅までは1人960 ペ
    セタだったのだから、同じ距離を走って帰りの方が90ペセタ安いということになる。変だ
    なとは思ったが、へたに訊いてやっぱり 960 ペセタだったと言われてはいけないので、黙っ
    て 3,000 ペセタを出す。
     係員は無愛想に 2,000 ペセタを突き返し、さらに 130 ペセタと切符を3枚よこした。
    「3人で 870 ペセタか? 来るときは1人 960 ペセタだったが」
     そう訊いたが、私の英語がヘタだからか、向こうが英語を解さないのか、返事をせずに私
    を追い払うようなしぐさをする。結局そのまま受け取ってしまった。1人290 ペセタだ。多
    分間違いだろうが、私のせいではない。
     バルセロナに着いて、駅員にもう一度モンセラまでの運賃を確認。やっぱり1人 960 ペセ
    タだという。

     そこからタクシーでミロ美術館へ。近距離だったらしく、運転手はブツブツ言いながら走
    り出し、メーターも倒さない。すぐ着いて、 700 ペセタを要求される。高いが、言い合う気
    力もなく、そのまま払う。ちなみに1ペセタは1.2円ぐらいだったから、今の日本だった
    らちょうど初乗り料金ぐらいだ。
     ミロ美術館はできてまだ十数年しか経っていない新しい美術館で、ミロ自身が設立にかか
    わり、展示品の多くはミロ自身の寄贈によるものだそうだ。
     ミロの作品というのは日本でも多くが知られている。中学のときに美術の先生が「これが
    ミロの作品だ。よくミロ」と言った。子供心にも下らないシャレだと思ったが、おかげでミ
    ロの名は忘れない。画家の名を覚えさせるという効果はあったのだから、やはり教育テクニ
    ックとしては良かったのだろう。
     それはいいとして、肝心の作品は、絵にしろ彫刻にしろ、何を描いているのか何を彫って
    いるのかさっぱり判らない。ただ色使いが鮮やかなのと線の丸みとで、一目すれば、ああミ
    ロだと判る。
     そのミロのオブジェが立つ入口を入ると、いやでも巨大なタペストリーが目につく。吹き
    抜けのロビーの壁一面に掛けてあり、1階から見上げ、2階から見下ろすといった按配だ。
     まあ、何を描いているのか判らなくても、線と色だけで十分楽しめるので、私としては良
    かった。ミュージアムショップでミロ風の絵が描かれたマグカップを買ったくらいである。
 
 巨大なタペストリー

     それにしても、それぞれの絵にタイトルがつ
    いているのが不思議で、ミロがそういうつもり
    で描いたのかと思うと、また判らなくなる。
     ということで、私にとっては訳の判らぬミロ
    なのだが、なんと、若いころには具象画も描い
    ていたらしい。美術館の一角にそういう絵が何
    枚も並んでおり、“ちゃんとした絵”だ。
    「なんだ、ちゃんと描けるんじゃないか」
     伊藤さんにそう言うと、当たり前だ、具象画
    が描けないで抽象画は描けないよ、とこれがま
    た判らない説明で、どうもミロは別世界の人間
    のようだ。
     まあ、ミロが別世界なのではなく、私がここ
    にいるのが場違いなのだとは思うが。

     美術館を出て、港まで散策。コロンブスが大
    西洋横断航海に使ったというサンタマリア号の
    複製が係留されている。
     全長20メートル足らずの木造船で、喫水線
    から下は見えないものの、全体に丸っこく、い
    かにも揺れそうだ。
     港の前の広場には高い円柱が建っており、そ
    の上に「コロンの像」というのがある。このコ
    ロンというのがコロンブスのスペインでの呼び方だそうで、イタリア人であるコロンブスの
    本当の名はコロンボというらしい。
     それではコロンブスというのは何語か。音の響きからして英語圏での呼び方であろうと勝
    手に思い込んでいたら、最近になって英語ではカランバスと発音することが分かった。
     ということは、コロンブスと言って通じるのは日本だけかということになるが、その辺の
    ことはよく分からない。

     コロンの像からまっすぐ続くランブラス通りという並木道をぶらぶら歩き、「カラコーレ
    ス」というレストランに入る。カラコーレスというのはスペイン語でかたつむりという意味
    だそうで、それを店名にしているくらいだから店の名物料理なのだろう。
     となれば食べない手はないので、とりあえずビールとそれを注文。パエリアも食べてみよ
    うかと言ったが、諸寄さんがいらないと言う。それじゃあ何かほかのものをと言っても、カ
    ラコーレスだけでいいと、なぜかかたくなに主張する。
     自分はいらないからお二人でどうぞ、とでも言えばこちらも注文しやすいのだが、とにか
    くかたくななので、店の雰囲気が気に入らないのかなと思って、それだけにする。年配のウ
    エイターは怒ったように、それだけでいいのか、ほかに何かいらないのかと訊いてくる。
     どうも気まずいような空気の中でかたつむりを肴にビールを飲む。とくに美味いものでも
    ない。フランスでのエスカルゴも、有名だというだけで食べはしたがちっとも美味くはなか
    った。所詮はかたつむり。ゲテモノに過ぎない。
     そもそもグルメというような言葉に無縁の私には、世間が騒ぐ料理の良さが分からない。
    世界の○大珍味などと言われているものも、美味いと思ったことはない。フォアグラなんて
    グニャグニャして食感が悪いし、キャビアだって塩辛いだけだ。北京ダックはまずいとも思
    わないが、札幌ラーメンと並べて出されたら、私は迷わずラーメンをとる。トリュフにいた
    っては口に入れた瞬間に後悔したほどの臭さで、とても付き合いきれない。
     まあ私もイナゴの佃煮を食べたりするから、かたつむりを食べる人を非難する気はないが、
    旅先ででもなければ、わざわざ食べようとは思わぬ。
     そのうち近くのテーブルにいろいろ運ばれてきて、いやでも目に入る。すると諸寄さんが
    「あれを食べようか」と言う。さっきいらないと言ったパエリアだ。
     なんだよと思いながら注文すると、カラコーレスをもっと欲しい、今度は別の調理法でで
    きないか訊いてみて、などとうるさいことを言う。さらに周りのテーブルを見て、あれもこ
    れもと追加を要求。
     なんだよ、なんだよ。
     だから女は嫌なんだ。

     8月10日、木曜日。成田から数えて6日目になる。
     マドリード経由でニースに移動。空港からバスでいわゆるコート・ダ・ジュールと呼ばれ
    る海岸に沿って走る。あまりにも有名な海岸なので、窓にへばりついてビーチを見ていると、
    トップレスの女性が歩いているのが見えた。
    「オー!」と私。
    「おっとー!」と山野井さん。
    「あらまあ!」と誰か。
     見ると、あっちにもこっちにも。
     これがニースだ、と意味不明の納得。
     ホテルに着くと、荷物を置くのももどかしく、海へ。 もちろんトップレスの美女が目当
    てだ。
     行ってみるとビーチは一面の砂利で、砂はまったくない。砂利は波に揉まれて丸くなって
    おり、大きさはチャボの卵ぐらい。足の裏に当たって、立っているだけで痛いし、歩けばさ
    らに痛い。トップレスどころではない。
     しかたなく坐りこんでしばらく過ごしたが、やはりトップレスを楽しむことはできなかっ
    た。じろじろ見るわけにはいかないし、さりげなくチラッと見たのでは目の保養にはならな
    いのである。
     そのうち尻も痛くなってきたので、帰ることにするが、世界に知られたコート・ダ・ジュ
    ールの水に足もつけないでは勿体ないと、ズボンをまくって数歩入る。なんとその地点で先
    は深く落ち込んでおり、数メートル先は背も立たないように見える。
     そのまま引き上げるのも癪なので、海水を舐めてみる。ただの塩水で、木更津の海と変わ
    らない。
     なーんだ、と思って向きを変えた瞬間、足元の砂利が崩れた。なにしろ崖のように急に落
    ち込んでいるので、何もしなくても崩れないのが不思議なのだ。かろうじて体勢は保ったも
    のの、せっかくまくったズボンはびしょ濡れになった。
     やはり不純な気持で訪れる観光客を、コート・ダ・ジュールの海は歓迎しないものとみえ
    る。

     夕食はビーチ沿いのレストランの野外席で。何を食べたか覚えていないが、中世フランス
    の小粋な衣装を着た流しの若者が4人、歌いながら客席を回る。わずかなチップで何曲も歌
    い、好感が持てたので、彼らの歌が入ったカセットテープを買う。

     7日目はバスでシミエという高台にある修道院へ。修道院そのものは、中に入れるわけで
    もなく、とりたてて印象に残っていないが、弧を描いた海岸と紺碧の海を見下ろす景色はい
    い。
     よく手入れされた庭に夾竹桃の大木が1本、ピンクの花で覆われている。夾竹桃というの
    は株立ちになっているものしか見たことがないので、このように1本立ちで仕立ててあるの
    は珍しい。しかもその太さはちょっとした柱ほどもあり、これまた日本では見かけない。

     近くにあるシャガール美術館へ。
     日本人ガイドのYさんの説明によれば、20年ほど前にこの地に教会を建てることになり、
    シャガールが請われて内装用の絵を描いた。ところがその教会建設が中止になり、せっかく
    描いた絵を飾る場所がなくなってしまったため、ニース市がこの美術館を建てたということ
    だ。
     広くとった庭を歩いて瀟洒な白い展示館へ。外光をふんだんに取り入れた開放的な館内は、
    昼寝でもしたくなるほどゆったりとした気分に包まれている。
     これまでシャガールの絵は、ひょろ長い人物が斜めに飛んでいたり、馬だか山羊だか判ら
    ない動物が浮かんでいたり、なんだか訳の判らないものだと思っていた。ただ青や赤、そ
    れも中間色を多用した画面全体の“気配”が独特で、ついつい見入ってしまう魅力は感じて
    いたので、好きな画家の一人といってよい。
     ただそれだけのことであるが、ここまで来てその魅力がより具体的になった。
     シャガールの絵に旧約聖書の世界が多く描かれていることはなんとなく感じていたが、こ
こには創世記の場面を描い
た大作がシリーズとして展
示されていて、信仰心のな
い私でもどっぷりとその世
界に入り込んでしまう。あ
とで聞いたのだが、そのシ
リーズ画は17点あるそう
だ。
 加えてステンドグラスも
天地創造の様子を表してい
るが、これは入口で借りた
日本語のオーディオガイド
で分かったことで、それを
聞かなければただきれいだ
としか思わなかっただろう。
 館内から中庭を眺める位
置に大きなモザイク画があ
る。手前が池になっていて、
    ベンチに腰かけて池越しに絵を眺める按配だ。このときはオーディオガイドのことを忘れて
    いて、ただぼんやりと眺めていた。
     全体に白っぽい画面の縁に沿って青を基調とした空間があり、中央のまた白い空間になに
    やら説法でもしているような人物と、それを聴いている馬のような動物が数匹。なんだか判
    らないが、ぼーっと見ているだけで、得も言われず心が落ち着いてくる。
     あとで調べて、それが『天地創造』というタイトルの絵だということが分かり、そういえ
    ばそんな内容だったなとは思ったが、もしそのときタイトルを知っていたら、描かれている
    人や動物を一々物語に合わせて確認するような見方になったと思う。
     そういう“理詰め”の鑑賞ではなく、ただぼんやりと眺めてひとときを過ごせたのは却っ
    て良かった。オーディオガイドを忘れたおかげだ。

     小一時間走ってサンポール村へ。何の前知識もなかったが、小さな城塞都市で、細い石畳
    の坂道が入り組んだ、なかなか味わいのある所だ。建物がすべて石積みであることを除けば、
    神戸の北野地区に似ていなくもない。
     小道の両側にはブティックやカフェ、土産物屋に混じって小さな工房などもある。泥で作
    った建物のミニチュアが名物らしく、どのショーウインドウにも飾ってあるし、土産物屋で
    は沢山売っている。
     かなり登った所にさして広くもない墓地があり、シャガールの墓がある。四角い石棺がそ
    のまま置いてあるような、質素な墓だ。高台にあるので眺めはすばらしく、墓地全体も明る
    く見える。
     崩れた城壁も残っており、そこからの眺めもまた良い。建物の壁に這うようにブーゲンビ
    リアが茂り、満開の花をつけている。

     村はずれのレストランで昼食をとったあと、ルノアールの家に行く。ルノアールが車椅子
    で製作をしていたというアトリエがそのまま残っているが、壁に代表作の複製が飾ってあっ
    たりして、どこかわざとらしい。あまり興味も湧かず、外に出る。
     そこに1体の彫刻があった。初めて見るものだが、一目見てルノアールの作品だと思った。
    ウエストと呼べるようなくびれがまったくない胴体。腹部から臀部にかけてのどっかりとし
    た厚み。これはもう紛れもない。
     あとでそれが『勝利のヴィーナス』という作品であること、日本にも何体か同じものがあ
    るということを知ったが、どうも私は事前の予習が足らず、この旅でせっかく多くの名作に
    接しながら鑑賞ポイントを見落としてばかりいたようだ。
 
 オリーブの巨木に満足げな伊藤さん

     庭は広い斜面になっていて、オリーブの巨木
    が威容を競っている。どれも老木特有のこぶに
    覆われ、幹そのものが捻じれ、見ているだけで
    圧倒される。
     それはもう、私の知るオリーブではない。屋
    敷の霊の住まう櫓である。
     伊藤さんもこれにはいたく感激したようで、
    近づいたり離れたり、さらには周りをぐるぐる
    回ったりしながら、いつまでも眺めていた。
     私は「この幹のうねりはルノアールの画風に
    通じるね」などと出まかせを言ったが、伊藤さ
    んは返事をしなかった。



ヨーロッパ美術巡り(2) ヨーロッパ美術巡り(4)
     
Copyright© 2010 Wakeari Toshio.All Rights Reserved.
inserted by FC2 system