子供の元気で親はくたくた(1)


西部劇の聖地だというのに



     中国であまりにも低い民度に辟易した翌年、もっとマシな所に行こうと、アメリカ旅行を
    計画した。 
     1ドルでも1セントでも安く行きたいと思って、エイビーロードという海外旅行情報誌を
    立ち読みした。そこに出ていたいくつかの旅行会社に航空券とホテルの見積もりを頼んだが、
    どれも高い。
     そこで馴染みの近畿日本ツーリスト支店長、三上さんに打診した。なんと、どこよりも高
    い見積もりが来た。
     中小の旅行社にできる手配が“グレート近畿”にできない訳はないでしょう。もっと安い
    ホテルを探してよ。
     食い下がる私に三上さんは言った。
    「そういうことでしたら、今回は当社でお引き受けしない方がいいと思います」 
     その後私はあちこち旅行して、他社の格安ツアーを間近で見ることが何度もあった。そう
    いう会社で手配された格安チケットで旅行している人と話す機会もあった。もう懲り懲りだ、
    というような話ばかりだった。
     三上さんの冷たさには理由があったのだ。顧客の安全と旅の快適さを絶対のポリシーとし
    ている近畿日本ツーリストとして、リスクを承知で手配することはできなかったのだ。
     私は心底三上さんを尊敬した。今でも年賀状のやりとりはもとより、折に触れ連絡を取り
    合っている。

     さて、万事窮した私は呼び寄せ切符を買うことにした。海外在住の人が日本にいる家族を
    呼び寄せるために、現地で往復のチケットを買い日本に郵送するというもので、時期によっ
    ては日本で買うよりかなり安い。
     知人の知人がロサンゼルスにいて、その人にお願いした。本来ならその人との血縁関係を
    証明する書類が必要なのだが、その辺は多少ルーズにもなっていて、どうにか手に入った。
     アメリカへのビザも旅行社に頼めば簡単なのだが、手数料を惜しんで自分で取ることにし
    た。アメリカ大使館に問い合わせると、面倒な書類が沢山必要らしい。
     中学生の長男の身分証明書、妻子の旅行費用を私が出す旨の保証書、休暇証明書、往復の
    航空券・・・、さらに預金残高証明書というのがある。アメリカに行って、ちゃんと帰って
    くるだけのお金があるという証明らしく、100万円以上ないといけないとのこと。
     そんな預金があるわけはない。給料日に全額入金して一時的に預金を作り、証明を求めた。
     なんと、入金した翌日以降でないと証明できないという。銀行の方も、私が証明書を貰っ
    たらその場で下すというこちらの魂胆を見通しているようだ。
     後日談になるが、娘がアメリカの大学に通っていたとき、何度か親の残高証明が必要にな
    った。そのたびに1日だけ入金するという手を使ったが、何度目かのとき、大学から3か月
    以上預けてあるという証明を要求された。
     どうもいろいろバレでいるようだ。

     その他、あれこれの書類を整えるためアメリカの旅行会社に何度も国際電話をかけるなど、
    結局のところ、費用的にも旅行社に頼むより遥かに高くついた。
     ようやく書類を整え、アメリカ大使館に行った。横柄な係官にさんざん待たされて、いざ
    書類となったら、一番上の申請用紙だけを脇のダンボール箱に放り込んで、あとは中を見も
    せずに返してよこした。その場でパスポートにビザのスタンプが押され、すべて終わり。い
    ったいどうなっているんだ。

     もうアメリカなんて行かなくていい。そういう気分のまま乗り込んだシンガポール航空の
    機内で、子供たちは元気いっぱい。小学校2年の次男と1年の娘はちっとも落ち着かず、座
    席に立って遊んでいたが、何をどうしたものか、いきなりシートを後ろに倒してしまい、自
    分たちも一緒に倒れた。当然後ろの人にぶつかり、私は平謝りに謝った。アメリカ人らしい
    若い女性は笑顔で許してくれたが、初手からこれでは先が思いやられる。
 予定より1時間ほど遅れて、8月6日の昼過ぎ、
ロサンゼルスに着く。
 入国審査場は長蛇の列で、うんざりしながら並
んでいると、制服を着た大柄な女性が近づいてき
て、家族連れかと訊く。そうだと答えると、こち
らへと言って歩き出した。体格といい、ぶっきら
棒な口調といい、なんとなく気圧されながら付い
て行くと、女性は閉鎖中の審査ブースを開けて別
の係官を呼び、この家族を通すようにと言ってく
れた。
 係官はにこやかに、休暇で来たのかとか、飛行
機は揺れなかったかとか、およそ入国審査には影
響しないようなことばかり訊いて、女房と私のパ
    スポートにポンポンとスタンプを押した。お決まりの「よい旅を!」という言葉を添えて。
     元気過ぎて厄介な子供たちではあったが、このときだけは、子連れで良かったと思った。
    確かに、このときだけだった。
 
     呼び寄せ切符を手配してくれたYさんが空港に来てくれていたので、その車でユニバーサ
    ルスタジオへ。あとでまた迎えに来てくれるという言葉に甘えて中に。
     日本でも人気の映画『ジョーズ』『キングコング』などのセットが組まれ、トロッコに乗
    ってそれらを巡る。どれもセットとは思えぬ大がかりなもので、火事の近くでは熱く、水害
    の場面では水びたしになる。なかなか面白い。
     なかでも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場する乗用車「デロリアン」が展示さ
    れている所は人だかりがしている。運転席に乗ることができ、乗ると車内に操作を指示する
    アナウンスが流れる。それを周りの人たちが覗き込んでいる。
     悪い予感は的中し、うちの子供たちも乗りたいと言い出した。アナウンスは無論英語なの
    で、子供たちだけではどうにもならない。仕方なく私も乗り込んだ。
     すると、車内に英語が流れる。デロリアンが運転者に話しかけるという設定だ。名前は?
    どこから来たのか? 何しに来たのか? これからどこへ行くのか? などなど、矢継ぎ早
    に訊かれる。幸い易しい英語ばかりで、聞き取り易い。それらに答えていると、他の客たち
    が窓から覗き込んで笑っている。
     今になって思えば、あれはモニター室のマイクを使って質問していた係員が、私のへたな
    英語を聞いてとっさにレベルを下げてくれたのだと思う。それが周りの客たちの笑いを誘っ
    たのだろう。
     次男が「運転の仕方を訊いてよ」などとノーテンキなことを言う。無論動くわけではない
    ので、馬鹿々々しいとは思ったが、訊いてみると右斜め下のボタンを押せだの、左端のメー
    ターをチェックしろだのと、もっともらしい指示がある。指示に従うと、それらしく車体が
    振動したり音が変わったりと、それなりの仕掛けがあって、あたかも実際に運転しているよ
    うな気分になってくる。
     私はそんなことが楽しいわけではないので、さっさと切り上げたいのだが、子供たちはす
    っかり興が乗っているようで、いつかな降りようとしない。
     そんなこんなで遊びに遊んで、ホテルに入ったのは夜の9時半になっていた。
     初日からこの調子では、この先、子供たちに振り回されてどんな旅行になることやら。
     ホテルは庶民的なコンドミニアムで、キッチンでの自炊ができる。広い道路を隔てた所に
    スーパーマーケットが見えたので、簡単な夕食を買ってバタンキュー。

     翌日はさすがに子供たちも疲れていたらしく、朝から騒ぐこともなく、10時半に起床。
     昨日買った食料で簡単な朝食をとり、タクシーでナッツベリー・ファームへ。入場料は大
    人2人、子供3人で77.75ドルということだったが、ホテルで割引券を貰っていたので、
    67.75ドルで済む。
     この遊園地はその名のとおり元はイチゴ農場だったらしく、園内の雰囲気もどこか牧歌的
    で、居心地がいい。スヌーピーとチャーリーブラウンが園のマスコットだそうで、着ぐるみ
    が園内を歩いている。
     なにはともあれ、長男とジェットコースターに乗る。「モンテズマの復讐」という名前が
    ついており、何がモンテズマか知らないが、空中で2回転する。今では珍しくもないが、当
    時は多分世界でもここだけの呼び物で、確かに面白い。私もその気になって、両手を離して
    奇声をあげたりしたが、あとになってみれば恥ずかしいことであった。
     娘にせがまれて、70メートルの高さからパラシュートで落下するというやつに乗る。パ
    ラシュートといっても、実際にはパラシュートもどきの傘がついた籠がワイヤーで吊り上げ
    られ、そのまま降りてくるというもので、怖くはない。それでも落ちるときに体が浮き上が
    るような感覚があったから、落下スピードは結構なものだったのだろう。
     ところで肝心の娘は、籠が上昇し始めると悲鳴を上げてしゃがみ込んでしまい、最後まで
    目をつぶっていた。私が乗りたいわけではないので、無駄な時間を過ごした。
     この日も遊びに遊び、ホテルに帰ったのは夜の7時半。また向かいのスーパーで食材探し。
    魚売り場があり、次男が店員を呼ぶブザーを鳴らしてしまう。
     オイッ、やめろ! と言ったときにはもう店員が飛んできて、愛想よく Can I help you ?
    と声をかけられた。次男はキョトンとして店員を見ている。

     かくして子供たちに振り回されながらの2日が終わり、風呂も慌ただしく入って3日目の
    朝、なんと枕とシーツにかなりの血がついている。昨夜眠気を催しながら髭を剃ったときに
    頬を傷つけたらしい。
     やれやれと思ってフロントに行き、訳を話してクリーニング代を請求してくれるように頼
    む。ホテルマンが部屋まで見にきて、この程度なら通常のクリーニングで済むから代金は要
    らないとのこと。
     この日はアリゾナ州のフェニックスに宿をとってあったので、まずはロサンゼルス空港に
    向かう。
     アメリカ・ウエスト航空の中型畿は1時間強でフェニックスに着く。暑い。そこからはバ
    スでホテルに向かう。走っている車を見ると、ナンバープレートにサボテンの絵が描いてあ
    る。なるほどアリゾナだ。
     道路わきには日本車のディーラーが多い。アメリカではホンダが人気ナンバーワンで、ベ
    ンツが2位、トヨタ・マツダ・ニッサンはベストテンに入っていないということだ。
     ホテルのロビーには池があり、錦鯉が泳いでいる。池の周りには竹も植えられている。日
    本では見かけないものだが、竹であることは間違いない。一応日本の池を意識しているのだ
    ろう。
     冷房の効いた部屋で昼寝でもしようかと思ったが、子供たちが目ざとくプールを見つけ、
    泳ごうと言う。なにもアメリカまで来てプールに入ることもあるまいと思うが、考えてみれ
    ばアメリカまで来て昼寝をすることもないわけで、フロントでタオルを借りてプールに行く。
     広いプールで、人も少なく、危険もなさそうだ。私はほんの数分水に浸かっただけで、女
    房、子供を残してプールサイドに上がり、デッキチェアに仰向けになると、たちまち眠って
    しまった。子供たちと女房はずっと泳いでいたらしい。
     目が覚めるともう夕方だ。部屋に戻り、観光を兼ねて夕食をとるため、スコッツディール
    にある「ローハイド」へ。1880年頃の西部の町並みを再現したテーマパークで、ガンフ
    ァイトやスタントショーをやっている。
     悪漢に追い詰められた男が沼に落ちてし
    まい、仲間に助けを求める。「ロープを投
    げてくれ!」と叫ぶと、岸にいる仲間が束
    ねて輪にしたロープをそのまま沼の男に投
    げてしまう。
    これには観客がドッと湧く。
     観光地のショーでは英語が聞き取れなく
    ていつも苦労する。周りが笑っても、私に
    は何がおかしいのか判らない。だが、こう
    いうアクション付きのジョークは英語が聞
    き取れなくても判るので面白い。
     夕食はパーク内のレストランで。ガラガ
    ラ蛇の蒸し焼きを勧められるが、マングースではあるまいし、そんなものを食うぐらいだっ
    たら餓死する方がいい。
     店内にもうもうと煙を広げながら焼いているTボーンステーキを注文。日本のステーキと
    は違って恐ろしく硬いが、味はなかなかいける。

     4日目は日曜日。
     バスで17号線を北上。道に沿って並ぶ電柱が木なのが珍しい。
     私が子供のころは電柱というと木であり、電信柱と呼んでいた。子供たちはどこまで登れ
    るかを競い、むろん大人にはこっぴどく叱られたが、それでやめたら男がすたるというもの
    で、私もずいぶんと登った。
     それがいつの間にかコンクリートの柱になり、子供たちも登らなくなった。コンクリート
    だから登らないのか、そういうことに興味がなくなったのか、その辺は判らない。最近の子
    供たちが電柱に登っているのを見たことがないから、そういう原始的な遊びは廃れたのであ
    ろう。
     あちこちにサボテンが生えている。あとで調べてみると、ハシラサボテンらしい。といっ
    てもハシラサボテンというのは柱状のサボテンの総称で、ハシラサボテンという名のサボテ
    ンはないらしい。それ以上のことは分からない。
     不毛の山並みが続き、列車やバスの旅行で楽しみな川というものがない。列車やバスが川
    を渡るときというのは、なぜか心が躍るもので、今でも窓に額をつけて見入ってしまう。行
    けども行けども川がないというのは、なにか不思議なものだ。
     9時半にモンテズマ・キャッスルという所に着く。インディアンの砦のあとだそうだ。灌
    木があり、細いながらも川がある。
     11時、セドナで小休止。路傍の石が赤い。レッドロックというのだそうな。当たり前だ。
    西部劇でお馴染みの、山頂が平らになった岩山が見える。メサというらしい。
     道路沿いにポツンとあるレストランで昼食。馬に食わせるような大盛りのサラダが出てき
    たが、やはり馬のエサらしく、パサパサで、かけられている粉チーズもまずくて一口でやめ
    てしまった。
     ただ、米は旨い。アメリカではカリフォルニア米が出回っていて、これは日本で栽培され
    ているジャポニカ種、つまり短粒種だ。そもそもは日本のコシヒカリがもとになっているの
    だそうで、それなら旨いわけだ。
     私たちもスーパーで買って食べたが、我が家で普段食べている安い米よりもよほど旨い。

     その先もアリゾナの礫砂漠がどこまでも続き、地平線まで何もない。写真を撮ろうとした
    が、何度やってもシャッターが切れない。ふと思ってカメラを横にしてみると、カシャッと
    切れた。撮影モードをオートフォーカスにしていたせいだ。つまり地平線以外にフォーカス
    を合わせる対象がないのだ。
     とにかく、何もない。まっすぐ延びる道路は中央分離帯が広く、というより2本の道路が
    並んでいるという感じで、車がすれ違うということもなく、これでは誰もが居眠り運転にな
    るのではないか。
     我が家の長男と娘は熟睡してしまったが、次男だけは空に浮かぶ雲の形にたいそう興味を
    抱き、あれは何の形だ、あれは何だと飽きることがない。
     フラッグスタッフを過ぎ、ミーティア・クレーターに着く。巨大隕石が時速6万9千キロ
    で衝突した跡だそうで、直径1.3キロ、深さ170メートルの窪みになっている。周りに
    盛り上がった土は3億トンとのこと。
     隕石の主成分はニッケル鉄ということだが、衝突のエネルギーによってガス化し、きのこ
    雲となって成層圏に達し、隕石の雨となって地上に降ったという。
     こういうことはすべて入口でもらったリーフレットに書いてあることで、私が知っていた
    わけではない。さらに言うと、そのリーフレットは日本語のもので、私が英語の説明を理解
    したわけでもない。それにしても、学者たちはどうしてそんなことが分かるのだろう。
     まあ、窪みの底部ではフットボールが20試合同時に展開でき、斜面で200万人が観戦
    できるという数字ぐらいは、実測から計算できるだろうから、私もなるほどと思った。
     チケット売り場の前に丸太の化石が置いてあり、子供たちは早速それに跨って遊ぶ。ま、
    いいか。
 カイエンタを過ぎ、メキシカンハットのモーテル
に着いたのは午後の10時。しかもここはユタ州で、
アリゾナ州とは時差があるから、アリゾナから来た
身にすれば午後11時ということになる。さすがに
子供たちは騒ぎ回りもせずにバタンキューで、こち
らは助かる。

 朝になって散歩をする。昨夜は気が付かなかった
が、モーテルのそばを川が流れており、その崖と朝
焼けが美しい。モーテルのおばさんに聞くとこの川
はコロラド川ということだったが、地図で見ると、
その支流のサン・ジュアン川ではないかと思う。モ
    ーテルの名前も「サン・ジュアン・イン」という。
     窓に小さなランタンのような形をした容器がぶら下がっている。おそらく蜜か何かが入っ
    ているのであろう、ハチドリが何羽もホバリングしながらそれをつついている。ハチドリな
    んてものは図鑑や映像でしか見たことがなかったので、おおいに楽しむ。
     モニュメント・バレー観光のバスに乗る。
     アリゾナとユタの州境でマイクロバスに乗り換えさせられる。ここから先はナバホ族の居
    留地で、ナバホ族以外の者は住むことも働くことも禁じられているのだとか。つまり観光バ
    スの運転手はナバホ族ではないので、バスを運転することができないのだ。マイクロバスの
    運転手はグレンさんといい、ナバホ・インディアンだという。
     ナバホ族は狩猟を放棄して遊牧民になった部族だそうで、その住居はホーガンと呼ばれ、
    丸太を組んで泥を塗って作られている。形はアラスカのエスキモーがアザラシの皮などで作
    っているイグルーに似ている。
     1軒のホーガンを見学させてもらったが、中には映画に出てくるインディアンそのままの
    女性がいて、編み物をしていた。西部劇ファンの私は興奮したが、あとで聞いた話では、そ
    ういう人は観光客用にそんな恰好をしているだけで、普段はジーンズなど履いているのだと
    いう。ホーガンに住んでいる人などはおらず、皆、町に住んで電子レンジを使ったり車を乗
    り回したりして、一般のアメリカ人と何ら変わらない生活をしているらしい。
     いよいよモニュメントバレーに入るということで、4WDに分乗して赤茶けた砂地を進む。
    西部劇の舞台そのままで、赤い土がどこまでも続く。
     ジョン・フォード・ポイントという所に出た。『駅馬車』の監督が好んで撮影に使った場
    所だ。
     ジョン・フォード。ああ、ジョン・フォード。
    『駅馬車』の監督として知られているが、それ以外にも『アイアン・ホース』『モホークの
    太鼓』『荒野の決闘』『アパッチ砦』『黄色いリボン』『リオ・グランデの砦』『捜索者』
    などなど、多くの西部劇を撮っている。
     そのジョン・フォードが好んでカメラを据えたという岩の上に立ってみた。スクリーンで
    見覚えのある大平原が広がっている。
     それも感激だが、今私が立っている場所は、『捜索者』で、ジェフリー・ハンターがイン
    ディアン部落に忍び込むために夜陰に紛れて飛び降りた場所だ。ジェフリー・ハンターの熱
    烈なファンである私はその光景をはっきり覚えており、ここに彼が立っていたんだと思うだ
    けで背筋まで伸びてくる思いだった。
     私は心底感極まり、しばし忘我の境に酔った。
     と、「オトーサーン!」と次男の呼ぶ声がした。
     なんだよ、こんな時に! と思いながら行ってみると、次男と娘が棒で地面をつついてい
    る。見るとフンコロガシが馬糞か何かの玉を転がしている。
    「ファーブルの昆虫記を知ってるか?」
    「知らない」
    「前にエジプトのスカラベって、教えたろ ?」
    「知らない」
    「動物の糞を丸めて運んで、あとで食べるんだよ」
    「きったねー!」
     もう、どうでもいい。ここは西部劇の聖地なんだ。オトーサンの邪魔をしないでくれ。

 
青春は西部劇とともに 子供の元気で親はくたくた(2)
     
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