青春は西部劇とともに


     年は取りたくないものである。
     新しいことを知らないといって馬鹿にされるのはまだしも、古いことを知っているといっ
    て笑われるのだから、腹立たしい。
     妻に、昔の映画の話をした。片岡千恵蔵扮するところの多羅尾伴内という変装の巧みな探
    偵がいて、或るときは片目の運転手、或るときはサーカスの手品師、そしてまた或るときは
    ・・・と説明していたら、「あゝそれ、ナナイロカメンでしょ!」と言われて、目の前が真
    っ暗になった。
     以来、映画の話をしていない。
     あゝ、映画。
     多分、中学生のときだったと思うが、ジョン・フォード監督の『駅馬車』という映画を観
    た。それがきっかけとなってのことなのか、それとももっと前からのことなのか、私は中学
    ・高校・大学時代、滅多矢鱈と西部劇を観た。3本立ての映画館というのが沢山あり、50
    円か60円でB級C級の西部劇がいくらでも観られた。
     どんな話だったのか、何という題だったのか、あらかた忘れてしまった。ただ、映画館が
    やたら寒かったのと、馬車の車輪が時々逆回転しているように映るところだけが、漠然と記
    憶に残っている。
     それでも、もし「あなたの青春時代はどんなものでしたか」と訊かれたら、恋も受験勉強
    もない。まずは「西部劇を観ていました」と答えるだろう。

     去年(1988年)の夏、家族を連れてアメリカに行ったとき、私は一応妻子の喜びそうな所
    を見て回り、十分サービスをした。ヘリコプターにも乗ったし、回転コースターにも乗った。
    朝早くから夜遅くまで、遊べるだけ遊んで、くたくたに疲れ、下痢をした。
     それでも宿に帰ると近くのスーパーで食料を買い込み、妻がそれを料理している間、私は
    コインランドリーに行って家族5人分の洗濯をした。毎晩、食事が終わるのは夜中の1時2
    時になる。疲れて、疲れて、風呂から出るとそのままベッドに倒れ込んだ。
     よくやったと思う。なにしろ、コインランドリーなどという所には、生まれて初めて入っ
    たわけで、使い方が分からず、居合わせた婦人たちに聞いて、もたもたとコインを入れなが
    ら、情けなくて涙が1リットルも出た。
     勿論、私には下心があった。都会の観光で妻子を喜ばせておいて、そのあと、アリゾナ州、
    ユタ州、ネバダ州という、西部劇ファンなら地名を聞いただけで血が沸き立つであろう地方
    に行くことである。
     まずアリゾナ州の州都であるフェニックスに行った。
     暑い。空港の前からして岩と砂とサボテンだけの荒れ地で、それが暑さを増幅させている
    ようだ。
     小学1年の娘がたちまち音を上げた。私たちはホテルに直行し、荷物を置くのももどかし
    くプールに飛び込むと、そのまま涼しくなるまで泳いでいた。
     夕方、気温の下がったところで、郊外のローハイドという所に行く。日本でいうならさし
    ずめ日光江戸村とでもいう所で、西部開拓時代の町並みが再現されており、ガンファイトの
    実演などやっている。酒場や銀行があり、幌馬車がさりげなく停まっていたりして、なかな
    かの雰囲気がある。
 ここで20オンスのTボーンステーキを食
べた。焼き方も荒っぽくて、西部劇風なのが
嬉しいが、なにしろ大きくて、のんびりとは
食べられない。私と長男はものも言わず、切
っては食べ、食べては切り、ほとんど飲み込
むようにして、やっと食べ終わった。
 ゲップが出て、なにやらカウボーイにでも
なったような気分。
 翌日はバスでカヤンタまで。砂漠の中をた
だひた走る。
 道路だけは立派に舗装されているが、その
両側には、日本では滅多にお目にかかれなく
なった木の電柱が立っているだけ。あとは何
もない。走っても、走っても、360度地平
    線だけ。
     中国で汽車に乗ったときにも広いと思ったが、それでも遠くには山が見えたし、所々に人
    家も見えた。それがここには、何もない。雲と、平らな荒れ地と、それに続く地平線だけで
    ある。
     小学2年の次男が、その雲に興味を持った。あの雲は象の形、あの雲は潜水艦の形と、次
    から次へと解説して、いつかな飽きる様子がない。
     思えば雲を何かの形に見立てるなどということは、何十年もしたことがない。空が狭くな
    ったせいなのか、私が忙しくなったせいなのか、いずれにしても寂しいことだ。
     遥か前方に、丘とも山ともつかぬものが見えてきた。3万年前に巨大な隕石が落ちてでき
    たクレーターで、その際はね上げられた土砂が降り積もって、高さ80メートルの外輪山を
    形造ったものだという。
     行ってみると、これが地球かと疑うような穴があいており、とても目測はできないが、直
    径1,300メートル、深さ170メートル、底部でフットボールゲームが20試合同時に
    展開でき、周りの斜面で200万人が観戦できるという話。アポロ宇宙飛行士の訓練もここ
    で行われたということで、どうみても西部劇の舞台にはなりそうもない。
     しかし、お目当ての西部劇らしい景色はそこから間もなく見え始めてきた。ナバホ・イン
    ディアンの居留地である。岩山が散見できるようになり、道端でインディアンが店を出して
    いる。店といったって、ただ戸板のようなものにビーズの首飾りや毛織物を並べてあるだけ
    のもので、どれも嘘みたいに安い。 
     私は無論のこと買わなかったが、冷やかしに、カードは使えるかと訊いてみた。驚いたこ
    とに、勿論使えるという返事。
     アメリカは徹底したカード社会で、ホテルや遊園地は言うに及ばず、スーパーマーケット
    だろうとタクシーだろうと、全てカードで用が足りる。
     ナバホ族の居留地は広く、その中では、ナバホ・インディアン以外は住むことも働くこと
    もできない。私たちはユタ州のメキシカン・ハットという村にたった1軒ある、小さなモー
    テルに泊まったが、そこの従業員も全てインディアンだった。
     トイレの水が出ないという、お粗末な宿であったが、その夜、私たちは天の川を見た。
     子供の頃、夜空に天の川が見えるのは当たり前であった。仲間たちと田んぼの積み藁の間
    にござを敷き、満天の星の中に白く流れるその川を眺めながら夜を明かしたことも一度や二
    度ではない。それなのに、木更津は空気が汚れたのだろうか、今、星の数は少なく、天の川
    が見えることはない。
     コロラド川の岸辺に立って空を見上げながら、あまりの美しさに、ワイアット・アープも
    こうして星の乱舞を堪能したのだろうか、などと考えたのは、我ながらちょっと感傷的に過
    ぎたかも知れない。
     その後、グランドキャニオンでも絵に描いたような天の川を見ることができたが、悲しい
    ことに、子供たちは天の川というものを見たことがないので、あれは星の集まりだと言って
    も、どうしても信じられないらしく、あくまでも雲だと言い張っていた。

     さて、その翌日、いよいよ今回の旅行の最大のお目当てである、モニュメント・バレーに
    行った。
     ユタとアリゾナの州境に広がる茫漠たる大平原で、例の『駅馬車』以来、幾度となく西部
    劇の撮影に使われている。私にとっては垂涎の地で、ここを見たいがために、ナッツベリー
    ファームなどで子供たちの機嫌をとっておいたのだから、私は朝から興奮気味であった。
     アメリカ映画界が西部劇を作らなく
    なったので、モニュメント・バレーと
    いっても若い人には馴染みが薄いかも
    知れないが、車のコマーシャルで出て
    きたこともあるし、チャールズ・ブロ
    ンソンが馬に乗って走る煙草のコマー
    シャルを覚えている人もいるだろう。
     それよりも何よりも、人気テレビ番
    組『エアーウルフ』の基地になってい
    た場所なので、西部劇には無縁の子供
    たちにも見覚えはあったらしい。
     それはいいのだが、私が折角ジョン・ウエインの雄姿など思い浮かべて感慨に耽っている
    のに、横でエアーウルフ、エアーウルフと騒ぐのには閉口した。
     私は子供たちと離れて、ジェームズ・スチュワートがウインチェスター銃を連射するシー
    ンなどを景色に重ねてみようとしたが、エアーウルフで興をそがれたあとであり、どうもイ
    メージが膨らまなかった。
     とはいえ、とにかく雄大な景観ではある。どこまでも続く赤茶けた平原に、高さ200メ
    ートルほどの大地がぼこぼこと隆起している。何億年もの風化作用によって、それぞれの岩
    山はそれぞれの形をもつに至り、それぞれに名前がついている。
     ジープであちこち走り回る。同じ岩山でも見る角度によって姿が変わり、場所ごとに違っ
    た景観が楽しめる。
     ジープを降りて、一人で平原に踏み込んだ。赤い砂地にまばらな草。地平線によってくっ
    きりと大地から切り離された空はあくまでも青く、辺りには、当然といえば当然なのだが、
    まったく音というものがない。
     私は、かつて西部劇で慣れ親しんだその場所に、今自分が立っているという静かな興奮で、
    頭の中が空っぽになり、ずっとそこに立ちすくんでいた。
     年寄りとからかわれてもいい。西部劇の最盛期に青春時代を過ごすことができたこの幸せ
    は、若い人には分からないだろう。
     私は、足元の砂をひと握りポケットに入れると、また遥かな地平線に目をやり、ついで、
    そっと目をつぶった。

           ※ 
1989年2月、勤務先の「図書館報」に載せた文です。

恥の基準はどこに?(3) 子供の元気で親はくたくた(1)
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