恥の基準はどこに(3)  「中華」の名に恥じる中国人の振る舞い


孔孟の教えもどこへやら


      やり切れない気分のまま兵馬俑坑に着く。
      兵馬俑坑については別稿「秦始皇帝兵馬俑坑に思う」「中国視察旅行の鬱念(2)」に
     書いたのでここでは省くが、兵馬俑博物館別館の銅馬車展示室ではまたしても「外賓5元・
     人民5角」の差別料金を取られ、不愉快極まりない。
      料金というものが財貨やサービスへの対価であることは言うまでもない。
      外国人用レストランで高い料金を取るのは、料理そのものが違うのだから、コストの違
     い以上にふっかけた値段をつけても一応弁解はできる。
      しかし、博物館などでは同じものを同じように見せるだけである。外国人だろうと中国
     人だろうとコストに差が出るわけではない。それなのに料金の差をつけるというのは、説
     明がつかない。それも10倍である。山賊にも劣る恥ずべきやり方ではないか。
      中国にも「恥」という言葉はあるのだろうが、それではいったい、その恥の基準はどこ
     にあるのだろう。
      今こうして稿を進めているのは2012年であるが、最近新聞・テレビで報じられる中
     国人の行動には唖然として言葉もない。金品を得るためだったら道理も倫理もあらばこそ
     で、しかもそれが一部の鉄面皮な不心得者というのではなく、国家そのものが世界に向か
     って居直っている体なのだから始末に負えない。

      秦の始皇帝を知らない子供たちではあったが、それでもここには夥しい兵馬俑が立ち並
     んでいるので、そこそこの興味はもったらしい。
      まあ、それだけのことであり、次の青龍寺では弘法大師を知らず、大雁塔では玄奘法師
     を知らず、ただ境内を駆け回って遊ぶだけであった。
      玄奘とはあの三蔵法師のことで、その法師が天竺から帰ってここにいたんだよ、と説明
     すると
    「孫悟空も?」
     という具合。



      8日目、8月11日、朝の便で上海へ。
これじゃあ出ないよ!

      中国のショーウインドーともいうべき
     上海の空港というのにロビーには蠅が飛
     んでいる。
      ここでもトイレのドアを開けっ放しで
     している人が多い。まるで外国人のせい
     で無用な付属品を付けられて迷惑してい
     るとでも言いたげだ。
      うんざりして別のトイレを探すと、そ
     こは両側にコンクリートの低い仕切りが
     つけられているだけで、子供でも用を足
     している姿が見えてしまう。
      それでも、床にただ穴が並んでいるだけの所が多い中で、これはまだマシと言えるかも
     知れない。ただ、その仕切りを人の背丈ぐらいにすることやドアをつけるぐらいのことは
     できない相談でもなかろうに、と思う。
      そして、ふと思った。これは犯罪防止のためなのではないかと。
      これまで見てきた中国人たちの不道徳さを考えると、しゃがんで用を足している無防備
     な人からバッグなどをひったくる輩はどこにでもいそうだ。こうしてお互いに丸見えであ
     れば、確かに抑止効果はありそうではないか。

      程橋ホテルで昼食をとり、玉仏寺見学に向かう。街には新聞が貼り出され、大勢の人が
     群がって読んでいる。
      読むといえば、中国ではどこに行っても店も家も薄暗く、これでは目が悪くなるだろう
     と思ったが、案に相違して眼鏡をかけている人はほとんど見かけなかった。それが上海に
     きたら眼鏡の人が多い。どうしてだろう。
     
      玉仏寺へ。昔、なんとかいう上人がミャンマーから持ち帰った玉仏を2体寄贈したこと
     から玉仏寺という名になったそうで、確かに玉仏が安置されている。もっともそれを見る
     ためには寺の入場料のほかにまたカネを払わなければならない。
      まあ、それを見なければここに来た意味はないので、渋々払って玉仏楼という建物に入
     る。
      写真を撮ろうとしてカメラを構えると、坊さんに止められた。堂内撮影禁止というのは
     よくあることなので、とくに不満ももたずカメラを下げたが、見ると派手にフラッシュを
     焚いて撮っている人もいる。さらに見ると、そういう人は坊さんにカネを渡している。
      坊主までワイロで動くのか!
      あとで聞くと別に賄賂という訳ではなく、撮影料として決まった額を払えば写真を撮れ
     るということらしかったが、あまりいい気分はしない。
      仏像の尊厳を守るために撮影禁止というなら仕方がないが、カネを払えばOKというの
     では仏像で商売をしているとしか言いようがない。
      記帳台があったので、長男に書かせようとすると、またしてもカネを要求された。10
     角(1元)だという。この寺だけで3回カネを取られている。
      タイや韓国ではお坊さんが神々しく見えたものだが、中国では浅ましい亡者に見える。
      いったい、中国という国はどこまで恥を知らない国なのだろう。
      
      古来、中国には自らを中華、すなわち世界の中心と考え、周辺の民族を夷狄(いてき)
     つまり野蛮人として低く見る意識が強かった。いわゆる中華思想である。
      たとえば福岡県の志賀島で発見された有名な金印には「漢委奴国王」と刻まれている。
     倭(委)の奴国を漢の一部として見下すスタンスが明示されているのだ。
      有名な魏志倭人伝も正式には「三国志魏書東夷列伝倭人条」という。「魏・呉・蜀とい
     う3つの国についての書物(三国志)の中の、魏について書いた部分(魏書)、その中に
     東に住む野蛮人(東夷)を列挙した書(列伝)があり、そのまた中の倭人について記した
     記録」という意味である。「倭人」とは、平たい日本語でいうと「チビ」とでもいうこと
     になろうか。背の低い人への蔑称である。
      後漢の時代にも東夷という言葉はあり、さらに聖徳太子が小野妹子を遣わして隋に送っ
     た国書にある「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に至す」という文言に時の皇帝
     煬帝が「蛮夷の書、無礼なるものあり」と激怒したという記録もある。
      それほどに自分たちを高く考えていた民族が、今やマナーも誇りもあらばこそ、官民こ
     ぞってカネ、カネ、カネと理屈に合わぬカネを要求してくるのだから、地に落ちたもので、
     孔孟もさぞかし切歯扼腕していることであろう。

      豫園で遊んだあと、上海美術工芸品服務部という所に連れて行かれる。2年前にも行っ
     た。ご大層な名前だが、つまりは外国人にカネを使わせるための土産物屋だ。
      先述のとおり、当時中国は個人旅行を受け入れておらず、中国旅行といえば旅行社のツ
     アーに参加するしかなかったのだが、その場合、日本の旅行社は中国の旅行社の窓口にな
     るだけで、現地での行程は中国側が決めていた。
      そして毎日何か所か土産物屋に寄る。ナントカ工廠とか美術展覧館とかいう名前になっ
     ているが、形式的に作業風景を見せるのはまだ良心的な方で、ほとんどは売店だけを案内
     する。
      ただ、幸いなことに中国人店員は極めて怠惰で、客に商品を勧めたりはしない。それど
     ころか、店員同士のお喋りに夢中で、客の方など見向きもしない。
      こちらが声を掛けるとすかさず「メイヨウ(ありません)」と答える。
      私は一度、わざと日本語で「暑いですね」と声を掛けてみた。若い女性店員は首だけこ
     ちらに回して「メイヨウ」と言うと、またお喋りを続けた。とにかく客というのは彼女た
     ちにとっては迷惑な存在なのだ。
      他の国々で店員につきまとわれて閉口する経験をさんざんしているので、中国人の横着
     さは何よりもありがたい。



      翌日も朝から工業展覧中心という所に連れて行かれた。工業製品の展示場としての機能
     もあるらしいのだが、我々が案内されるのは1階の土産物屋だけで、絨毯やら家具やらが
     並んでいる。勿論買える金額ではないし、興味もない。
      といって、歩いて行ける範囲にこれといった名所があるわけでもないので、ロビーでぼ
     んやりと時間を潰す。
      やっと出発したバスの中でガイドに聞くと、この日は専らショッピングで過ごす予定だ
     という。それは勘弁してもらいたいので、夕食場所での合流を約束して、それまで自由行
     動ということにしてもらう。
      バスに乗ろうとも考えたが、これはやはりやめておいた。なにしろ中国人には並ぶとい
     う習慣がない。バスが来ると、どこからかどっと人が駆けより、互いにののしり合い、こ
     づき合い、ときには前の人を引きずり倒して乗り込んでゆく。私たちのように子供を連れ
     た家族がその中に入ったらどうなることか。想像するだけで身の毛がよだつ。
      そこで、まずは歩いて虹口公園へ。とにかく広い。
      かなり歩いて魯迅の墓と魯迅像に着く。
      昔、必読書とされていた『阿Q正伝』を読み、主人公阿Qのなんとも気の毒な一生に暗
     い気持になったことを覚えているが、魯迅がこの小説で何を言いたかったのかまるで判ら
     ず、先生に訊いた。「感じたとおりでいいんだよ」と言われたが、これでもかというくら
     い惨めな阿Qにやり切れない気持を抱いただけで、それが魯迅の狙いだとは思えなかった。
      といって、その後改めて読み返すということもなく、内容も殆ど忘れている。無論、今
     こうして魯迅の銅像を見上げても、やはり何も判らない。
      だからどうということもなく、それ以上考えもせず、黄浦公園まで歩く。
      黄浦公園は黄浦江に沿った細長い公園で、かつては外国人専用だったらしい。「犬と中
     国人、入るべからず」と書かれていたというから、中国人にとっては屈辱の極みであった
     だろう。
      今は無論そんなことはなく、公園のあちこちに太極拳に励んでいる老人たちの姿が見え
     る。若い男女がベンチでいちゃついてもいる。半ズボンに革靴というのは中国人に多く見
     られる格好だが、そんな格好で派手なワンピース姿の女を膝に載せているのは、お世辞に
     も粋とは言えない。どうも中国の若者たちは節操がない。
      人には感心しないが、木は立派だ。どこに行っても大木の並木が整っており、これは日
     本ではとても見られない。
      この黄浦公園もプラタナスの巨木が互いの枝を重ね合って日陰を作っている。プラタナ
     スというと日本でも街路樹としてお馴染みのものだが、その幹は直径がせいぜい30セン
     チというところで、日陰などは期待すべくもない。
      それが中国では大人が2人手をつないでも抱えきれないほどの太さが当り前で、そうい
     うのが林のごとく立ち並ぶ様は“鬱蒼とした”と表現してもあながち誇張ではない。
      そんな公園を抜けると、遊覧船の乗り場がある。黄浦江を下って長江との合流点まで行
     き、そこでUターンして戻ってくる。1人13元ということだ。
      長江というとつまらないが、昔は揚子江といった。小学校で世界第3位の川として白地
     図に書き込んだりした。実は揚子江というのは長江の最下流部を呼ぶ別称なのだそうで、
     最近はそこも含めて長江と言うのが普通になっている。
      しかし、私たちはやはり揚子江と言わないとピンとこないし、揚子江と言えば対岸が見
     えないほどの大きな川として教わった当時のイメージが湧いてくる。
      その揚子江まで行くというなら、乗らない手はない。
      かなり大きな船で、デッキから見下ろすと川面がずいぶんと下の方に見える。タグボー
     トに曳かれた“はしけ”もやはり下に見える。はしけは5艘も6艘も繋がっているのが普
     通で、中には10艘近くも繋がっているものもある。はしけ自体にはエンジンがついてい
     ないのだから、あんなに繋がっていては止まるときにどうするのだろうと心配になる。石
     炭や鉄屑を山のように積んでいるものが多い。
      3、40分ぐらいして揚子江に出た。聞きしに勝る大きさで、本当に対岸が見えない。
     水は茶褐色の泥水で、あれでは泳いでいる魚には一寸先も見えないだろう。
      残念ながら遊覧船は揚子江そのものを航行することはなく、そこでUターン。それでも
     この目で揚子江を見たことは確かであり、私はいささかの興奮を味わいもした。
      帰りは船内で歌、踊り、手品、雑技などのショーを見る。ステージも小さく、演出も冴
     えないものではあったが、それはそれで楽しめた。
      となれば、やはり本格的な雑技を見たい。上海は雑技の
     本場であり、専用劇場もある。
      入ってみると円形の舞台を囲む階段状の観客席。そう、
     サーカス劇場だ。空中ブランコや綱渡りのないサーカスと
     思えばいい。
      練度の高いアクロバットが次々と披露される。息もつか
     さぬ展開で、見事なものだ。アジアのショーというと、垢
     ぬけない、バタ臭いというのが普通だが、ここの演出は世
     界のショービジネスでも立派に通用するだろう。
      私はおおいに楽しみ、「ハオ、ハオー!」と声援を送っ
     た。子供たちは父親が大声を出すことに困惑している様子
     であったが、素晴らしいものを称賛するのに何の遠慮があ
     ろう。




      10日目、最終日。上海動物園でパンダなど見たあと空港へ。
      離陸してすぐに、揚子江の河口上空に出る。揚子江の泥水が雲の形でまだら模様になっ
     ている。その泥水が東シナ海の青い水に混じっていく光景は不思議なものだ。あれだけの
     大河が24時間365日、何万年何十万年と濁っているということは、それだけ上流の黄
     土が削られているということで、よく陸地が無くならないものだと思う。
      総じて中国の自然は圧倒的であった。美しい景色というのではないが、とにかく大きく
     て、圧倒される。歴史遺産も偉大であった。
      それらに比して、人間、今生きている人間は民度が低く、ずるさばかりが見える。カネ
     さえ手に入れれば恥もへったくれもない。それは国家も同じで、国としての矜持がない。
      もう一度先述の中華思想に戻るならば、中国人は遥か昔から自分たちこそ世界の頂点で
     あると思いあがってきた。その歴史は今に続いている。
      それなのに止まる所を知らない拝金主義、自分の利益しか考えない非社会性で自らを貶
     めている。スポーツの応援で他国の選手を罵り、他国の応援者に危害を加える狭量さで世
     界のひんしゅくを買ってもいる。
      もっとも、それを恥だと思っていないのだから、これは恥の基準というものが日本とは
     違うのだと思うしかない。
     「恥の基準はどこに?」
      これが中国旅行でずっと抱き続けた疑問である。

恥の基準はどこに?(2) 青春は西部劇と共に
     
Copyright© 2010 Wakeari Toshio.All Rights Reserved.
inserted by FC2 system