中国視察旅行の鬱念(4)


衣食足って礼節を知るということか



 視察団はそのあとフェリーで鎮江に渡って1泊し、11日目に鎮江から列車で上海に移動した。その鎮江駅でのこと。予定された列車に乗るためにホームに出ると、上海行きの電車は既に入線していた。指定席なので山本さんが号車を確かめて、いざ乗ろうとすると、ホームにいた2人の駅員に止められた。
旅館案内所とタクシー会社

 どうやら乗車券を見せろと言っているらしく、山本さんが団体乗車券を見せていたが、そのうち全線随行の王さんも加わって話し始めた。どの車両も席が既に埋まっていて、我々の乗る余地はないということだった。
 そんな馬鹿な、指定席なのだから今坐っている連中が不正なのだ、それをどかすのが駅員なり車掌なりの仕事ではないか。
 私たちは互いに顔を見合わせ、困ったことになったなと言い合った。次の列車に空席があるかどうかは分からない。あったとしても、離れた車両にばらばらに乗るというようなことにもなりかねない。それでもなんとか今日中に上海に着ければまだいいが、それが駄目だったら・・・などと言いながら成り行きを見ていると、山本さんがやおら鞄からタバコを数箱出し、駅員にスッと渡すのが見えた。
 そして何秒もたたぬうちに席が取れたということになり、我々は列車に乗り込んだ。とくに先客を別の席に移動させたというような様子もない。全員がかたまって乗れるだけの席はちゃんと空いていた。
 走り出してから団員たちは一斉に山本さんに質問の矢を浴びせた。手配ができていなかったのか? いや、ちゃんとできていましたよ。 オーバーブッキングか? いや、そんなことはありません。
 つまりは駅員が賄賂欲しさに難癖をつけたということだ。
 そう言えば、と誰かが言った。「山本さんは成田の免税店でタバコを何カートンか買ってましたよね」
 その晩、橋田さんの部屋で飲もうということになり、小出さん、永井さん、それに誰だったか忘れたが、もう一人と私とが集まった。
 幸いホテルのレストランに冷たいビールがあったので、それを買ってきて心地良く飲み、話は例のタバコの件になった。すると小出さんが、そういえば山本さんは100円の使い捨てライターを何個も持っている、何に使うんだろうと思っていた、あれもやっぱり賄賂用か、と言いだした。
 中国人はけしからんという話と、さすが山本さんはたいしたものだという話になり、山本さんの部屋で飲み直そうということになった。かなり遅かったと思うが、酔っ払いというのは節度がない。
 ノックをすると、日本語で「どなたですか?」という声がした。名乗ると、ちょっとお待ちくださいと慌てたような返事で、しばらくして山本さんが出てきた。驚いたことに、ちゃんとワイシャツを着て、ネクタイまでしている。
「すいません、寝ていたもので・・・」
 今思えば、あれは「こんな時間に非常識な!」という精一杯の抗議だったのだと思うが、そのときはそんなことには気づきもせず、我々はどやどやと山本さんの部屋に入り込み、深夜まで大いに盛り上がってしまった。

 バスの中から見る上海は、どこに行っても工事中だった。ビルというビルに丸太で足場がかけられ、ランニングシャツの男たちが作業をしている。半ズボンが多い。中国ではどこに行ってもそういう服装が多いし、特に上海は暑いのでとやかく言うことではないが、工事現場ということを考えると、安全意識が足りないのではと思ってしまう。
 服装について言うならば、いわゆるホワイトカラーにあたる人たちは半袖開襟シャツが多い。そのシャツの裾をズボンの中に入れている人は皆無だ。現場作業をする人や商店、飲食店の作業員はランニングシャツ。路上で将棋のようなゲームをしている人たちもランニングシャツが多い。年配の男性には紺の長袖シャツに人民帽という組み合わせが多い。
 足は殆どの人がサンダルで、靴を履いている人は少ない。たまにいても、半ズボンに革靴というのは、我々の目には奇異に映る。
 しかし、それらは暑い風土の中では自然なことであり、確かに日本人の服装とは違うが、優劣の問題ではない。
 女性の服装はまた別だ。中年以上の人は総じて地味で、開襟シャツにズボンが多い。反して若い女性は圧倒的にワンピース、それも派手なものが多い。
壁新聞を読む人々

 若い女性については、文化の違いとはいえ、あまりぞっとしない面もある。
 まず、坐り方が良くない。どこに行っても階段が多いが、その階段に腰掛けている女性が例外なくスカートをたくし上げ、パンツが丸見えになっているのである。といって、それは男たちを慌てさせる白いパンツではなく、赤だの青だの紫だのといった、まあ、パンツの上に履くパンツだと思う。幻滅の極みであり、せめて見えないように坐ってもらいたいものだ。
 次がまたいけない。先述のとおり若い女性はワンピース姿が多いのだが、それがノースリーブである人も結構いて、皆わき毛がはみ出ている。別に女はわき毛を剃れと言うつもりもないが、せめて袖のあるシャツを着てもらいたいものだと思う。
 山本さんにそう言ったら、またしても山本さんらしい返事が返ってきた。
「日本の女はわきを剃るけど、下は剃らないですよね。中国の女はわきは剃らないけど、下は剃っているんですよ」
 真面目な顔をして言うので、一瞬本当かと思ってしまう。

 旅先でがっかりすることは多いものだが、その一つにその地の風物が思っていたより近代化しているというのがある。
 たとえば岐阜の白川郷。合掌造りの重厚な建物ばかりが並んでいる光景を期待して行くと、実際にはコンクリートの家もあり、木造でもアルミサッシの窓やエアコンの室外機が目立つ。道には自動販売機、空には電線という具合で、ポスターで見るような写真を撮ることはまず無理だ。
 しかし、そういう不満はまことに勝手なもので、現地で暮らしている人にしてみれば、観光客のために自分たちが不便な生活を我慢しなければならない筋合いはない。
 それは分かっている。分かってはいるが、私もやはり中国を旅行していると、無意識のうちに古い昔ながらの生活の様子を期待してしまう。
 それかあらぬか、帰ってから自分の撮った写真を見ると、水牛だの荷馬車だの、露店に並べられた食肉だの地面に積まれて売られているスイカだの、はては木製の乳母車だの木の枝を組んだ鶏小屋だのといった、日本では見ることもなくなったものばかりが写っている。
 そういう勝手な旅行者の目で見ると、ここ上海はあまり面白くない。
 むろん玉仏寺、豫園などはいかにも中国らしい雰囲気を持った名所であるし、黄浦公園、虹口公園などは歩いているだけで楽しい。
 ただ、上海は中国が経済的発展を誇示するために国を挙げて開発に取り組んでいる所で、先述のとおり町中至る所、工事、工事で潤いがない。近代的な建物がどんどん建ち、観光客が求める中国の雰囲気は急速に失われている。
 といって、世界の最先端をいく近代都市、文明都市というにはまだ遠い。表通りに面した近代的なビルの裏側には屋根も傾いた古い家がひしめいていたり、アパートの窓から物干し竿が突き出ていて満艦飾の洗濯物が干してあったりする。外賓用のホテルでもロビーで従業員が蠅はたきを持って蠅を叩き潰したりしている。
 山本さんから蚊取り線香を持って行くようにと言われたときには、まさかと思って持って行かなかったが、上海のホテルではとうとう我慢できず、夜中に他の団員の部屋に蚊取り線香を貰いに行った。
 そればかりではない。私は上海で団長と同室となったが、朝、団長がトイレから出てきて、水が流れないと言う。そんな! 中国を代表する国際都市の、それも外賓用ホテルである。
 信じがたい気分で行ってみると、なるほど便器の底に呆れるほど大きなモノが沈んでいる。私は洗面器を持って風呂場に行き、湯舟の残り湯を汲んでは運び、運んでは便器に投じた。モノが踊ってなかなか流れなかったので諦めて、私自身はロビーのトイレで用を足した。

 つまり、上海は何もかもが中途半端なのである。
 もう一つ、玉仏寺や豫園は中国らしい雰囲気があると書いたが、それにも問題がある。百年前に建立された古刹であり、建物、とくに瓦を多用した屋根はすばらしいのだが、そこに網でもかぶせたかと思うほど電線が巡らされ、無数の電球が取り付けられているのである。中にはネオンで屋根の形をなぞった部分もある。
 この電飾は上海に限らず、あちこちで見られるが、古い建物に特に多い。このセンスのなさは信じがたいもので、成り金趣味の民間人が個人的にやっているのならまだしも、市や国が予算を使ってやっていると思うと、中国という国の神経を疑ってしまう。

 とにかくこけおどしの近代化と場末のストリップ劇場のようなごてごての飾り物で国力を誇示しているつもりなのだろうが、いかに繕おうと、政府の“見栄”と人民の本当の生活とがかなりかけ離れているのは見てとれる。政府の思惑とは裏腹に、暮らしの実態というのはまだまだ貧しい。
 そもそも我々が泊るホテルは日本円にして1万円以上するそうだ。都会で働く中国人の平均月収が当時40元(約5000円)ぐらいだったというから、中国人から見れば、1泊で2カ月分の給料が吹っ飛ぶことになる。そんなホテルから出てくる日本人を、彼らはどう見ているのだろう。
 私の持っていたカメラは特に高級品というわけではないが、それでも中国人の2年分の給料を全部払っても買えない。そんなカメラを振りかざして中国の貧しい様子を珍しそうに撮りまくる日本人を、中国人はどういう思いで見ているのだろう。
 私が彼らの何十倍も働いた結果として経済力に差が生じたというなら、それもいい。しかし、偶然経済大国に生まれたというだけでこれほどの差がついているというのは、あまり愉快ではない。それどころか、自分が何か悪いことでもしているようで、
どうにも居心地が悪い。
 中国旅行の経験者から、中国ではチップの習慣がないから、ちょっとしたお礼にはタバコ、使い捨てライター、ボールペンなどが喜ばれる、ということを聞いていた。そこでボールペンを束にして持って行ったが、実際にはチップをためらいもなく受け取るので、使い道はなかった。
 たまたま西安の清真寺の前で子供たちが「コンニチワ」「コンニチワ」と群がってきたので、そのボールペンをあげると、やったー!という感じで近くの家に駆け込んで行った。親に報告するのだろうが、親は何と言うだろうか。
「よくやったね。もう一度行っておいで」と言うか、
「日本人に恵んでもらうなんて、情けないことをするんじゃない」と叱るか。
 それを考えたら、豊かな者が貧しい者に物をあげるということがすごく罪深いことのように思えてきて、そのあと残ったボールペンをこっそり捨ててしまった。
 自分の努力ではないのに、たまたま豊かな国に生まれてノーテンキに観光旅行をしている自分が、知らずしらずのうちに中国人を傷つけている。
 思えば、中国では人々の貧しい暮らしぶりばかりが目について、相対的な自分たちの豊かさが、なにか申し訳なく思えてならなかった。罪悪感と言ってもいい気分である。見るからに貧しそうな人たちにボールペンなどあげたら、結果的に彼我の金力の差を見せつけることになるかも知れない。日本人の驕りと取られるかも知れない。
 そう思うと、腰が引けてしまう。
 そんな思いを毎日しているうちに、私はだんだん土産物を買うことすら、なにか罪深いような気にもなってきた。なにしろ我々が入る土産物屋は兌換券しか使えないので、一般の中国人は入らない。しかも人民相場の10倍の値段がついているのだから、売っている店員だって愉快ではないだろう。
 例の女性団員2人は、そんなことは毫も考えず、上海が最後の訪問地であるということで、これまでにも増して張りきって買い物をしている。帰ってから「中国物産市」でも開くつもりとみえる。

 というわけで、中国旅行は沈んだ気持ちで終ることになり、上海空港に向かった。
 空港に着き、ターミナルビルに行くと、入口が大変な混雑になっている。大勢の人が押し合いへし合いして、入口に近づくことさえままならない。どうやらそこは団体客専用の、いわば裏口のような所で、通常の空港玄関ではないらしかったが、それにしたっていやしくも国際空港である。中に入ることすらできないというのは信じられない。
 誰もが大きな荷物を持っているので、その荷物がまた混雑に拍車をかけている。前にも書いたとおり中国人には並ぶという習慣がないので、とにかく腕力と大声で勝ち抜くしかない。
 団員の原さんが
「並ぶんだよ! 並べば入れるんだよ。 並べ!」
と日本語で怒鳴る。誰一人従う者はいない。原さんは他の団員に向かって
「我々が先だよ。チケットがあるんだから!」
と叫んで、そのあと中国人に向かってなにやら怒鳴り散らした。まったく効果はなく、皆揉みくちゃになりながら一人、また一人と中に入った。
 全員が入ったあと、私は腰の横に何かに強くぶつけたあとのような痛みを感じていた。おそらく揉み合っているうちに誰かの荷物がぶつかったのであろう。
 原さんは憤懣が収まらないらしく、大声で中国人は民度が低いというようなことを言い続けていた。どういうわけか上海ガイドの朱さんも全線随行の王さんもそこにはいなかった。
 私も自分が故なく中国人の気持を傷つけていたのではないかという自戒の気持などどこへやら、中国人というのはなんて程度が低いのだろうという腹立ちがしばらくは収まらなかった。
 
 中国の人々の貧しい生活ぶりを見ていると心が痛む。ずるさや厚かましさを見ていると不愉快。センスのなさやマナーの悪さを見ているとうんざり。
 総じて中国では歴史的建造物の華麗さ雄大さに圧倒される一方で、人を見るとがっかりしてしまう。
 いつもの旅のように心弾むことがなく、鬱々たる気分で時が過ぎていく。

 
我々に禁じたキャンデーを自
分では食べている山本さん
思えば腹の立つことが多かった中国旅行であるが、さらに思えば、山本さんが臨機応変に対処してくれたお陰で、いろいろな場面をなんとなく切り抜けることができた。
 このなんとなくというところが絶妙で、私たちはいつの間にか山本さんのペースに乗せられて、「ま、いいか」となってしまう。
 この旅行は一応「友好訪中」という位置づけになっていたが、山本さんがいなかったら、各所でいざこざが避けられなかったであろう。
 訪中団がかろうじて「友好」の旗を下ろさずに帰国できたのは、一にかかって山本さんの存在によるところが大きい。



※ 
この旅行記に出てくる山本民雄氏は、近畿日本ツーリストで永く要職にあり、現在は
  奥日光高原ホテルの社長をしています。
  写真撮影を趣味とされており、滞在客に自慢の写真を披露するなど家庭的なもてなし
  をしてくれますので、機会がありましたら是非奥日光高原ホテルを訪ねてみてくださ
  い。
  上にある山本さんの写真をクリックすると、奥日光高原ホテルのホームページが見ら
  れます。



中国視察旅行の鬱念(3) 心痛む中国の旅
     
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