肩身の狭い韓国旅行(2)


秀吉の朝鮮出兵を責められても

 翌日、朝食前に一人でホテルを抜け出し、地図を頼りに普信閣(ポシンガック)まで歩く。
 裏通りの汚さは東京のそれと同じ。青信号になったので渡ろうと思ったが、車は横からビュンビュン飛ばしてくる。よく見ると、歩行者用の信号は別にあって、これが青になると、さすがに車は止まる。
 普信閣は15世紀、朝鮮王朝第7代世祖のときに作られた鐘楼で、明け方の4時と夜の10時に都城門の開閉を知らせるために鐘が突かれたとのこと。その鐘は高さ4.1メートル、直径2.2メートル、重さ2トンという巨大なもので、今は大晦日の晩にだけ突かれるらしい。
 地下鉄鐘閣駅に行き、東大門までの切符を買う。乗るわけではないが、韓国人の日常の行動をちょっとだけ体験してみたいのと、乗車券を記念に持ち帰ろうという算段である。
 買い方が分らないので他の乗客の様子を見ていると、行く先を告げて買っているようだ。これなら日本と同じことだと思って窓口に行き、「トンデムン」と言って金を出す。駅員は黙って切符と釣り銭を投げてよこした。
 ホテルに帰って朝食をとったあと、今度は一人で南大門まで行ってみようと思い、大体の見当で歩いて行く。帰り道、タバコ屋がやたらにあり、どこも窓口に BUS TOKEN と書いてある。バスに乗るにはトークンを買うのだということを本で読んでいたので、買ってみようという気になり、「バス・トックン、ツー」と我ながら変な言い方をすると、おじさんが「フタツ?」と日本語で訊き返してきた。1つ120ウォン。しばらく歩いていると、またトークンの売り場があった。子供たちの土産にするには3つなければと思い、そこでまた1つ買う。
 その売り場の前にバスが停まっている。見ていると客は前から乗り、運転手横の料金箱にトークンを投げ入れて席につく。これなら自分にもできそうだと思ったとたん、バスに乗ってみたくなる。行き先も分らぬまま、飛び乗る。
 吊革につかまっていると、1人のお年寄りが乗ってきた。と、私のそばに坐っていた若者がつと立って、吊革につかまった。お年寄りはその空いた席に何のためらいもなく坐った。年長者に席を譲るのは当然のことであり、礼を言うほどのことではないらしい。
 日本では年長者を敬うという風潮はとんとなくなり、私の勤務校でもスクールバス内で生徒が年配の教員に席を譲る光景など見たことがない。総じて真面目な韓国の若者を見ていると、日本が韓国に追い越されるのは時間の問題だなと思われる。
 やがてバスが走り出した。運転手はタバコをくわえたままである。猛烈なスピードで走り始め、乱暴極まりない。どんどん走って、なかなか止まらない。いったいどこまで行くのかと心細くなってきたところで、ようやく停留所に停まる。とにかく飛び降りて、ここはいったいどこだろうと見回すと、なんと景福宮の光化門が見える。とんでもない所まで来てしまったものだが、考えてみればこれで方角は判り易くなった。しばらく歩くと、さきほど行った普信閣に出る。あとは知った道であるから、簡単に帰れる。
 10時に朴さんが迎えに来る筈であったが、道が渋滞しているので10時半ごろになるという電話がホテルにあったという。道が渋滞するなどということは容易に予想できることであるから、旅行業者たるもの、そんなことを理由に遅れていいわけがない。
 10時40分になって、やっと朴さんが来る。遅れたことについて何の挨拶もない。どうも妓生パーティを断ったせいで朴さんは我々に対して気分を害しているようだ。自国の、それも自分と同年代の女性を狙って大勢の日本人男性が押しかけてくることには朴さんとて嫌悪感を抱いているに違いない。それなのに、我々のようにそれをしない客についてどうして腹を立てるのだろう。
 この日は民俗村観光の予定になっている。赤いレンガとセメントブロックの民家を左右に見ながら高速道路を水原(スーウォン)まで。民家にはオンドル用の煙突が見える。沿道の雑木の梢にはかささぎの巣が多くかかっている。日本車は輸入禁止だそうで、1台も走っていない。何から何まで日本を目の敵にしているような按配だ。
 高速道路には所々、分離帯のない個所がある。ソウル~釜山、480キロの間に4か所、それぞれ3千メートルずつあるそうで、有事の際に航空機の滑走路として使用するのだという。
 水原の村にさしかかる。女の人が赤ん坊をおぶうのに、日本のように背中ではなく、腰の後ろに
おぶっているのが面白い。
 民俗村に着く。民俗村は、韓国の庶民の衣食住、遊びなどすべての民俗的なものが約200年前の姿で保存されているテーマパークのような所で、勿論入場料を払って入る。神奈川の川崎にある民家園のようなたたずまいだが、ここでは実際に人々が昔ながらの様式を守って生活しているというから驚く。
 門を入ると数人の男がいきなり私たちに民俗衣装を着せ始めた。雰囲気作りのサービスだと思っていたら、女性モデルと一緒に写真を撮られ、代金を取られた。
途中で3千ウォンと言われ、まあそのくらいなら、と思って承知すると、あっという間に3枚撮られ、9千ウォン(2700円強)だと言う。
 園内には古民家が多数建てられており、キムチを漬ける甕なども庭に置いてあったりして、なかなか興味深い。葉の落ちた木に、ここでもかささぎが巣を作っている。
 ちょうどTVドラマのロケをやっており、なにやら偉い人物が輿に乗って現れるシーンを繰り返し撮っていた。なんとかいう俳優で、結構有名なのだということだった。
 別の広場では高校生ぐらいの若者たちが帽子に長いリボンをつけて首を振って回す「ブンムル」という踊りをやっている。これは迫力もあり、技の難易度も高く、なかなかの見ものだ。ただ、延々と果てしなく続くので、やや飽きる。
 
 ブンムル

 綱渡りもあり、これも見事だが、やはり延々と続く。シンガポールでインスタント・アジア・ショーというのを見たときと、ずっと昔、和歌山のホテルでアジアのショーを見たときにも感じたが、東南アジアの人達はショーの効果的演出といったことにあまり長けていないのではないか。

 食堂で昼食をとる。ウエイトレスを呼ぶときは「アガシ!」と言うのだと俄か勉強をしてあったので、その通り言うと本当に来た。感激はしたが、そのあとの会話が全然できない。
 ここでも料理選びは伊藤さんの主導でコムタンということになった。なにしろ私はそういうことに全く知識がなく、例えばビビンバというよく聞くものについても、どれがどんなものなのか未だに分らない。妻にも、「○○という料理は旨いそうだぞ」というようなことを言っては、「うちでもよく食べてるじゃないですか」と怒られる。
 さてそのコムタン。大きなボールに入っている。井上さんが別の器に盛られたご飯をガバッと入れて、またしても猛烈にかき混ぜ始めた。いくら文化が違うとはいえ、そう何でもかんでもかき混ぜるものではあるまい。そう思っていると、通りかかったウエイトレスが日本語で「韓国の食べ方を知っていますね」と声をかけてきた。味も良く、ビール4本をとり、6800ウォン。
 ともあれ、見どころいっぱいの民俗村であった。
 帰りに「東和免税百貨店」という所に連れて行かれる。入るなり店員が群がってきて、あれを買え、これを買えとうるさくつきまとって、とても品定めなどしていられない。それでも結局、8千ウォンの人形を3体買わされる。
 続いて「ソウル観光記念品百貨店」という店に入り、ここでも店員からの総攻撃にあう。朴さんのスキを見て店を抜け出し、勝手に地下街を見て回る。東京のそれほどきれいではないが、それでも結構充実している。なんでも月に1度、全国的な避難訓練があり、ソウル市民は一斉に地下街に潜るのだそうな。何から非難するか? 勿論、北朝鮮の攻撃からである。
 だから地下はすべて写真撮影禁止。これについては初日に朴さんからきつく注意があった。見つからないだろうと思って写真を撮る人が多いが、街中に私服警官がいて、たちまち見つかる。フィルムを没収された上、大変な罰金を取られるという。
 夜は「コリアハウス」で本格的な韓定食を食べることになっていた。例の妓生パーティをキャンセルしてその代金を振り替えてもらったものである。コリアハウスには18時までに入らなければならないから時間を厳守するようにと念を押されており、そのとおりロビーで待っていたが、迎えの車が来ない。別に意地悪をしているわけでもないのだろうが、運転手を含めてどうも我々に好感を抱いていないことだけは確かなようだ。
 あとで判ったのだが、妓生パーティでは飲食、宿泊、買春でかなりの金が動き、それぞれのバックマージンが手配業者に渡るらしい。
 さらに買春では妓生があれこれの“秘術”を尽くし、そのたびに多額のチップが支払われる。これは正規の料金ではないが、それだけに妓生側にしてみれば、そういう気前の良い客を連れてきてくれるガイドは大切で、闇の謝礼が払われるという話。朴さんにしてみれば、我々がそのパーティを断ったことで会社からは怒られ、闇の謝礼はフイになり、踏んだり蹴ったりということなのだろう。
 なんとか着いたコリアハウス。客はどうやら私たちだけらしい。チマ・チョゴリを着た女の子が無愛想に料理を運んでくる。さすがに宮廷料理というだけあって、いろいろ出てくる。松の実というのが出て、五槻さんが「松の実、松の実」と騒いでいたが、別に美味くはない。生人参をスライスしたものも、話のタネに食べてはみたが、やはり美味くはない。干し柿の中に胡桃が入っているオードブルみたいなものがあり、これは美味い。キムチはここでもどんどんお代わりが出てくる。
 妓生パーティ代とホテルの部屋をツインに変更した差額がそっくりここの費用に充てられている筈だが、それでも追加料金を15万7千ウォン取られた。なんぼなんでも高すぎる。たぶん朴さんの会社が相当上前をはねたのだろう。
 それでも料理に続くステージショーは良かった。小さな舞台は却って観客との距離を縮め、臨場感があって良い。太鼓、銅鑼、鉦、それに何というのか知らないが日本の鼓に似た楽器を使って緩急自在の伝統音楽が奏でられる。また控え目な伴奏に合わせて展開される仮面劇と哀歌の独唱も、悲喜こもごもの情感が漂う。ちょうど1時間、息をつかせぬ公演が続く。どれも韓国語が判らぬ我々にも質の高さを感じさせる立派なもので、感動的であった。

 3日目は朝から雨。南山タワーや南大門市場を徒歩で回る予定だったので、困ったなと思ったが、こればかりはどうしようもない。フロントに電話をして傘の有無を訊くと、全部貸し出してしまったので、ホテルの前で買ってくれとのこと。
 伊藤さん、井上さん、五槻さん、遠藤さんと私とでホテルを出る。玄関前で、傘を小脇に沢山抱えた男が走り寄ってきて、すばやく傘を広げ、我々に差し出す。一瞬ホテルのサービスかと思ったくらい、自然な動作であったが、案に相違してこれは傘売りであり、1本千ウォンだという。竹の棒に薄っぺらなビニールを張っただけの粗末なものだが、安いので使い捨てにはちょうど良い。
 明洞を抜け、坂と石段を登りつめて南山公園のロープウェイ駅へ。山頂からの写真撮影は禁止と書かれている。軍事的な理由だそうだが、たかが観光客の写真ぐらいで漏れるような軍事機密では頼りないと思う。そういえばホテルでも、5階以上の部屋から写真を撮ってはいけないと言われた。勿論撮ったが、ただの町並みであった。
 ロープウェイが動き出したが、濃霧で何も見えない。頂上に着いたが、やはり何も見えない。すぐそばに南山タワーがある筈なのだが、それも見えない。足元だけを見ながら歩いていくと、突然目の前の霧の中に大きなタワーが霞んで見えた。
 中は東京タワーによく似た作りで、エレベーターがあり、そこでカメラを取り上げられる。エレベーターの中で日本語の達者な従業員が話しかけてくる。こちらも負けじと、知っている限りの韓国語を並べたてる。展望台はこれまた東京タワーにそっくりで、売っている物まで真似をしたのではないかと思われるほど。展望レストランがあり、ゆっくりと回転するようになっている。これがさきほどの従業員には自慢らしく、盛んに説明して、日本にはこういうものがありますか、と訊いてくる。
 公園の東屋「八角亭」からは漢江、北漢岳(プッカンサン)をはじめ、市内が一望できる由だが、この日は一面の霧で何も見えず。結局南山で見たのはタワーのレストランと売店だけだった。
 ロープウェイで下に降りたあと、歩いて南大門市場(ナンデムン・シジャン)へ。東京のアメ横そっくりで、もっと大きく、もっと汚い。豚の頭、生きた雷魚、スッポンなどがやたらと並んでいて、どうも気味が悪い。地べたに置いた木箱の上で漬物やら煮込みやら海苔巻きなどを売っている。一応、傘やテントで覆ってはいるが、雨はかかり、しずくも垂れる。誰も意に介する様子がなく、客も背中を濡らしながら食べている。
 この旅行の少し前、南大門市場の火事のことが新聞に出ていたが、なるほど、丸焼けになった跡や、内装だけ焼けて修理中の店がいくつかある。
 市場を出てまた地下街へ。ここで伊藤さんがネクタイを買う。昨日連れて行かれた土産物屋よりずっと安い。
 看板も出ていない小さな食堂があり、とにかく昼飯を食べようと入ってみる。メニューは読めないし、料理の名前も分らないので、隣の人が食べているものを指して、同じものを注文する。スジェビとかいうものがあるようだが、それが何だか分からない。「アジュマ!(おばさん)」と呼び、「イゴスン、ムォッシムニカ?(これは何ですか)」と訊いたが、どうも通じない。「ムォッシムニカ?(何ですか)」と訊いたが、やはり通じない。そこで「ムォッ?」と訊くと、やっと通じる。とはいえ、それに対するアジュマの返事はまるで理解できない。「ダシハンボンマルヘジュセヨ(もう一度言ってください)」と言うと、近くにいた韓国人の男性が私の口調を真似て笑う。私がカタカナで覚えた韓国語は発音が違うのだろう。
 ともあれ、こちらが質問したスジェビというものについて説明をしてくれたので、それがどういうものだか全然判らないままに注文する。出てきたのはただのすいとんで、がっかり。
 ホテルに帰って、迎えにきた車で市内観光をして、夕方金浦空港へ。途中、頼みもしないのに土産物屋に寄られて、キムチを買わされる。家に帰って食べたところ、酸っぱいばかりで美味くなかった。
 韓国ではどこで何を食べてもキムチがついてきて、これがすこぶる美味かった。辛い中に甘みがある不思議な味で、食べ物に関心のない私でもかなり食べた。それなのに、最後で粗悪なものを押しつけられて、文字通り後味が悪い。
 思えばホテルの部屋を巡ってのトラブルから始まって、執拗なまでの秀吉非難、さらに日本による不当な統治の歴史講釈と続き、現地S観光社と我々との関係はどこかぎくしゃくしたものであった。
 しかし日本人男性の韓国旅行すなわち買春観光と決めつけて、勝手にそのような手配をしたのは日本のY観光と韓国のS観光である。
 景福宮で民俗衣装の女の子たちが我々に愛想のかけらも見せなかったのも、我々を不潔な日本人と思ってのことであろうが、品行下劣な日本人を格好の客としてセックス・ツアーを組んでいる旅行社にも問題があるのではないか。
 そんな旅行社のガイドから口を極めて日本の非道を責められても、どうももう一つ素直になれない。秀吉の時代にも日韓併合の時代にも我々はこの世にいなかったのに、さあ謝れとばかりにその非をなじられても、どうも釈然としない。我々が朴さんにゴメンナサイと言ったところで歴史が変わるわけでもなかろう。
 まあ、あちこちでエナメル靴の日本人に出くわすたびに、なんだか肩身の狭い思いをしたのは事実であり、日本人の品性がグローバル・スタンダードから見てかなり低いのは事実であるが、なんとも複雑な思いの続いたソウルの3日間ではあった。


肩身の狭い韓国旅行(1) 中国視察旅行の鬱念(1)
     
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