欧州視察旅行余談(3)


マドリッドで
 スペインでは菊池さんという日本人ガイドがついたのだが、それとは別にメルセデスさんという女性が乗り込んできた。
 外国人の観光バスにはスペイン人のガイドをつけることが義務づけられているのだとか。
 英語が話せる訳でもなく、案内をする訳でもなく、ただ座っているだけ。つまり雇用対策で、外国人にスペイン人の日当を負担させようという、いじましい手管である。
 スペイン広場で少しばかりの自由時間。中央に有名なドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像がある。
 写真で見ていた感じよりかなり大きい。圧倒され、おおいに気に入り、サンチョのロバによじ登る。上から見るとさらに高い。
 悦に入っていると、菊池さんが飛んできた。必死の形相で大きく手を振りながら、なんでもいいからとにかく降りろと言う。
 折角いい気分になっているのにと思いながら渋々降りると、菊池さんが息を弾ませて、この二人はスペインの国家的英雄であるから、それに乗ったりしているところを警官に見つかりでもしたら、射殺されても文句は言えないのだと言う。
 それはいささか大袈裟であろうと思ったが、そのあと公園内で自動小銃を持った警官を見かけたときには胆を冷やした。そういう警官をうっかり写真に撮ったりすると、暗殺の為と誤解されるから注意するようにとも言われた。
 どうも穏やかならぬ国だなと思っていると、もう一つ注意があった。
 1人で歩くときは大金を持たず、さりとてゼロではなく適当な額を持っているように。襲われたときには抵抗せずにそれを渡すこと。ゼロだと相手が腹を立てて、逆に危ないとか。
 午後、自由時間があったので、取られても惜しくない1,000 ペセタ(約 3,000円)だけ持って、地下鉄でホセ・アントニオまで行く。
 車内は汚く、混んでいて、騒がしい。乗り心地もよろしくない。
 次の駅で急に空いたのでこれ幸いと席に座ると、ドアが閉まり、逆方向に走り出した。その駅で折り返しだったのだ。その間、車内放送などは何もない。もっとも、放送されたところで判りはしないのだが、どうもスペインという所は物騒で、無愛想で、不親切な所だ。
 もとの駅に戻ってまた乗り直し、やっとホセ・アントニオに着いた。
 1,000 ペセタ取られる経験もしてみたいような気もしたが、幸か不幸か何事もなく、カネが浮いたような気分になったので、帰りはタクシーを使った。
 メーターには 250ペセタと出たが、インフレらしく、運転手は換算表を示して 350ペセタだと言う。
 あまりいい気分ではないが、なにしろ 1,000ペセタが浮いて気が大きくなっていたので、チップを含めて 400ペセタを払った。運転手は礼も言わない。

 夕食は海鮮料理店で。
 店内には魚介類がわんさと盛られた調理台があり、周りをテーブルが囲んでいる。
 日本の活魚料理店のような雰囲気で、活気があり、運ばれてくる料理はどれもとびきり美味しい。とりわけ牡蠣とアサリをかき氷の上に載せてレモンをかけて食べるものが言葉を絶する美味さで、久しぶりに食事を堪能する。
 それなのに、興を醒ますような副団長。
 皆がビールだのワインだのと言って盛り上がっているときに、ミルクを注文したのだ。
 無論ある訳はなく言下に断られたのだが、なんと副団長はウエイターに向かって、それでは近くで買ってこいと言い放った。
 実は副団長は、パリでの昼食で各自がコーヒーだの紅茶だのを頼んだとき、ミルクを所望した。それは別段おかしなことでもなかったのだが、団員の誰かが先生はミルクがお好きなんですか、と訊いたのに対し、そうとも、ミルクに勝る飲み物はないよ、などと必要以上の返事をした。いやいやお恥ずかしい、とでも言っておけばいいものを。
 私は苦々しく思ったが、何人かの心の広い団員たちがヘーとかホーとか感心した振りをしたところ副団長は調子に乗り、夕食のときにもミルクを注文した。
 そこでまた誰かが、先生はステーキにもミルクですか、などと煽ったものだからますます調子に乗り、ミルク以外に何があるかね、ミルクこそ究極の飲み物だよ、などとつまらぬ講釈をした。
 そうして自分でも引っ込みがつかなくなり、その後は朝、昼、晩とミルクばかり飲んでいる。
 団員たちもだんだん馬鹿らしくなり、あまり話題にしなくなった。自分の存在が軽くなったと焦った副団長は、ここ海鮮料理屋でも起死回生を狙ってウエイターに無理を言ったのだ。
 幸いそれは日本語だったので通じず、ウエイターは笑顔で去って行った。
 すっかり鼻白んだ団員たちの様子に、かくてはならじと思った副団長は、添乗員に通訳を命じた。恥の上塗りである。
 添乗員の熊倉さんが申し訳ありませんと謝ったので、副団長もかろうじて振り上げた拳を降ろすことができ、それじゃあ仕方がないとか言ってビールを注文した。 
 最初からビールにすれば、誰も馬鹿にしたりはしないものを。

 次の晩は全員でフラメンコを観に行くことになった。
 哀愁を帯びた歌声と激しい踊りは観客を魅了し、私たちもいつしか踊り子たちの思い詰めたような眼差しに酔わされていた。
 ところがそんな最中、あろうことか団員の1人が何を血迷ったか、よたよたとステージに上がって行った。
 ある幼稚園の園長で寺の住職でもあるその人は、立ち居振る舞いに節操がなく、団員の間で色坊主などと陰口を叩かれていたのだが、ここでも踊り子の官能的な肢体に我を忘れてしまったのであろう。
 踊り子たちはさすが商売で、嫌な顔もせず、招かれざる客に拍手をした。
 するとその色坊主はなんと、その場で炭坑節を踊り出した。
 炭坑節そのものは誇るに足る日本の文化ではあるが、フラメンコのステージにはどうしても似合わず、折角のショーは台無しになってしまった。

 スペインではマドリッドの他にも城塞都市アビラやセゴビアの古城、水道橋なども見学し、収穫が多かった。なかでもプラド美術館ではベラスケス、ゴヤ、グレコなど、名だたる画家たちの作品をじっくりと鑑賞することができ、美術音痴の私がいっぱしの美術評論家のような気分にもなれた。
 それなのに、バスは土産物屋に2回も寄り、しかも時間をたっぷりかけて私の興をそいだ。これには伏線がある。
 出発前に何回か行われた研修会(と言っても、とりとめのない雑談ばかりだったのだが)で、副団長が知り合いの店からスペインの土産物、それもフラメンコ人形、扇子、ペンダントなど取るに足らない物をいくつか借りてきて、「土産物を買うときの参考に」などと披露した。
 なんとも馬鹿げた話だが、そこまでは笑い話で済む。それがなんと、その店に行って下見をしようという話になり、その為の日時、集合場所などああでもないこうでもないと揉め始めた。ことここに至って私も切れて、そんなことは行きたい人だけで決めてくださいと声を荒らげた。
 そんな訳で、スペインでの“お買い物タイム”が2回もあったのは、事前に副団長から添乗員への“特別リクエスト”があったせいである。

 ホテルに帰り、部屋に入ろうとすると、鍵が開かない。フロントに戻ってその旨告げると、すぐに行くから部屋の前で待っていてくれということ。
 待っていると、あの色坊主が通りかかった。何をしているのかと訊かれ、訳を話すと、開けてあげると言う。私はフラメンコの件もあってうんざりしていたので、「開きませんよ」とぶっきら棒に言った。
 色坊主は「開く、開く。これは開け方があるのよ」などと言って私からキーを取り上げ、鍵穴に突っ込んでガチャガチャやり始めた。無論開くわけもないが、「大丈夫。海外ではよくあるのよ」とか言いながら、やめようとしない。
 私はうっとうしくなり、「今ボーイが来ますから、そのとき開いていたんじゃバツが悪いし、そのままにしておきますよ」と言った。
 すると、「それまでにまた閉めておけばいいのよ」との返事。だったら開けることはないではないか。
 結局鍵は開かず、ボーイが来てあれこれやり、さらにマスターキーを使っても開かず、とうとう部屋を替えてもらうことになった。
 うまい具合に隣室が空いており、ボーイがベランダ伝いに荷物を移動して私がそこに入るという大騒ぎである。翌々日フロントで聞いた話では、修理屋を呼んだが直らず、鍵を付け替えることになったということであった。
 それでも色坊主は、もうちょっとで開くところだったんだけどね、などとほざいて恥じる様子がない。

ローマで
 ガイドは三宅さん。土産物を買わせることに熱心で、空港からのバスが動き出すなり、土産物の説明を始めた。バス内で配られた注文票に記入すれば、出国の際に空港まで届けるという。名所巡りの合間に土産物店に寄るのは言うまでもない。いつしか我々の間では、ミヤケさんではなくミヤゲさんと呼ぶようになっていた。
 ナポリ観光への途中、そのミヤゲさんがバスをエル・コラーノのドナディオ商会につけた。観光ツアーでは定番のカメオ工場である。
 工場と言ったって、売店の一角で彫刻の実演をしているだけのことである。売られているカメオ製品はどれも目の玉が飛び出るほど高い。それが飛ぶように売れるから不思議ではあるが。
 私は無論買う気もないので、ざっと見回しただけで外に出た。すると縦縞のダブルのスーツを着た一人の男が近づいてきた。3年前に妻子と来たとき、偽オメガを売りつけようと近づいてきた、その男である。
 あのとき、男はポケットからハンカチに包んだ偽オメガをさも秘密めかしてチラつかせ、「オメガ、ホンモノ」などと言っていた。
 あのときは私も初めてのことで、関わり合いになってはいけないと、ひたすら無視を決め込んだが、今回はこちらも気持に余裕があったので、ちょっとからかってやろうかという気になった。
 男は今回もハンカチをそっと開けたが、出てきたのはオメガではなく、指輪であった。
 私が疑わしそうな態度をとっていると、男はやにわにその指輪でバスの窓ガラスをこすった。ガラスに一条の傷がついたのを指し、「ダイヤ、ホンモノ」と言う。とんでもない奴だ。
「ダイヤでなくたって傷ぐらいつくよ」
 私は日本語で言った。無論イタリア語は判らないし、たとえ判ってもこういう場合は日本語の方が良い。
 相手は何か言ったが、私は保証書はあるかとか、どこの指輪かとか、いい加減なことをあくまでも日本語で訊き、まるで問答が噛み合わぬまま時間が過ぎて、ガイドの呼び声をいいことにバスに乗った。
 男は窓越しに何か言っていたが、私はにこやかに手を振って、バスは動き出した。

 ポンペイの遺跡については近々別稿(生きているポンペイ)で詳述したいので、ここでは省くこととして、見学後の昼食でのこと。
「ベスビオ」というレストランに入る。
 ベスビオなどという名からして、日本でいうならバスツアーの団体が利用するドライブインのような所かと思ったら、これがどうしてちゃんとした所で、テーブルも多くはなく、落ち着いて食事ができる。
 料理も海老やらイカやらムール貝などをふんだんに使った美味しい物が次々と運ばれてくる。
 副団長がミルクを注文したが、もう誰も反応しない。
 マンドリンとギター、タンバリンを持った歌い手が数人おり、サンタルチア、オーソレミヨ、フニクリ・フニクラ、日曜はダメよ、など、日本人にも馴染みの深い歌を歌う。
 なかなかの美声で、声量もあり、良い気分であったが、途中からあの色坊主が立ち上がって日本語で一緒に歌い出した。せっかくイタリア語の響きを楽しんでいたのに、すべて台無しだ。
 スペインでのフラメンコといい、今回のカンツォーネといい、坊主が全部ダメにする。
 不愉快な気分でバスに戻ると、エロ本売りが近づいてきて、「ポルノ、×××」などと言っている。私は、あの人が買うよ、と色坊主を指差した。日本語で言ったのだが、その男は坊主の所に行って本を見せていた。そのあとのことは知らない。

アテネで
 王宮前で衛兵の交代をやっている。単なるショーで、無意味な動きを繰り返し、馬鹿々々しいこと、この上もない。
 この手のショーは世界各地でやっているようだが、私の見た範囲ではやはりイギリスのバッキンガム宮殿が勇壮かつスマートな感じがする。
 マイナーではあるが、韓国の徳寿宮では時代衣装の衛兵が無駄のない控え目な動きで、却って重々しい雰囲気を出していた。台湾の忠烈祠では銃の受け渡しなどに必要以上のパフォーマンスが繰り返されて飽きてしまったが、兵士の行進は実に格好良かった。
 その他、大抵が観光客向けのショーに堕していたが、このアテネの交代はどこと比べても間違いなく最低であった。
 交代劇が終わると、観光客、とくに女性客が争って兵士の横に並んで写真を撮る。それはどこの国でも同じで、衛兵の側も心得ており、女性がどんなに騒ごうが体をすり寄せようが、微動だにしない。それが売りになっている。
 このときも、我々の団の女性が写真を撮った。それはいい。しかし男の団員が何人か同じことをしたのはどういうものか。
 世界中どこでも、衛兵は観光資源になっており、ゆえに皆とびきりハンサムで、背はあくまでも高く、プロポーションは非の打ちどころがない。そんな男と並んで撮った写真を誰に見せようというのであろう。よし誰にも見せないとして、自分で眺めても情けなくなるのがオチである。

 衛兵のショーにはがっかりしたが、それでもアテネはさすがに見どころが多く、郊外も含めてたっぷりと観光をした。
 最後の晩はピレウス港のトリコ・リマーノという海鮮料理店での食事が予定されていた。
 団長は出発前から、最後の晩は本場の海鮮料理で締めくくりましょう、などとまるで自分が手配したようなことを言っていた。各地での食事のときにも、“最後の晩餐”は豪華ですからね、と下らないことを言っていた。とはいえ私もそれは楽しみであった。
 ところが見学を終えてホテルに帰るバスの中で、団長から一方的な話があった。
 明日は帰国なので今晩は荷造りもあるだろう、長いフライトに備えて体も休めておいた方がいい。ついてはピレウス港はキャンセルしてホテルのレストランを予約したから○○時に集まるように。
 明日は帰国という日こそ本場の料理で締めくくりを、と得意そうに言っていたのは誰だったのか。長いフライトの前に豪華な“最後の晩餐”を、と言っていたのは誰だったのか。
 私はロビーで熊倉さんに、どうして予定を変えたのかと訊いた。団長先生のご指示で、と言う熊倉さんも気まずそうな態度であった。
 翌朝、団長は食事に来なかった。熊倉さんによれば、明日は食事はいらないからぎりぎりまで寝かせてくれと団長が言っていたとのこと。
 そんなことだろうと思った。団長は自分がはしゃぎ過ぎて疲れたものだから、最後の晩はゆっくり、などと理屈をつけて予定を変更させたのだ。だったら自分だけホテルに残ればいいものを。
 出発時間になってようやくホテルのロビーに現れたその団長は、小さなバッグ1個しか持っていない私を見て、全員の前で私に命令をした。
「訳有君の荷物はそれだけか。だったら○○先生と△△先生の荷物を持ちなさい。○○先生と△△先生は、成田の到着ロビーで訳有君から受け取ってください」
 ○○先生と△△先生というのは女性団員で、団長はなにかというと女性に世話を焼く。
 確かに私は土産も買わないし、衣類なども古い物を持参して着替えるたびに捨ててきたから、荷物らしいものは殆どない。
 といって、私だって土産をまったく買わないと決めている訳ではないし、ゾーリンゲンの刃物以外にも自分用に欲しいと思った物が一つもなかったという訳でもない。ただ、荷物を持つのが嫌で我慢をしていたのである。
 結果的に私は、自分のバッグを首にかけ、両手に人の荷物を持って乗り継ぎ空港をうろつき、成田の税関では自分の荷物であるかのように振る舞わなければならなかった。
 そんなことなら荷物が増えてもいいから土産を買えばよかった。自宅に着いたとき、土産がないのには慣れている妻に対して、初めて申し訳ない気持ちになった。
 
 アテネ空港の待合室で、写真係のGさんがまた皆を並ばせて写真を撮った。これも写っていなかった。
 この話、人は私が作り話をしていると思うであろうが、神に誓っても仏に誓ってもいい、旅行中にGさんが講釈たらたら撮った写真で、アルバムに貼れるようなものは1枚もない。とにかくピントが合っていないのだ。
 そのGさんが、これから乗る飛行機を見て言った。
「長距離だからジャンボ機かと思っていたけど、747 なんだねぇ」
 747 をジャンボ機というんですよ、Gさん。
 そのジャンボ機の中で、Gさんが得々と解説をしていた。
「イタリア語とスペイン語はね、ほとんど同じなんだよ。まあ、アメリカ語とイギリス語の違いぐらいだね」 
 本当かよ!
 団長は乗り合わせたタイの女学生を相手に
「アテネ、ナリタ、エアプレーン、ゴー」
などと言っている。ちなみに団長は英語の教員である。
 副団長はスチュワーデスに「ミルク、プリーズ」と言っている。
 色坊主は・・・もう書くのもしんどい。


追記:
 この旅行は、冒頭述べたとおりヨーロッパの教育事情を視察するというのが建て前で、そのため学校訪問などが組み込まれていたが、無論それだけではなく、各地の名だたる美術館、博物館はもとより、歴史的な名所旧跡も数多く見て回った。
 そのため一般的な観光ツアーに比して費用も驚くほど高かったが、それはすべて公費で賄われたので、団員が払わなければならないものはあまりなかった。
「あまり」というのは、欧州視察旅行余談(1)に述べたように、報告書を豪華にするために1万円ずつ集めたり、事前に懇親会と称して招集がかかったりしたためである。例の1枚も使えなかったGさんの写真についても、事前に1万円ずつ取られている。なんだかんだと徴収された額は4万4千円になり、これは私にとってかなり痛い出費であった。
 それでも私にとっては旅行そのものがタダなのだから有難い話であるが、思い返すにつけ、あの旅行が公費で行われたことについては後ろめたい気持が消えないのも事実である。
 
欧州視察旅行余談(2 不思議な国、エジプト(1)
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