欧州子連れ旅(3)


やはり海外は海外

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 飛行機は、フランクフルトを夕方の6時に飛び立った。パリ着は8時の予定である。
 水平飛行に移ると、すぐに機内食が配られ、妙なことにまだ半分も食べないうちに、それが片付けられ始めた。私は未練がましくトレーを押さえたりしたが、スチュワーデスは有無を言わさずそれを運び去ってしまった。
 憮然として窓外に目をやると、これも妙なことに、飛行機がやけに低く飛んでいるように感じられる。機種は何度となく乗っているボーイング 727型なのだが、どうもいつもより地上が近く見える。
 と、驚いたことに、飛行機がぐんぐん下降を始めた。まだ7時前であり、パリまではあと1時間以上かかる筈である。そういえば、ベルト着用のサインも、離陸以来一度も消えていない。
 どうも、あれやこれや様子がおかしいと思っていると、スチュワーデスが通路を足早に行き交い、何やらヒソヒソと話し始めている。
 家々の窓、農夫の姿、さらに麦の穂までがハッキリと見えてきた時、私は妻の手を握って優しく言った。
「エンジントラブルか何かで畑に胴体着陸をするらしい。お前は子供を抱け。俺がその上にかぶさる。俺とお前はダメだろうが、うまくすれば子供は助かる」
 ハイ、と妻が答え、2人で息子の顔をじっと見た時、ゴトンという軽いショックがあり、予定通りパリに着いたという機内放送が聞こえてきた。
 そんな馬鹿な! だって、まだ7時ではないか。パリ着は8時の筈だ。
 狐につままれた思いの私の耳に、機内放送が続いて入ってきた。流れるような英語でよくは判らないが、おおむね次のような内容であった。
「ただいまフランスでは、夏時間を採用しておりますので、時計を1時間お進めください。当地は今、午後8時でございます」
 ホッとするよりも、バツの悪さが先に立ち、私はずっと下を向いていた。

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 パリには酔っ払いがとても多い。
 表通りをちょっと離れると、臭気漂う汚い連中がゴロゴロいるのだ。日本のように騒ぎながら歩いたりはしないが、だらしなく坐り込んでいたり、ぶつぶつ独り言を言ったりしている。まったく気持が悪い。公園のベンチで寝ている男の足元にワインと思しき瓶が転がっていることもある。
 リュクサンブール公園で、そんな酔っ払いを眺めていた時、中年の日本人女性に声を掛けられた。
 趣味の悪いだぶだぶの上着を着て、羽飾りの付いた大きな帽子をかぶったその姿は、お世辞にもスマートとは言い難い。おまけに、公園の入口で蜂に刺されたとかで、それでなくとも下膨れの顔が、異様に腫れ上がっている。
 いったい何の用事かといぶかる私に、婦人は精一杯気取った口調で、
「わたし、いろんな国を旅行しているものだから、お金が混同しちゃったの。悪いけど、教えてくださる?」
とか言いながら、財布からジャラジャラとコインを出し始めた。
「これは?」
と訊くので、
「それはオーストリアの5シリング硬貨ですよ」
と教えると、次々に、これは?これは? と、いろいろな国のコインを出してくる。
「ドイツの50ペニッヒです」
「スイスの1フランです」
 それにしても、最後に出したものを見た私が、呆れて
「それは日本の百円玉ですよ」
と答えたところ、
「アラ! 本当だわ。百円玉ですねぇ」
とほざいたのには、開いた口が塞がらない。どうもわざとらしい。
 せがれに対しても、必要以上に愛想がいい。せがれがフランスの女の子とふざけ合って、キスまでしているのを見て、
「まあ! フランス語が話せるんですねぇ」
と、馬鹿なことを言っている。数日前に2歳になったばかりで、日本語だってロクに喋れないのに。
 それかあらぬか、息子も本能的に婦人の作為を感じたらしく、妻のスカートにしがみついたまま、婦人の、蜂に刺されたアゴの辺りをこわごわ見つめていた。

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 モンマルトルの広場は、パリの北東部、サクレクール寺院のそばにある。
 世界中から集まった売り絵画家たちのざわめきが気に入って、2度足を運んだが、その2度目のときのこと。
 薄汚いシャツにジーパンの若者が、息子の似顔絵を描かせろと言ってきた。まあ、旅の思い出にと思って承知すると、妻に子供を抱いてくれと言う。それも承知すると、どういうわけか2人の男が絵を描き始めた。見ると、1人がせがれを、1人が妻を描いている。
 たちまち2枚の絵が出来上がった。どちらも全然似ていない。値段を訊くと、 100フラン(約6,000円)だと言う。 冗談ではない。たかが木炭画、せいぜい30フランだと文句を言ったが、どうしても 100フランだと言って譲らない。
 やむなく 100フランを渡そうとすると、今度は1枚につき 100フランだと言い出した。
「こっちは妻の絵を頼んだ覚えはない。君は練習のために勝手に描いたのではないか」と怒ると、向こうはもっと怒って、払え!と詰め寄ってきた。
 ところどころにフランス語を混ぜたりして話がよく通じぬこともあり、とうとう諦めて 200フランを出した。
 男は悪魔のような声で、もう 100フランよこせと言う。見ると、いつの間にか私の横に同じような男がいて、私の顔を描いている。
 私は絶望し、これ以上話していたらいったい何枚描かれるか分ったものではないので、結局 300フランを投げるようにして、そこから逃げ去った。
 あとで聞いたところによると、やはり1枚20フランが相場だそうで、要するにせがれの絵1枚で 1,200円払えば済むところを、要りもしない絵を描かれ、18,000円も取られたことになる。
 一目でオノボリさんと見抜かれ、いいようにボラれたのである。
 その絵は今、書架の隅で丸まっており、私はそれを見るたびに、フランス国家への呪いを新たにしている。

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 フランスは、英語の通じないという点では日本以上だと言われている。
 確かに私も言葉では苦労したが、それがフランスの言語事情によるものなのか、それとも私の英語の拙さによるものなのか、何とも判じ難い。
 しかし、世の中なんとかなるもので、私の知っている唯一のフランス語、「ドゥ(2つ)」が結構役に立ってくれた。
 たとえば、パリの地下鉄は便利なことで知られており、私達も市内での移動には専らそれを利用したものだが、この場合にも「ドゥ」としか言わなかった。
 全線均一料金だし、子供は無論タダだから、出札口で「ドゥ(2枚)」とだけ言えばよい。
 金額は数字で示されているので問題はなく、あとは方面別に分れた通路に従って行けば、簡単に電車に乗れる。
 美術館や宮殿などのチケットも勿論「ドゥ」。アイスクリームを買うのも「ドゥ」。
 食事も「ドゥ」で足りた。私達は、一流レストランなどには入らず、たいていはセルフサービスの大衆食堂でばかり食事をしていたから、お盆を持ち、美味そうな食べ物を指して、「ドゥ(2人前)」と言う。
 妻との2人分を取れば、子供はそれを適当に食べるから困ることはない。
 レジで値段を言われる。無論判らないが、まさか 100フランまではしないだろう。判ったふりをして 100フラン紙幣を出せば、ちゃんとお釣りがくる。
 ただ、そんなことを続けているうちに、 100フラン紙幣が無くなってしまい、小銭ばかりになってしまった。
 やむなく今度は、ポケットの小銭をジャラジャラとカウンターに出し、先方の必要なだけ取ってもらうことにした。
 テーブルにつくと、隣席の紳士がせがれを見て、何やら話しかけてきた。
 まるで判らぬが、適当に
「ドゥ(2歳です)」
と答えると、紳士は大きく頷いて、
「オー、ドゥ!」
と笑顔を返してきた。


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 オーストリア人が総じて温かく、ドイツ人には無愛想ながら親切な人が多かったのに比べて、フランス人は、どうも冷たく、不親切であったように思う。
 今回の旅で最も苦労した子供のトイレについて、フランスではまったく協力を得られなかったし、道を訊いても、せいぜい「あっち」という程度の返事しか返ってこなかった。
 他人に関わらないというか、無関心というか。
 たとえば、セーヌ川の岸辺などを散歩していると、あっちでもこっちでも男女がベッタリとくっついて、長いキスをしている。
 
 (表)ベルサイユ宮殿で・(裏)ルーブル美術館前で

 目のやり場に困っているのは我々だけで、他の人達は見向きもしない。まあ、女性週刊誌のグラビアを飾るには格好の光景だろうが、私はあまり感心できない。あんなことは暇なときに、人のいない所でゆっくりやったら良さそうなものだと思う。
 もっとも、そういう無神経さや無関心さのお陰で、私達も人目を気にせずに行動できたのだから、ものは考えようかも知れない。
 ルーブル美術館の前で芝生に寝転んでいた時も、通りかかる誰一人としてこちらを振り向いたりしないので、久しぶりにノンビリとしたひとときを過ごすことができた。
 仰向けになっていると、鳩や雀が上空を飛び交い、白い雲がゆっくりと流れ、耐えようもなく眠くなってくる。
 せがれは、広場の小砂利を拾っては放り投げ、それが私の顔に当ったりするので閉口するが、眠くて怒る気にもなれない。
 オシッコ、と言われたが、トイレを探し回るなどということはもうゴメンだ。
「その辺でしろ!」
 妻は、なんぼなんでもここではまずいのでは・・・と渋る。
「構うもんか。パリにだって2歳の子供はいるんだ。皆が我慢できるわけじゃない」
 妻はやむなく、近くの植え込みの中でさせたようであるが、私はもう何があっても動くものか、と甚だ開き直った心境になっていた。
 帰国を翌日に控えた、最後の休息であった。

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 パリ発東京行きのエールフランス機は、オルリー空港を午後5時に飛び立った。
 機内サービスは至れり尽くせり。子供用に塗り絵をくれたり、ベビーベッドやミルクの心配をしてくれたり、それはもう、痒い所に手が届くようである。
 それなのに、なぜか息子は、最初から機嫌が悪かった。
 まず、シートベルトを締めさせない。無理やり縛り付けると、今にも殺されそうな悲鳴をあげる。
 やっと水平飛行に移ってベルトを外すと、今度は窓のブラインドを開けろと言い出す。今は夜だからだめだと説明しても、てんで分らない。小声で叱ると、大声で泣きながら、「降りるー!」と叫ぶ始末で、どうにも手の施しようがない。
 切羽詰まった私は、
「ホラ!お父さんを見てごらん。だんだん眠くなるぞ。ホラ!」
などと、やっきになって暗示をかけようとしたが、子供は眠るどころか、ますます愚図り出し、貰った塗り絵を前の席に投げつけた。
 私はほとほと疲れ果て、万策尽きて、周囲の人に謝ってから目をつむった。あとはせがれが疲れて黙るのを待つしかない。
 しかし、それもほんの数秒であった。
「ギャー!」
という泣き声に目を開けると、子供がシートの前の床に仰向けに落ちていたのである。
 妻が、
「泣き止むまで入ってます」

と、子供を抱いてトイレに行った。時計を見ると、東京まではまだ10時間以上ある。
 楽しかった欧州子連れ旅の、最後の苦闘であった。


 
1977年の夏に初めてヨーロッパに出かけ、そのときのドタバタを翌年地元誌に載せたのが本稿です。
 浅学ゆえに、見聞も上滑りで、通常の紀行文が書けなかったのは恥入るばかりです。
 旅慣れぬ身で2歳になる前の子供を連れての旅行には心配もありましたが、各地の人々から受けた望外の好意は、子連れゆえの苦労を払拭して余りあるもので、私は今に至るまで、心底より感謝の念を抱いております。
 文は主観に流れ、さぞ読みづらかったであろうと恐縮しておりますが、最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。


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