シンガポール・バンコクの裏側(3)


美醜併せ持つ仏教の国


 ツアー3日目は、マンダイ・オーキッドガーデンという所へ行った。
 東洋屈指の熱帯植物園だということで、確かに色鮮やかな各種のランが咲き競っている。ツアーの女性客たちが我先に写真を撮る。私たちも頼まれてシャッターを切ったりしているうちに、二十歳そこそこと思われる若い女性2人組と親しくなった。名前は知らないが我々は勝手に1人をスズメちゃん、もう1人をツバメちゃんと呼び、なぜか2人ともそれでちゃんと返事をしていた。
 午後、あのキャセイ航空でバンコクに移動。
 機内で、「タイでクーデターが勃発し、空港が閉鎖された」というニュースを聞く。どうなることかと心配したが、しばらくして、反乱軍は鎮圧され、我々の乗った飛行機は最初の着陸機になると説明された。
 空港は銃を持った兵士だらけで、いやが上にも緊張が走る。ところが入国は極めてスムーズで、税関検査もフリーパス。
 出迎えのバスに乗ると、現地ガイドのリーさんが達者な日本語で歓迎の挨拶をした。クーデターのことを訊くと、よくあることです、と笑っている。
 入国が簡単だったことを言うと、それはヤマモトさんが係員にワイロを渡したからです、とこともなげに言ってのける。山本さんに本当かと尋ねると、山本さんは「渡してませんよ」と素っ気なかったが、私はそのとき、やっぱり渡したんだと確信した。
 リーさんはその後も、タイはワイロの国ですよ、ワイロを使えば何でもできますよ、と何度も繰り返していた。
 どうもデタラメな国に来てしまったようだなと思ったが、その後、本当にデタラメなことが次々と起こった。
 まずホテルに着いて、夕食もそこそこにまた街へ飛び出したのだが、ホテルを出た途端に何人かの男が近づいてきて、手に手に持った写真を見せ、「××××」と、ここには書けない日本語を言った。なるほど日本では法に触れるものが写っている。
 興味のないフリをしていると、次々に別の写真を見せ、確かにどれも穏やかではない。
 しかし、そんなものを買うわけにはゆかないので、忘れ物をしたフリをしてホテルに逃げ帰る。
 少ししてまた出ようとエレベーターに向かうと、ドアの前にきちんとした制服姿のボーイがいて、にこやかに挨拶をしながら一緒に乗り込んできた。
 ドアが閉まるなり、ボーイは左手の親指と人差し指で輪を作り、そこに右手の人差し指を出し入れしながら、意味ありげに私たちの顔を見て反応を探っている。
 れっきとした一流ホテルの従業員にあるまじき行いだが、あとで山本さんに聞くと、ホテルの各階に立っているガードマンが一番油断のならない存在で、客室の荷物や貴重品がなくなるのは日常茶飯事である由。エレベーターでの客引きなどは罪のない方だという。
 街に出ると、トゥクトゥクが走っている。バーハンドルの小型三輪車の荷台にシートをつけた、タクシーのようなものである。とくに目的地があるわけではないが、経験のため乗ってみたい。
 シンガポールでのこともあるので、乗る前に料金を確かめる。どこでもいいから2バーツ分だけ走ってくれ、2バーツだけだ、と何度も念を押してから乗り込む。狭い上にクッションが悪く、天井に頭がぶつかるほど揺れる。
 まあ、それでも面白かったので、降りるときに、交渉にはなかったチップを含めて3バーツ渡した。2バーツ足りないと言う。やっぱりきたかと思って知らん顔をして離れたが、不愉快なことは不愉快だ。
 ぶらぶらと散歩をしたあとホテルに帰ると、ドアがノックされ、スズメちゃんとツバメちゃんが立っていた。なんだか怖いので、少し部屋にいさせてほしいとのこと。
 話を聞くと、どうも部屋のドアがやたらとノックされるのだと言う。岡田さんが冗談を言ったりしているうちに落ち着いてきたので、今後ドアがノックされたらすぐに内線電話で我々に知らせるように言って帰す。

 ツアー4日目は早朝から水上マーケットの見物が組まれていた。
 まず船着場までバスで行くのだが、早朝というのに渋滞しており、信号で止まるとたちまち物売りが駆け寄ってくる。木彫りの象など持っている人が多いが、タバコや絵葉書も売っているようだ。
 船着場からはチャオプラヤ川をボートで下る。
 10人ほど乗れる木舟に船外機をつけたものだが、この船外機が曲者で、日本で廃車になった乗用車のエンジンを輸入し、そのまま舟に取り付けてある。
 長いシャフトの先にスクリューをつけてあるが、なにせ車用のエンジンであるから、我々の知っているボート用のものとは馬力が違う。水面を弾むように突き進み、つかまっていないと振り落とされるのではないかと不安なくらいだ。
 と、遥か前方に黒い、浮玉のようなものが見えた。3、4個だろうか。みるみる近づいてくる。子供だ!
 危ないっ !と思った瞬間、そのうちの1人が舟の舳先にしがみついた。そのまま舟と一緒に波を切っていく。振り返ると、別の舟にもまた子供が飛びついていた。
「シェンエン(千円)、シェンエン」
 子供は舳先にしがみついたまま、片手を出してカネをせがむ。もし手がすべれば、舟の下に巻き込まれ、スクリューでバラバラにされるのではないか。
 命がけで千円を稼ごうとする子供にハラハラしたツアー客は、誰もが一斉にポケットに手をやろうとした。日本人観光客にしてみれば千円など、ためらう額ではない。
 すると、ガイドのリーさんがそれを制した。上げてはいけないと言う。自分の国の子供たちが危険を冒しているというのに、なんという非情な、と思って山本さんを見ると、そうです、と頷いている。
 あんまりではないか、と山本さんをなじったところ、意外な返事が返ってきた。
「だめです。あの子たちには親方がついていて、遠くで見ていますから、カネを上げればすぐに見つかります。カネを取り上げた親方はすぐまた子供を水に入れます。カネが貰えずに水に浮いている方が、子供たちには楽なんです」
 なんだか気が滅入る話だが、リーさんはまったく意に介さぬ風で、左右の岸辺に建つ寺院の説明などしている。軽妙な冗談を交えながら、あくまで明るい。
 
 仏具屋に並ぶ棺

 岸辺には肉屋、家具屋、産婦人科医院などがあり、なかでも仏具屋がめっぽう多い。どれも川に向かって間口があり、舟がつけられるようになっている。
 水上マーケットに着く。果物やら野菜やら、さらに魚やら肉やらを積んだ小舟が水路にひしめき、甲高い声で売り買いをしている。
 炊事用具を積んだ舟もあり、煮炊きをしながら売っている。さすがにそういう舟はあまり移動せず、川の中に設けられた浮桟橋のような所に係留してあったりする。私たちも麺のようなものを食べた。太めのそうめんを豚骨スープで煮たようなもので、珍しいが美味くはない。
 そのあとは、バンコク観光定番の寺院巡り。
 壮大華麗な寺院建築はため息が出るほど立派で、参拝する人々の真摯な姿も胸を打つ。質素なオレンジ色の袈裟を着たお坊さんたちの物腰も、いかにもストイックで、私も思わず頭を下げた。
 私はあるとき、あるツアーで、ある国に行ったが、そのツアーメンバーの中にある寺の住職がいた。
 似合わないベレー帽などかぶっているが、それはまあいい。食事の度に大酒を飲むが、それもまあいい。ただ、およそ節操というものがなく、ホテルのメイド、レストランのウエイトレス、バスのガイドからショーの踊り子まで、女と見れば話しかけ、一緒に写真を撮り、酒場の歌手には抱きついてキスまでしていた。タイのお坊さんとは大違いだ。
 タイに限らず、小乗仏教(上座部仏教)のお坊さんたちはいつ見ても神々しい尊厳に満ちている。
 それにひきかえ大乗仏教と呼ばれる日本の坊さんは、どうも位が高くなるほど衣装がけばけばしくきらびやかになり、態度物腰も尊大になり、いただけない。 
 無論、会って話を聞けば博学にして人格高潔な人が多いのであろうが、大寺院の大行事などで遠目に見る僧侶たちには、俗っぽい外連味ばかりが感じられて、ありがたくない。
 タイやカンボジアのお坊さんの中にも生臭坊主はいるとは思うが、清貧感の漂う質素な僧衣姿は、それだけで美しい。

 ツアー最後の夜。ホテルでのディナーショーでタイの古典舞踊を堪能したあと、私たちはまたぞろ山本さんに内緒で遊びに出た。スズメちゃんとツバメちゃんが、一緒に行きたいというので、連れて出た。
 繁華街を適当に歩いていると、日本のスナックバーのような構えの店があり、呼び込みが声をかけてきた。何を言っているのか判らなかったが、アメリカ兵が楽しげに次々と入っていくので、何か面白いことをやっているのかと思って、入ってみた。
 入口で何バーツだか取られ、カーテンを分けて入ると中はバーではなく、フロアの中央に6畳ほどの一段高くなったステージがあり、それを囲むように階段状の客席がある。30人も入ったらいっぱいになりそうな狭い空間だが、なにやら見世物があるのだとは判る。
 歌や踊りが2、3曲あり、どうもつまらないなと思っていると、女の踊り子が2人出てきた。どう見ても十代の、なかなか可愛い子である。
 その子たちが音楽に合わせて着ているものを脱ぎだした。あっという間に素っ裸になり、互いにあらぬ所を舐め合っては身をよじらせている。
 我々も若い女の子を連れてきているから、これは困ったなと思っていると、次に少し年かさの女が出てきた。これもあっという間に全裸になり、怪しげな小道具を使いながら信じられない所作を繰り返す。
 米兵たちはあくまで陽気で、女の求めに応じて小道具を操作したりして大笑いしている。
 最後は浅黒い痩身の男と若くてプロポーションの良い女が出てきた。すぐにすべての布を脱ぎ捨てた。そのあと2人が何をしたかは、さすがに書くわけにゆかぬ。
 ショーが終わり、気まずい思いでスズメちゃんとツバメちゃんを見ると、2人は放心したようにぐったりと坐っている。出ようとしたが、どうしても立てず、加納さんと岡田さんが担ぐようにして店を出ると、幸いにしてタクシーが待っていた。
 ときどき歩けない客が出ることをタクシーの運転手も知っているのかも知れぬ。

 最終日、朝食の席で「ゆうべはどこに行ったんですか」と山本さんに訊かれた。
 その辺をぶらついていたと答えると、ああそうですかと笑っていたが、信じていないらしく、帰りの飛行機の中でまた同じことを訊かれた。
 なんで同じことを訊くのだろうといぶかりながら同じ答えを言ったが、このときも山本さんは、
「ああ、そうですか」
 としか言わなかった。
 しかし、その目は彼がまるで信じていないことを物語っていた。
 同時に、近畿日本ツーリストというブランドを背負った若い添乗員の、使命感と責任感を垣間見て、私の山本さんに対する信頼は一層深まることにもなった。


         

== 直後に書いた旅行記をもとに、今回若干の手直しをしました ==


シンガポール・バンコクの裏側(2) 欧州子連れ旅(1)
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