シンガポール・バンコクの裏側(2)


蛇、この許されざるもの

 
 翌日は、朝からバスで市内観光をするということで、改めてツアーの顔ぶれを知ることになった。添乗の山本さんを含めて総勢19人。うち女性が14名であった。つまり、男性客は我々3人のほかには1人しかおらず、その人も奥さんの荷物持ちで参加しているようであった。
 二十歳を越えて間もない小娘から、80に近いと思われるお婆ちゃんまで、どうしてこう女性が多いのか。
 海外旅行が今のように一般化しておらず、1USドルが 280円もした時代のことである。格安と言ったって、旅行費用は今の2倍以上した。それなのに、ろくに働いているとも思えぬ小娘や婆さんがゾロゾロと出かけてくる。けしからぬ話ではないか。
 私はその後も多くのパックツアーを経験しているが、どのツアーも例外なく女性が圧倒的に多い。
 男で参加しているのは新婚旅行か定年退職後の夫婦旅行で、どちらも奥さん主導の荷物持ち。たまに小学生の子供を連れた家族旅行があるが、働き盛りの男が1人で、あるいは友人と参加しているというケースは滅多にない。
 この旅行でも、女性は元気であった。なかんずく最高齢と思しき木村さんというお婆さんは見上げたもので、あちこちで記念写真を撮っているが、その度に踊りのポーズ、仏像のポーズ、はては竜のポーズまで取って、欧米の観光客から拍手を貰ったりしている。 

 ツアーは定番の見どころをいくつか見たあと、マウントフェーバーという所に行った。
 あちこちに蛇使いがしゃがんでいる。丸い、お櫃みたいな形の籠を2、3個路上に置いて1つずつ開けては笛を吹く。するとコブラが鎌首をもたげ、右に左に身を揺らす。馬鹿々々しいといったら、これほど馬鹿々々しい見世物もない。
 さらに馬鹿々々しいのは、蛇を観光客に持たせて写真を撮らせ、カネを取るという商売である。客は自分たちのカメラで互いに撮り合うので、蛇屋は元手がいらない。 
 職業に貴賎はないという人がいるが、あれは嘘で、どこかで捕まえてきた蛇を、ただ人に触らせて金を稼ぐなどという商売が賎しくない筈はない。男子一生の仕事というものは、もうちょっと努力を要するものではないのか。
 あっちにもこっちにも、そういう、男の風上にも置けぬ連中が立っていて、観光客に声をかけている。
 と、2メートルはあろうかという蛇を持った長身の男が、何やら言いながら私の方に近づいてきた。総毛立つ思いで後ずさりすると、いつの間に来たものか、後ろにも人相穏やかならぬ大男が立っていて、罰あたりにも2匹の蛇を持っている。
「ドクナイ、カナマイ、ジョウトウヘビ」
 冗談ではない。何が上等蛇だ。私が神を信じない理由はただ一つ。蛇などという忌まわしい生物を地上に出現させ給うた、その軽挙を恨むが故である。
 いったい、何という形なのだ。手足の無いのはまあいい。他にもそんなのはいるし、ムカデのようにあり過ぎるのも困る。いけないのは、その長さだ。なにもあんなに長くなくたっていいではないか。
 無論、世の中には奇妙キテレツな形をした生物は沢山いる。たとえばカメレオンなどという動物は殆ど許しがたい形をしているし、海の中にはもっとへんてこな奴がいる。クラゲ、ウミウシは言うに及ばず、タコだってイカだって、相当なものだ。しかし、それらは奇怪な中にもどこかしら愛嬌のある、憎めない雰囲気を少しはもっている。
 それが蛇ときたら、愛嬌のひとかけらもなければ、可愛さの「か」の字もない。どこまでも冷やかで、グロテスクで、取りつく島もない。
 そもそも、蛇自身は、何が面白くて生きているのであろう。聞けば蛇の目は、色の区別ができない上、とてつもない近視で、殆どのものはぼやけてしか見えないのだという。しかも地面を這っているのだから、蛇の目に映る世界などはロクなものではない。
 それに、これは不確かな知識だが、蛇の舌には味覚がないのだという。
 ということは、何を食べても旨くない訳で、それかあらぬか、蛇はどんな物でも噛んで食べるということがない。ただ呑み込むだけである。そして、一度呑み込むと、あとはそれが消化されるまで何もせず、ただじっと、とぐろを巻いて時のたつのを待っている。消化し終わると、また餌となる小動物を求めて、ぬらりぬらりと這いずり回る。
 犬のようにじゃれる訳でもなく、小鳥のようにさえずる訳でもない。イルカのように泳ぐ訳でもなければ、タヌキのように人を化かす訳でもない。それで何が面白いのか。 
 けだし、蛇蝎(だかつ)の如く嫌われる、とはよく言ったもので、蛇もサソリも、造化の神の失敗作である。
 ともあれ、ジョウトウヘビであれ下等蛇であれ、この私がそんなものを手に持たねばならぬ理由はどこにもない。 

 昼食のあと、海鮮楼という所でショーを観た。インド、マレーシア、中国、韓国などの民族舞踊が、次々に、さらに次々に、延々と披露される。前座から始まってトリに至るまでの場の盛り上げとか演出といったものはまったくない。ただ同じペースで、これでもか、これでもかと、同じような踊りが繰り返される。 
 手練手管を用いず、ただひたすら舞いを見せる。その誠実さは痛いほど伝わってくるのだが、やはりそれだけでは、世界のショービジネスを制することは無理であろう。
 まあ、客の側も本気で踊りを観賞しようという訳でもなく、珍しければそれで良いし、むしろその野暮ったさを楽しむということもあろうから、とやかく言うこともあるまい。
 それにしても、踊りの合間に観客をステージに上げて、その首に蛇を巻きつけたりする悪趣味な座興はいただけない。どうもシンガポールは、どこへ行っても蛇が待っている。 

 タイガーバームガーデンという所に行った。香港にもある有名な庭園だが、セメントで作った人形やら動物やら、それも実在するものから想像上のものまで、なんの秩序も脈絡もなく、園内狭しと配置してある。
 一応、中国の儒教・道教・仏教にまつわる伝説・説話等をモチーフにしているとのことではあるが、それにしては日本の相撲の土俵入りがあったり、やたら胸を露出した女の像があったり、はては息子の嫁の乳に吸いつくジイサンの像があったりと、エロ・グロ・ナンセンスは止まる所を知らない。
 造形の稚拙さ、彩色の野暮ったさに至ってはもう笑うしかなく、あそこまで外連に徹すると、それはそれで天晴でもある。
 かてて加えて園内には日本の歌謡曲、『知床旅情』『支那の夜』『上を向いて歩こう』などが大音響で流れていて、その中にどういうつもりか『軍艦マーチ』が入っていたりするから、戦争加害国から来た身としては、どうにも落ち着かない。
 なんでも軟膏薬タイガーバームの売り上げで巨万の富を築いた胡文虎・胡文豹兄弟が建設したものだということだが、どうも一代にして巨財を成した人物が形而下の華々しさを誇示したがるのは、世界共通と見える。
 いわゆる成金趣味というやつで、悲しいかな、深い知識や洗練された感性の裏付けがないものだから、見る人はそのオメデタさに苦笑して終わりというのが相場のようである。

 海鮮楼といいタイガーバームガーデンといい、少々そのバタ臭さに辟易してきたので、山本さんの許しを得て団体を離れ、街を散策することにした。
 シンガポールは多民族国家と聞いていたが、なるほど街には容貌、服装の異なる人々が溢れている。
 一目でそれと判るのはインド系の人で、男性はターバンを巻き、女性は色鮮やかなサリーを着ている。一番多いのは中国系の人で、これも雰囲気で判る。その他あまり馴染みのない顔立ちの人々はマレー系らしい。
 公用語が4つあるそうで、中国語、マレー語、タミル語、それに英語だそうだが、英語を喋りそうなコーカソイド(白人種)は皆無と言っていい。
 中国系が圧倒的に多いことを反映してか、路地裏の食料品店で買ったコカコーラは、瓶の文字が「可口可楽」となっていた。

 夜はツアーで用意された食事をキャンセルして、屋台広場に出かける。
 昼間は駐車場になっているという広場を屋台が囲み、中央にテーブルが並んでいる。なにやら脂ぎった異様な雰囲気で圧倒されるが、まずはビールを買って、飲みながら屋台を回る。
 焼きそば風のものとか焼き鳥に似たものとか色々あるが、言葉が判らないので、直接食べ物を指さして皿に盛ってもらう。値段を言われても判らないので、紙に数字を書いてもらい、なんとか支払いはできた。
 テーブルに運んで食べていると、中国系らしい人たちが次々と話しかけてきたが、まったく判らず、会話にならない。

 私たちを信用していないらしい山本さんが、バスで迎えに来た。またどこかへ行かれては困ると思ったのだろう。
 加納さんと岡田さんはそれに乗ったが、私は買い忘れたものがあると嘘を言って、一人で帰らせてもらった。トライショウという、自転車にサイドカーのようなものをつけた輪タクに乗りたかったからで、それはすぐに見つかった。
 言葉が判らないので、ホテルのカードを見せ、1シンガポールドルを見せたところ、首を横に振られた。 もう1枚足し、更に1枚足して3シンガポールドル(約300円強)にすると首を縦に振ったので、乗ることにした。
 半袖の肌着みたいなシャツを着た初老の運転手は、靴下にサンダル履きで、どうも職業人としての気高さが感じられない。
 薄暗い裏通りのような所ばかり走り、ときどき足を止めて話しかけてくる。中国語でチンプンカンプンだが、いかがわしい場所を勧めているのは判る。
 私は前夜のタクシーの件があるので、なまじの応対をしてまたぞろヘンな場所に連れて行かれては危険と思い、ただ「ノー!」とだけ答えた。何か言われると「ノー!」、何を言われても「ノー!」。
 やっとのことでホテルに着いたので、3シンガポールドルを渡そうとすると、運転手は、首を横に振り、あろうことか3USドル(約900円弱)だと言う。
 私はカッとなり、乗る前にシンガポールドルで確認したではないか、と怒鳴った。運転手は顔色ひとつ変えず、ユーエスダラー、ユーエスダラーと繰り返すばかりで、私の怒りなどハナから計算済みのようであった。
 私は近くにいたホテルの従業員を呼び、仔細を説明して悪徳運転手を撃退しようとした。従業員は英語が判らぬと言って知らん顔を決め込む。
 ホテルの従業員が公用語の1つである英語を理解できない筈がない。これはもう、日常化しているぼったくりの手管で、従業員と運転手はグルになっているに違いない。
 私はがっくりして、2USドル(約 560円)を輪タクの座席に投げ込むと、後ろも見ずにホテルに入った。
 運転手が何か叫んでいたようだが、振り返らなかった。


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