グアムがジャングルだった頃(3)


島のギャンブル、闘鶏

 グアムの海は自然の美しさというものを感じさせてくれるが、サイパンのそれは、なにか作り物のようである。
 見える海の広さは同じ筈であり、美しさにおいても優劣はないと思うが、違いは色にある。日本のくすんだ自然の中では見ることのない、空、海、砂の明るい配色はあまりにも不思議で、人工的な感じさえ受ける。
 ホテルに続くビーチで、その砂を不器用に盛り上げて山を作っている少年がいた。アメリカから両親と一緒に来たのだという。
 手伝って大きな山を作ってやると、今度は助走をつけてその山を跳び越し、これがたいそう気に入ったらしく、何度も繰り返して跳び始めた。
 私たちがひと泳ぎして戻ると、その子はまだ跳んでいて、いつかなやめる気配がない。
 しばらくは付き合ったが、あまりに一心不乱に跳ぶので、遠くから見ているかも知れぬ両親の目に、私たちがいたいけな子供をいたぶって無理な芸でもやらせているように見えるのではないかと思い、その子をおいて部屋に戻った。
 ホテルの表玄関から外に出ると、そこはもう亜熱帯植物の薮で、その中にパパイヤのまだ青い実が散見できる。バナナも野生の状態でいくらでも生っており、それらを見ながら歩いていると、小さな、屋根も壁もトタン張りの雑貨屋があった。
 店内に入ると、戸板のようなものが台になっており、日本のインスタントラーメンが数個並べられている。輸出用のパッケージで、絵柄はまったく同じだが、表示は英語。これが面白い。
 
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 私は急に愛国心が湧いて、1個買い求めたが、中身は無論ただのラーメンで、とくに南国の味がするというわけではない。
 ボージョボーという、マロニエの実に似た木の実で作られた、男女ペアの人形がある。
 愛を実らせたいときは足を交差させ、お金が欲しいときは腕を後ろで結び、誰にでも見える所に吊るしておけば願いが叶うという。
 珍しいので買って帰り、今でも吊るしてある。腕を後ろでしっかりと結んであることは、言うまでもない。
 ところで、こういう買い物のとき、たとえば7ドル50セントだと言われ、10ドル紙幣を渡すと、店員はまず品物をカウンターの上に置き、その横に50セント硬貨を置いて「エイト」と言う。次に1ドル紙幣をその上に重ねて「ナイン」、さらに1枚置いて「テン」と言い、それらを客の方に押してよこす。
 つまり、10-7.5=2.5 という引き算ではなく、7.5+0.5+1+1=10 という足し算をしているのである。
 実際こういう釣り銭の渡し方は 外国を旅行しているといろんな国で体験する。思うに、日本人にとっては造作もない引き算が、どうも他の国々では 案外厄介なことなのであろう。尤も、どちらが合理的かと言われれば、足し算の方が合理的なようにも思えるが。

 グアム島に戻った晩、レンタカーを借りて 闘鶏を見に行った。場末の映画館といった態の薄汚い建物で、入口に、死んだ鶏が何羽もぶら下がっている。
 中に入ると、もうもうたる煙草の煙。 中央に円形の柵があり、それを囲んで幾重にもベンチが置かれている。外側ほど高くなり、ちょうど すり鉢の底にステージがあるといった按配だ。
 空席はなく、立っている者も多い。皆チャモロの男たちで、白人や日本人は見当たらない。女は私の妻1人。どうも危なっかしい所に来てしまったなと思ったが、ままよと席を詰めてもらって、ようやく腰掛けた。
 男たちは手に手に米ドル紙幣を握り、それを頭上に突き上げて 何やら叫びながら、中央のステージに熱い視線を投げている。
 折しもステージでは、2羽のシャモが激しく戦っていた。 首を高く伸ばし、跳び上がっては相手を蹴る。 爪に細く鋭いナイフが括りつけられており、跳び上がるたび、蹴るたびに、互いに傷ついていく。しまいにどちらかが蹲って動かなくなったら勝負は終りで、負けた方は 建物の入口にぶら下げられるという寸法だ。
 2番か3番の勝負が終わり、柵の中に新たな2羽が放たれたとき、浅黒い顔をした男が私に話しかけてきた。
 英語ではない。これがチャモロ語かと思ったが、無論、何を言っているのか全く判らない。ただ、どちらの鶏が勝つと思うか、と訊いていることは察しがつくし、こんな場所で、ほかに話題がある筈もない。
 私は鶏の優劣を見分ける眼なんぞ持ってはいないから、座興のつもりで 妻に、どっちだと思う? と訊いた。
 妻にしたところで判る筈もないのだが、左というのでそれを男に伝えると、男はあっという間もなく 私の手にあった5ドル紙幣をひったくり、そのままトカゲが草むらに潜るように、人混みの中に消えてしまった。
 勿論、闘鶏は賭けであるし、賭けるために人々は集まっている。しかし私は賭け方も知らぬし、言葉も通じぬので、はなから見物だけのつもりでいた。 紙幣を持っていたのは、入口で入場料を払った残りであり、場内の異様な雰囲気に呑まれて、つい しまい忘れていただけのことである。
 といって、追いかけたところで 捕まる筈もないし、よし捕まったとしても、私はその男と殴り合う度胸などありはしないから、作り笑いをして諦めた。
 すると、悔しいではないか。本当に左側の鶏が勝ってしまった。
 妻はくじ運の強い女で、大売り出しの福引をやれば レンジなど当てるし、テレビ局にハガキを出せば、なにがしかのプレゼントをせしめる。
 何よりも 私という最高の夫を当てたことがその強運さを証明しているのだが、このときも、当てずっぽうに言ったのが まんまと当たってしまったのだ。そうなると、取られた5ドルはよけいに惜しい。
 さて、その後また2、3番の勝負があったあと、またぞろさっきの男が現れた。大声で二言三言、意味の判らぬことを言うなり、私の手に10ドル紙幣をぐいと握らせ、また どこかへ行ってしまった。
 いったい 誰が胴元で、どういうルールで賭けが行われたのか、忘れた頃になって私の所に10ドルが転がり込んできたのは どういうしくみであったのか、今もって判らない。

 翌日、借りておいた車で 朝からドライブに出かけた。一度島内観光のバスで回っているので、大体のロケーションは掴んでいる。
 タロフォフォ湾で波乗りを見、ウマタックで 汚い水牛に乗り、ニミッツビーチでパンの実をもぎ取った。
 グアムの舗装道路は珊瑚を砕いた物を混ぜてあり、濡れると滑るから気をつけるように と注意をされていたので、スコールのあとにわざと急ブレーキを踏んでみた。結果を書くわけにはゆかぬ。
 街路樹として植えられている大きな木に、黒褐色のブーメランのようなものが沢山ぶら下がっている。 よく見ればポインシアナで、仲間は日本にもあるが、こんなに大きなものは初めて見た。
 グアムのガイドは火炎樹と呼び、サイパンのガイドは南洋桜と呼んでいたが、遠目に見る赤い花は、どちらかと言うと 火炎という言葉の方により近く、どうも桜には見えにくい。
 ただ、南海の島で、この花木に桜の花を重ねて 望郷の思いを募らせていたであろう人々の心を思うと、私はやはり この木を南洋桜と呼んでやりたい気がする。

 かくして、あまり新婚旅行らしくはない新婚旅行を終え、グアム島を離れる日がきた。
 飛行機は当時導入されたばかりの最新鋭機、ボーイング747型機、いわゆるジャンボ機であった。グアム島へは その日が初めての飛行だそうで、乗務員もグアム空港は初めてらしく、「ディパーチュアはどこですか」などと訊いている、頼りない有様であった。
 機内は、これが飛行機かと思うほど広く、それでいながら 乗客は数えるほどしか乗っておらず、私たちはあちこち座席を移動したり、肱掛けを上げて横になったりしたが、それでも空間を持て余すような感じであった。
 ただ 気がかりだったのは、グアム発の時間が予定より2時間ほど遅れたことで、この分だと、羽田に着いてから千葉まではいいとして、そこから 木更津までの最終電車に間に合わないのではないか と思われることであった。
 パーサーを呼んで、羽田着の予定時間をしつこく訊き、どういう訳で2時間も遅れたのかと、訊いても詮無いことを訊く。意外にも、予定通り飛んでいるとの返事。さらに時刻表を持ってきたが、なるほど合っている。
 どうやら ジャンボ機就航に伴ってダイヤが改正されていたらしく、そのことは 何か月も前から広報されているとのこと。つまり、私が古い時刻表で計画を立てていた訳で、穴があったら入りたい気分であった。
 しかし、そのパーサーはできた人で、私どもの事前の説明が不十分でありました と丁重な詫びを述べ、あまつさえ、ホテルを手配するのでお許しいただきたいと言う。私はそれ以上恥をかきたくないので、こちらの不注意を詫び、千葉からはタクシーで帰ることにした。
 後日そのパーサーから、いくつかの日航グッズとともに 肉筆の詫び状が届いたのには驚いたが、まあ、今ではそのようなことを航空会社に期待するのは 無理である。

 あれもこれも、海外旅行が一般化した昨今では 信じられないような経験であり、グアムやサイパンが日本の行楽地と化して 沖縄よりも安い費用で行けるようになった今では、島の景色も様子も この旅行談とはまるで違うものになっているらしい。
 もう一度行って、今のグアム、サイパンを知りたいような気もするが、一方で、あまりに様変わりした 賑やかなリゾートアイランドを見たくない気もするのは、勝手だろうか。



グアムがジャングルだった頃(2) シンガポール・バンコクの裏側(1)
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