この言葉、なんとかなりませんか(11)


 

〇○になります


 いわゆるグルメ番組が花盛りで、旅番組でも食事シーンにかなりの時間を割く。
 レポーターが悶絶せんばかりに顔をゆがめて味を絶賛したり、逆にしばし目をつぶって、
絶え入るように料理を褒めたりするのは、いささかわざとらしくていただけないが、まあ、
それが仕事なのだろうからいいとしよう。
 
 私自身は基本的に食べるというのは生きるためのエネルギーを補給することだと思ってい
るから、旨くても不味くても大騒ぎすることはない。
 私の親しくしている人に、食通を自認している人がいて、どこで何を食べたというような
ことを尽きることなく話し続けるのだが、正直に言うと私は「だから何?」という感想しか
もたない。
 その人は、仲居さんが今日はヒラメのえんがわが入っていますなどと言おうものなら、え
っ! えんがわ?」と、隣りの部屋にも聞こえそうな声で叫び、運ばれてきたものを前にし
ばし講釈をたれ、しかるのちに芸能人顔負けのアクションを披露しながら食べ、その感想を
延々と述べる。
 まあ、それでこちらが困るわけでもないし、座が楽しいのだから結構なことであるが、私
自身はやっぱり「だから?」という気分でしかない。
 それより何より、料理を運んできた仲居さんがいちいちどこで獲れた〇○でございますと
か説明するのがうるさくて仕方がない。あまつさえ初めに何をかけて、次はどうやって食べ
ろというような指図までするに至っては、「好きにさせてくれ!」と怒鳴りたくなる。
 それもまあ、我慢するとしよう。
 しかし、ファミリーレストランなどでウエイトレスの多くが、皿をテーブルに置きながら
「〇〇になります」と言うのはもう、我慢がならない。
 「お待たせいたしました。天然エビのグリルになります」と言われると、「えっ? これは天然エビのグリルじゃないの?」と思ってしまう。
 「なる」というのは、子供が大人になる、りんごがアップルジュースになる、というよう
うに、何かが変化して違うものになるという意味であろう。
 だとすれば、「天然エビのグリルになります」というのは、「今は生のエビですが、じっ
と見ていると、だんだんグリルになります」というような意味合いになる筈だ。
 グリルを持ってきたのなら、「グリルです」「グリルでございます」と言えばいい。どう
して「になります」と言うのだろう?
 旅館で部屋に通されたときに、「こちらが浴室になります」と言われたこともある。本当
は物置なのだが、どこかのスイッチを押すとたちまち荷物が片付いて、バスタブやシャワー
が姿を現すという訳でもあるまい。
 「こちらが浴室です」というのを、なぜわざわざ「浴室になります」と言うのか。
 どうも日本人全体が何かをずばりと言うことを避けている風潮があり、それが「~をして
もらうことってできたりしますか?」などという回りくどい言い方に繋がっているのではな
いか。
 「方」というのもそうだ。
 連泊したホテルでメイドに「お掃除のホウ、させていただいてよろしいでしょうか?」と
言われたことがある。 「させていただいてよろしいでしょうか」という言い方も不必要だ
とは思うが、それはまた別の稿に譲るとして、今は「方(ホウ)」についてのみ述べる。
 「方」というのは、行為の対象物そのものではなく、それがある方角をおおよそ示す場合
に使われる言葉であろう。
 たとえば「新宿駅に行く」と言えば駅そのものに行くことになるが、「新宿駅の方に行く
」と言えば、それは新宿駅とは限らない。駅前広場に行くのかも知れないし、駅に隣接する
ショッピングセンターに行くのかも知れない。「方」とつけるだけで、対象がぼやけてくる。
 だから、道でばったり遭った知人にどこに行くのかと訊かれ、駅近くの質屋に行くとは言
いにくいときなど、「新宿駅の方へ」と曖昧に答えるのにも使われる。
 「お掃除をさせていただいてよろしいでしょうか?」と言えば、メイドがやろうとしてい
ることは掃除そのものだとはっきり言い切ることになるが、「お掃除の方」と言えば、ずば
りと言い切るよりもなんとなく柔らかく聞こえる。
 「方」にはまた違った使い方があり、AとBとどちらかを選ぶときなどに「Aの方でいい
ですか?」というようにも言う。 エアコンのメンテナンスと掃除とが必要で、とりあえず
掃除を先にしたいというような場合だったら「お掃除の方、させていただいて・・・」とい
う言い方もあるかも知れない。しかし、私が言われたシチュエイションからしてそういう意
味ではなく、「掃除」とずばり言うのを無意識に避けたという以外にはないであろう。
 そういう、とりあえず無難にという根性が根にあるから、なんでも曖昧に言う風潮が広が
って、「よろしいでしょうか?」をわざわざ過去形にして「よろしかったでしょうか?」な
どという言い方も蔓延してくる。
 千円かそこらの買い物で5千円札を出して、「5千円からでよろしかったでしょうか?」
などと言われると、「出したときはよろしかったけど、今はよろしくないよ」とでも言い返
したくなる。
 あるいは、もらったのは5千円札だったと思うが、もしかしたら1万円札だったかも知れ
ないので確認する、という意味にもなるだろう。 だったら、「シメシメ! 1万円渡した
よと言ってやろうか」という気にもなってしまう。 
 で、話を戻すと、私は「茶そばになります」と言われて、「呪文でも唱えるの?」と訊い
たことがある。 ウエイトレスは事の次第を呑み込めず絶句したまま立ち尽くしていた。
 我ながら大人げない話だが、紛れもない茶そばそのものを出されて「茶そばになる」と言
われたのでは、「そのまましばらくお待ちください。見ているとだんだん茶そばになります
から」と言われているのか、あるいは「呪文を唱えるとたちまち茶そばになります」とでも
言われているのか、まあそのいずれでもないことは分かっていながら、我慢が出来なかったのである。
 無論私とて実際に「アブラカダブラ!」などと呪文を唱えたわけではなく、ただのイカレたジジイと思われただけであるが。

 「です」とはっきり言わない風潮はほかにも沢山あり、たとえば「旅行に行きますか?」
と言うところを「旅行とか行きますか?」と訊いたりすることもそうだが、挙げていくと長
くなるので、それはまた別の機会に書くことにする。
 ファミリーマートを「ファミマ」、スターバックスを「スタバ」、コストパフォーマンス
を「コスパ」と、何でも本来の意味が分からなくなるほど短縮したがる若者が、「です」と
いう明快な言葉をわざわざ「になります」と長い言葉に変えて話すのはいったいどういう訳
か、繰り返しになるが、ものごとを断定的に言ったときのリスクを避けようという無意識の
用心が働いているせいだと私は思う。 昔はものごとをはっきり言うと「若いねえ」などと
言われたものだが。
 おっと、若者、若者と言ってしまったが、最近は年配者もやはり用心深くというか臆病に
なっていることを忘れていた。
 「それはおかしい」と言うところを「それはおかしいかなと、私は思うんですねえ」など
と言ったりするのは専ら年配者である。
 老いも若きも押し並べて腰が引けて、旗幟鮮明なもの言いを避けているのが今の日本であ
り、いちいち腹を立てていたのでは会話もままならない。このままでは、私は外出するたび
に憤懣を抱えて帰宅することになるであろう。
この言葉、何とかなりませんか(10)  双方向性のある会話 
     
Copyright© 2010 Wakeari Toshio.All Rights Reserved.
inserted by FC2 system