職業に貴賤あり


芸能レポーターという賤しい仕事


 職業に貴賤なし、という言葉を本気で信じている人は多分いないであろう。無論私もまったく信じていない。
 それなのに、どこでもその言葉がためらいなく使われているのはなぜだろう。
 その言葉が使われている場面を考えてみると、少し分かってくる。
 誰もが羨む高収入で体裁の良い職業の人に向かって「あなたの職業は貴くない(尊くない)です」というようには言わない。低収入で社会的地位も低く見られがちな職業の人には「あなたの職業は賤しくない(卑しくない)ですよ」という風に言う。
 繰り返す。この言葉は「貴い職業はない」というようには使われない。「賤しい職業というものはないのだ」というように使われる。
 つまり、「職業に貴賤なし」という言葉は、「貴」よりも「賤」を否定する意味で使われているのだ。
 いろいろな事情から意に染まぬ仕事を選ばざるを得ない人に向ける言葉として、まことに便利なのである。
 では、賤しい仕事というものは本当にないのだろうか。

 確かにどんな仕事であれ、一生懸命働くということ自体は尊い。人が働くという行為を貴賤という物差しで測るというのは間違っている。
 いくつか、自分ではやりたくない仕事というものはある。危険な仕事、汚れる仕事、暗い仕事など、自分や家族の仕事としてはあまりありがたくないという気がするのは事実である。が、それは貴賤という概念とは別の問題だ。
 しかし職業ということになると、話は違ってくる。
 私は断言するが、職業には貴賤がある。
 誤解されるといけないが、それは報酬の多寡、働く姿の華やかさなどで測れるものではない。それが人の役に立つか、社会に貢献しているか、子供に誇れるか、という視点で見るべきである。
 そう言う私も、自分が就きたくない職業について、では誰もやらなくていいのかと問われると、いやそれは困るという返事になる。そういう仕事ほど、そのお蔭で自分も助かっているのだから、自分以外の人にやってもらいたいというのは、エゴ以外の何ものでもないとは思いながら。
 そう、職業に貴賤なしという言葉は、嫌な仕事を人任せにしている人間が、己のスタンスを正当化する場合にも使われているのだ。
 私が言っている「貴賤がある」というその「賤」は、そういう仕事のことではない。
 「賤」とは、誰もやらなくても誰も困らない、ただ己がカネを得るためだけで動く、そういう職業のことだ。それを述べる前に、「貴」について見てみよう。

 「貴」はある。これは確かにある。というより、殆どの職業は尊いもので、それがなかったら世の中の人々がどんなに困るだろうと思われるものばかりだ。
 また、子供たちが憧れる職業というものもある。私の場合は「くず屋さん」だった。
 ゴミバサミを手に、籠を背負って町を歩く。めぼしいゴミがあるとハサミでひょいと拾って背中の籠に入れる。そのあとそれをどうするのか、子供には判らなかったが、どうやら今で言う廃品回収業者のような所に売るらしい。
 私は憧れが嵩じて、実際にゴミを拾って歩いた。籠はなかったので、布袋で代用した。
 初めのうち、私は「くず屋さん」の仕事は街をきれいにすることだと思っていたので、紙切れでもコルクでも、何でも拾った。
 そのうち、釘とか針金のような金属のゴミを集めて鉄屑屋という所に持って行くと、目方を計って買ってくれることを知り、その後は専ら金属集めに傾注するようになった。
 一度、3番目の姉と一緒に売りに行ったとき、おじさんが無造作に秤に載せたものの中から折角持って行った針金が1本落ちた。数センチのものだったが、姉は慌ててそれを拾って秤に載せた。姉は、とっさのこととはいえ、そんな針金1本の目方にこだわった自分が惨めに思えたらしく、ずいぶんあとまで、恥ずかしいと言っていた。
 私がそうして小遣いを稼いでいるのを知った友達の何人かが真似を始め、中には大きな磁石を紐の先につけて引きずるという高度な手を使う者もいた。
 皆、初めはあてもなく歩いていたが、そのうち酒屋の前には瓶の蓋が沢山落ちていることに気づいて、専ら酒屋をはしごして歩くようになる。鉄屑屋に通ううちに、電線の中に入っている銅線が高く売れることが分かり、岡崎君という、家が町工場をやっていた友達の手引きで、その工場の電線を盗んだりもした。
 最後は線路の枕木をとめる大きな釘(犬釘というらしい)が目方を稼ぐのにもってこいだということになった。1本あれば普通の釘何百本、瓶の蓋何百個の重さをゆうに超える。といって、枕木から引き抜く訳にはいかぬし、抜けるものでもない。そこで駅構内にある保線区に目をつけた。車両や線路の補修基地のような所で、大きな機械はもちろん、ツルハシやスコップなどが置いてある。そこに例の釘が涎の出るほど置いてある。
 私たちは夜陰に紛れてそこに忍び込み、ごっそりと盗んで鉄屑屋に持って行った。当然のことながら怪しまれ、追及され、こっぴどく叱られて一攫千金の夢は消えた。
 今、籠を背負って歩いている「くず屋さん」の姿はとんと見ないから、職業としては無くなったのかも知れない。強いて言えば、ホームレスの人たちが空き缶を拾っているのがそれに近いかも知れない。むろん家があって自宅から空き缶拾いに出ている人もいるし、中にはリヤカーを曳いてかなり大がかりに集めている人もいる。
 いずれにせよ、その人たちが世の中に貢献している度合は大きなもので、そのお蔭で私たちは道路に汚れた缶が転がっているという不快さや、車がそれを撥ね上げるという危険からもずいぶん救われている。
 つまり、私が子供のころ憧れた職業は「貴賤」の「貴」に属するものである。
 大人になってから憧れ、これぞ尊い仕事だと断言できるのは「物を作る」仕事である。
 私は学生時代、腕時計の金属バンドを作る町工場でアルバイトをしていた。バンドは小さな金属片をつなぎ合わせてできている。その金属片に接続用の孔を開けるのが私の仕事だ。直径1ミリ、深さ3ミリほどの孔を金属片の両側に開けていく。その後の作業はもっと熟練の工員が行い、最後はピカピカに光ったバンドになる。
 つまり私の受け持ちは最も易しい、誰にでもできる単純作業であったが、それでも、孔の開け方によっては接続部分が傾いたり、弛んだりする。
 いつしか私は道ですれ違う人の腕時計に自然と目が向くようになり、「あれは俺が作ったバンドかも知れない」などと思うようになった。それは誇りというほどではないものの、ちょっとした充実感でもあった。
 その後、孔開けの腕を上げた私は、もうちょっと手間賃が高い別の工場に移った。女性社長の他には私を含めて工員が3人という工場であり、別の工場から持ち込まれる金属片に指定されたサイズの孔を開けるのがただ一つの仕事である。くる日もくる日も3人で朝から晩まで油まみれになって孔を開ける。
 工賃は上がったが、前の工場でのような充実感はなかった。その金属片が何の部品として使われるのか、誰も知らないのである。だから私はあまり尊い仕事をしているという実感がなかった。そういう意味では詰まらなかったが、仕事の価値というのが工賃で決まるものではないということを学べたのは収穫といっていい。
 それに、自分の作った物が目の前に確かにあり、その対価として賃金を貰うというのはやはり職業としての原初的なあり方と言え、喜びもあった。
 ほかにも、自分ではやれなかったが、農業と大工は物作りの中でも最高の仕事だろうと思う。どちらも他者の生活を支えているという点で際立っている。
 同じ物作りでも、陶芸作家などといって非実用の皿など作っている人が他者の生活を支えているようには見えないが、自分の作った大根がおでんになって人々の冷えた体を温めていると思ったら、農業はやめられないであろう。自分の建てた家で家族が心地よい眠りにつくことを思ったら、大工はやめられないであろう。
 
 そういう、「形あるもの」を作り、それが人々の暮らしに直接役立つような仕事は「職業に貴賤なし」という言葉の「貴」が実はあるのだということを誰にも実感させてくれる。

 その一方、「貴賤」の「賤」にあたる仕事、つまり卑しい仕事というのも確かにある。
 株の売り買いをしてカネを儲けるなどということは、なんら人様の役に立つことではなく、ただ己がカネを得るというだけのさもしい仕事であるし、テレビのバラエティ番組で互いをののしり合いながらキャーキャーと笑い転げているいわゆる「タレント」などは、その無意味さでカネを稼ぐという、情けない職業である。
 かく、「賤」に当たる職業は存在するのが事実であるが、数ある「賤職」の中でも、芸能レポーターと称する仕事ほど賤しい仕事を私は知らない。芸能レポーターという肩書をもたなくても、有名人や、ときには事件・事故の被害者を追いかけてあれこれ質問する「アナウンサー」とか「記者」と呼ばれる奴輩も同じだ。
 たとえば子供を殺害されて悲嘆にくれる母親を追い回し、マイクをつきつけて「今どんなお気持ちですか」などと訊く。これほど無意味で残酷なことをしてカネを稼ぐということが「賤」でなくて何だろう。
 芸能人が誰かのアパートに入って朝まで出てこなかったというような噂が立つと、血眼になって追いかけ、「どこまでいっていますか?」などと訊く。
 昨今、芸能人たちが婚約や離婚の発表のために記者会見を開くということがよくある。究極の私事である婚約や離婚をわざわざ記者会見で発表するという芸能人にもにも呆れるが、唾棄すべきはそこに群がった記者たちの質問である。
 「○○さんのどこに惹かれましたか?」
 「プロポーズはどちらから?」
 「結婚後はお互いに何と呼び合いますか?」
 「子供は何人ぐらい欲しいですか?」
 大の大人が訊くことか。大きなお世話ではないか。
 挙句に「妊娠はまだですか?」などと訊く者もいる。たとえ結婚後の記者会見だとしてもそのような質問は非礼の限りだが、これから結婚するという人に向かって、なんたる不躾な質問か。
 もっとも、訊かれた方も得意げに「4か月です」などと答えたりするから、テレビを見ているこちらがのけ反ってしまうのだが、当の記者たちは素っ頓狂な声で「おめでとうございます!」などと叫ぶ。
 なにがおめでたいか。前後の見境もなく行動して、結果的に妊娠してしまい、不測の事態に周章狼狽して急いで結婚するというあたりが流れであろうに。
 お決まりは、「指輪を見せてください」だ。それを見てどうしようというのか。
 また、芸能人同士がどうやら付き合っているらしいと嗅ぎ付けると、空港まで追いかけて、動く歩道の横を走りながら、
 「パリでは××さんと合流しますかーっ?」とか叫ぶ。
 結婚が3度目だか4度目だかというタレントの車に駆け寄って、
 「今度こそ、これが最後ですか?」などと訊く。
 まあ、タレントの方も馬鹿さ加減を競っており、婚約会見、結婚会見、果ては妊娠会見などということをやり、檀上で大きな腹を写真に撮らせたりしているから、記者ばかりを責めるわけにもいかないのだが、いやしくも記者となればそれなりの試験も受けて合格した知識人であろう。それがカネのためとはいえ、ここまで下らない騒ぎ方をしているのを見ると、職業として極めて賤しいと言わざるを得ない。
 いい大人が声を枯らさんばかりに競って訊き続けるその姿には、呆れを通り越して嫌悪感すら感じる。
 それでも、婚約だの結婚だのといって馬鹿タレたちが公私のわきまえもなく浮かれている場面では、記者の品性を疑うだけで、さして実害もないからいいようなものだが、許し難いのは不幸な場面である。
 ある高名な俳優の奥さんが自殺した。俳優は仕事先から急遽新幹線で帰ったが、駅には芸能記者が群がっており、例によってマイクを突き付けながら追いかけ回し、「今、どんなお気持ちですか?」と繰り返していた。
 どんなお気持ち?
 自分の親戚や友人が配偶者の自殺に遭ったとして、「今、どんな気持ち?」と訊くか。
 「亡くなった奥様に対して、どんなお言葉をかけたいですか?」
 もう、いい加減にしろ。
 そんな無意味で思いやりのない追いかけをすることが仕事だとしたら、人間としての誇りや社会人としての常識を少しでも持っている者にはとうてい勤まる職業ではない。
 自分のやっていることに何の生産性もなければ何の意味もないということが分からないのか、あるいは分かってはいるがカネのためならどうでもいいのか。いずれにしても「賤しい職業」であることは間違いない。
 世に下層扱いされる仕事に就いている人にも、仕事上の人間関係がある。そこでは誇りや常識、思いやりというものが互いを支え合う大きな力になっている。
 それすらなくても勤まる芸能レポーターという仕事。「賤」といえばこれほど賤なる仕事はほかにあるまい。
 自分の子供にお父さん(お母さん)はどんな仕事をしているの、と訊かれて、「他人が誰の家に泊まったか、いつ妊娠したか調べているんだよ」と答えるのか。
 「悲しみ苦しんでいる人を餌に稼いでいるんだよ」と答えるのか。

 人間、一日8時間働くとすれば、生きている時間の3分の1は働いていることになる。目が覚めている時間に限れば2分の1である。
 それほどの時間を、他人のプライバシーを追いかけるなどという下らないことに費やしている者は、自分が惨めではないのだろうか。
 事件・事故で傷ついている人、失恋・離婚などで沈んでいる人を追いかけ回し、これでもかというように低劣な質問で攻め立てることを生業としているアナウンサー、記者、レポーター・・・。
 人間には、人間にしかない惻隠の情という高度な精神活動がある。傷ついた人をそっとしておく配慮、敗者の名誉を尊重して勝者が己の驕りを抑える気遣い。そういうことができてこその人間であろう。
 それなくしてただ人のプライバシーを暴き立てることでカネを得るという「職業」が成り立っている現状を見れば、「職業に貴賤なし」という言葉が、誰も信じない嘘であることは明らかである。

 誰かがやってくれないと皆が困るという仕事なら、子供に誇れる。
 誰もやらなくても誰も困らない仕事、人のプライバシーを追いかけ回す仕事、人の悲しむ姿をクローズアップしてカネを稼ぐ仕事。それは子供に誇るどころか、説明もできない。
 カネだけのためにする、そういうのを賤しい仕事という。
 多くの人が思っているとおり、職業に貴賤はある。スーツを着てネクタイを締め、賤しい限りの仕事をしている連中は、確かにいる。

 
      
紫電改、その哀れ  ハッタリの功罪 
     
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