この言葉、なんとかなりませんか(9)


大丈夫


 コンビニで振り込みを依頼した。
 「振り込みをお願いします」
 そう言って用紙を渡すと、私好みの可愛い顔をした女店員が言った。
 「1枚で大丈夫ですか?」
 「・・・・・?」

 何を訊かれているのか、一瞬判らなかった。
 大丈夫か、というのはものごとが完全かどうか確信がもてないときに、その確認のために使う言葉であろう。古い吊橋を渡るときに、その強度を怪しんで「この橋、大丈夫かな?」というように使う。
 あるいは相対的に弱い者を気遣うときにも使われる言葉である。
 たとえば、怪我をした人に、「耐えられるか」「我慢できるか」」というような意味合いで訊く。病気で苦しんでいる人に、「医者を呼ぼうか、薬を持ってこようか」と、苦しみの程度を訊くようなときに「大丈夫か」という言葉を使う。
 また、寒さの厳しい日に上着もなしに震えている人を見て、「あの人、大丈夫だろうか」というようにも使う。1万円しか持たずに旅行をするという子供に親が「それで大丈夫か」と訊いたりもする。
 要するに、相手の状況や計画がその人の持っている体力・気力・能力・資力等では困難ではないかと思われるときに、相手を気遣って使うのが「大丈夫か」という言葉であろう。
 だから、差し出した振り込み用紙を見て「1枚で大丈夫ですか?」というのは、
 「もう1枚ある筈なのだが、この人は1枚しか出さなかった。本当にこれでいいのだろうか」という心配が生じたときに訊くことである。

 むろん私も最近の若者が「よろしいですか」という意味で「大丈夫ですか」という言葉を使うのは知っている。一瞬とまどいはしたが、「ああ、例の使い方か」とすぐに察して「ええ」と応じたのは言うまでもない。
 女店員は金を受け取り、用紙の数か所に受領印を押したあと、
 「切り離して大丈夫ですか?」
と訊いてきた。切り離してよろしいですか、という意味である。
 振り込み用紙には振込人の控えにする部分があって、それは切り離して客に渡すことになっている。そんなことはここに書くのをためらうくらい当たり前のことであり、それを「よろしいですか」と訊かれることはまったく予想していなかった。
 え? と思ったが、それよりここでもまた「大丈夫」という言葉が使われたことに虫唾が走るほどの嫌悪感を覚えた。店員が可愛い顔をしていただけによけい裏切られた感じがした。
 切り離して大丈夫か、というのは「切り離したら、もうつながりませんよ、取り返しがつきませんよ、それでいいんですか?」という意味になる。
 度重なる若者言葉にムッとした私は、
 「切らなくて大丈夫なの?」
と訊き返した。これは「切り取らなければあなたは間違った処理をしたことになる。それであなたは叱られたりしないのか」という意味で、文字通り「大丈夫か」ということである。
 女店員は私の皮肉が分からなくて、えっ?という顔で私を見た。
 「ぼくは控えがなくたって別に困らないけど、あなたは切り取らないとあとで叱られるよ」と言ってやったが、よけい分からなくなったようで、別の店員に助けを求めた。
 呼ばれた店員は私の顔は見ずに用紙を切り離し、ありがとうございました、と言って控えを渡すと、向こうへ行ってしまった。
 二人の店員はその後、「何、今の客? 感じ悪いね」とでも言い合ったことだろう。

 いったいいつから日本の若者はこういうでたらめな言葉使いをするようになったのだろうか。ある言葉がある誤った意味で使われると、日本中、猫も杓子も同じ誤用をするようになる。
 大丈夫、という言葉に限っても、私自身がもううんざりするほど聞いている。前にも「大丈夫ですか」と訊かれたことで不快さが収まらず、旅行記に数行を割いたことがある。(「ねんきん老人のせこい旅・第9回芦屋~赤穂(1)」
 言葉を間違って使うということは誰にもありがちなことで、かくいう私も言葉を間違った意味で使ってあとで汗顔三斗の思いをしたことは枚挙にいとまない。しかし、そういうときは相手が怪訝な顔をしたり、話がスムーズに進まなかったりして、大抵はすぐに気づく。注意してくれる人もいる。
 第一、ほかの人がそういう使い方をしないから広がらない。
 たとえば以前、私の都合を尋ねるのに、「20日の放課後は平気ですか」と訊いた生徒がいた。「平気というのは、気にならないとか苦にならないとかいう意味だよ」と教えて言い直させたが、幸いそういう場面で「平気」という間違いは広がらなかった。同じ間違いを周りがしないからである。
 ところが最近は、人の言い方を変だなと思わずそのまま真似る若者が増えた。一人を二人が真似る。二人を四人が真似る。という具合で、同じ語法で喋る者がネズミ算式に増えていく。増えれば増えるほど、遅れてなるものかとそれに追随する者が出てくるから、あっという間に日本中で同じ間違いがまかり通るようになる。
 その伝播経路はいろいろあるだろうが、私の感じるところではコンビニとファミリーレストランあたりがその最たるものであるように思う。
 コンビニで買い物をすると、店員に「ポイントカードは大丈夫ですか?」とよく訊かれる。「ポイントカードをお持ちですか?」という意味だろう。
 しかし、どう考えても「持っているか?」と「大丈夫か?」が同義である筈がない。強いてそのような用法を考えるなら、家を出るときにその日に使うものを忘れずに持ったかという確認のために「書類は大丈夫か?」とか「財布は大丈夫か?」と訊いたりする例が思いつくが、その場合も「持ってないと大変なことになるよ」というような意味が含まれている。
 コンビニ店員の言葉も、「ポイントカードは破れていないか?」とか「ポイントカードの期限は切れていないか?」というような意味になってしまうだろう。
 ファミリーレストランでは注文を繰り返したあとに「以上で大丈夫ですか?」と訊かれることがよくある。「これっぽちで腹はいっぱいになるのか?」という意味なのか、それとも「こんなに頼むと会計が膨らむが、あなたの財力で払えるのか?」という意味なのか。
 私はムッとして「なんとか頑張ってみるよ」と答えたことがある。ウエイトレスはきょとんとしていた。
 もはや日常用語として定着してしまった「大丈夫」であり、その使い方に疑問を持つことすら変人扱いされかねないのであるが、日常会話に入り込んでくると思わぬ場面で不快感を味わったりもする。
 最近も、拙宅に若い客があり、時間をかけて楽しい夕食をとった。何杯目かのビールを勧めたとき、客が言った。
 「もう、大丈夫です」
 このくらいでなんとか我慢できます。少々物足りないことは確かですが、まあ我慢します。
 そう言われているようで、言葉に窮した。
 こんなことで、日本の将来は「大丈夫」だろうか。

  
※ 「大丈夫」については別稿「この言葉、なんとかなりませんか(1)」でも触れています。       

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