いい加減にしてくれませんか(3)


カラオケの強要


 カラオケというものが出現したのは、いつごろのことだったか。
 私が初めてそれを見たのは30年以上前だったと思うが、場所はどこかのスナックバーであった。
 当時は仕事帰りによく飲みに行っていたが、そこでママだかホステスだかが自慢げに披露した機械がそれ。カラオケという言葉も初めて聞き、空のオーケストラだからカラオケだと言われた。
 素人が伴奏つきで歌うなどという機会はなかった時代であるから、もの珍しさはあった。それに歌うと声にエコーがかかり、なんだか上手に聞こえるという仕掛けもあって、その気になる客も多く、店としては集客の手段に使っていたようだ。
 私は人前でマイクを通じて歌うなどという大それたことはできないから、1曲たりとも歌うことはなかったが、先輩の一人がこれにハマった。
 ハマりにハマって、ほとんど毎日のように出かけた。先輩に行こうと言われたら断ることはできないから、私もほとんど毎日飲んだ。
 その人は店に入り席につくや、飲み物の注文ももどかしげにマイクを持ってこさせ、お気に入りの曲をかけさせる。最初のビールが届くころにはもう歌い始めているから、乾杯もへちまもない。
 店には他の客もいて、どういうわけか1曲終わると拍手などする。別に聴いているわけではない。それぞれ飲んだり喋ったりしている。自分も歌いたい客が、暗にマイクを回してくれという意味で拍手をするのかも知れない。
 だから4曲も5曲も続けて歌っていると、苛立つ客もいるらしい。困ったホステスがやんわりと、「○○さんにも歌ってもらおうかしら」などと催促するのだが、先輩がそんな空気を察する気配はさらになく、次から次へと歌いまくる。
 中には気性の荒い客もいて、「あんた、自分ばっかり歌ってんじゃねぇよ」とか言ってマイクを奪い取ったりもする。
 私たちは飲んだり喋ったりしているので、マイクが無くなった以上その先輩も話の輪に入るだとうと思うと、どっこいその人は他人が歌っている間中、歌詞の載った冊子をめくって次の曲さがしに余念がない。そして他の客が1曲歌い終わるころには、そのそばまで行って待っている。再びマイクを持って帰ってくる。
 バーという所は本来酒を飲む所であろう。だが酒を飲むだけなら家で飲めばいいわけで、バーはそれに付加価値を提供するから客が入る。
 ホステスがそれで、ホステスの良し悪しは客の入りに大きく響く。では良いホステスというのはどういうホステスだろう。
 まあ、美人であるに越したことはない。ちょっとセクシーだったらなおいい。だがそれは大きな要素ではなく、ホステスとして最も大切な資質は“会話力”であろう。
 当たり障りのない話題を提供し、客の御託にも楽しげに付き合う。客を上手くおだてるのは売上を伸ばすための初歩的な技で、分かっていても客はそれに乗ってしまう。
 そう、わざわざカネを払って飲みに行くのは、とりとめもないお喋りと適度なアルコールで息抜きをしたいからである。
 それを、酒も飲まず会話にも加わらず、ただただ大音響で歌っているばかりの御仁は、その場の邪魔になるだけで、迷惑以外の何物でもない。
 気の利いたジョークや虚実ないまぜの体験談などは話し手の知性を感じさせて、聞く方も楽しい。歌詞カードを見ながらただ歌っているだけの人間には、知性の欠けらも見えない。

 そんないきさつもあって、私はカラオケというものが好きではない。というより、はっきり嫌いだと言った方がいい。
 しかしそれはすさまじい勢いで進化し、普及していった。
 私も何やかやといろんな団体に名前が入っていて、親睦とか研修とかいう名目で出かけることが多い。バスが走り出すと、ガイドが自己紹介もそこそこにカラオケの準備を始める。歌いっ放しで旅館に着く。夕食の席ではまだ食べ終わらないうちからカラオケが始まる。帰りのバスではまたずっとカラオケだ。
 新年会だの忘年会だの、親睦会だの慰労会だのと、カラオケ目当ての集まりも多い。中にははっきり「カラオケ大会」と銘打った集まりもある。
 私は歌が嫌いだというわけではないが、バスの中で名所旧跡の説明もなしに素人の下手な歌を聴かされ続けるのは勘弁してもらいたい。旅館についたら日頃打ち解けて話をする機会のない人たちと酒を飲みながらあれこれ談笑したい。そういうことをすべて排除して、ただただ調子っぱずれの歌を聴かされていると、無理して払った参加費が惜しくなってくる。
 さて、そういう席でなんとも不思議に思うことがある。
 歌う人間が、宴席の方ではなく、カラオケのモニターを見ていることである。
 確かにモニターには次々と歌詞が現れるから、歌の練習をするためにはいいかも知れない。だが今は練習ではない。集まった参加者たちに歌声を披露する場であろう。聴いてもらうといってもいい。だったら皆の方を向いて歌うのが礼儀ではないか。
 歌詞を覚えていないというかも知れない。だが、いやしくも人様に聴かせるという以上、歌詞も覚えていない、つまり意味も分からないような曲を選ぶべきではない。
 プロの歌手は、歌詞を読んで、読んで、読んで、その歌詞に込められた思いを全身で表現しながら歌うという。客の前でモニターを見ながら歌う歌手がいないのは当然であろう。
 素人とはいえ、いや素人なればなおさらのこと、自分の歌を人様に聴いてもらうという気持ちが必要ではないか。それを会場の皆に背を向けて、モニターと睨めっこで歌っているとなれば、それは自己満足の極みと言わざるを得ない。
 もっとも、会場にいる人たちも他人の歌を聴いているわけではない。自分が歌う曲選びに忙しく、歌う人間の礼儀がどうのということには気づきもしないというのが実態でもある。
 確かに言えることは、懇親とか親睦とか銘打った宴会が、実はてんでんばらばらに自己陶酔しているだけで、全然親睦になっていないということである。

 そしてもう一つ、カラオケには耐えがたい問題がある。
 人に強要することである。
 先述のとおり、私も新年会忘年会懇親会慰労会反省会・・・といった席には年中出ている。そこでお決まりのカラオケになると、「次は誰」「次は誰」と指名合戦が始まる。指名された人は、
 「えー! 私ですか? 私はダメですよー」
 などと満面の笑顔でマイクを受け取る。即座に曲を指定するところを見ると、既に歌う曲を決めてうずうずと待っていたことがよく判る。
 そのうち私も指名される。まっぴら御免で、当然断る。すると相手は「ダメですよ、順番ですよ」などと強要してくる。
 歌いたくない人間がいるということは考えたこともないらしく、断りを遠慮だと思ったり、重ねて勧めないと歌いにくいと思ったりするらしい。
 終いにはこちらも声を荒げて
 「歌いたい人が歌えばいいじゃないですか。歌いたくない人間に歌わせて何が楽しいんですか!」
 などと言ったりする。当然気まずい空気が流れる。
 それがいやで、カラオケが始まるとロビーに出てコーヒーを飲んだりしていることが多いのだが、そこへまた人が現れて、
 「なんだ、ここにいたのか! 歌ってないのはアンタだけだよ。行こう、行こう!」などと素っ頓狂な声をあげる。もう、懇親どころか、一戦交えたい気分だ。
 「私はカラオケが嫌いなんです!」
 と言い放つに及んで、相手も鼻白む。それを察したエライ人が、とりなすために二次会に行こうなどと誘ってくる。
 エライ人の言うことでもあるし、私も大人げなく声を荒げた反省もあって付き合う。その二次会でまたカラオケ。あるときはカラオケボックスで二次会という、嘘のような事実もあった。
 カラオケボックス。なんという空間であろう。
 互いの加齢臭にむせ返るような狭い場所で、なんでマイクを使う必要があるのか。その音響は尋常ではなく、隣席の人とも大声でないと話ができない。
 ある所である人が言った。「ここは60分いくらだから、次の人は曲を決めて待ってて」
 曲選びで時間をくったら勿体ないという意味だが、そうやって慌ただしく歌って、楽しいのか。

 人は様々であるから、カラオケをけしからぬとは思わない。
 趣味はカラオケです、などと言うのを聞くと、もう少し高尚な趣味はないのかと思うが、それはまあ、大きなお世話であろう。
 だから、好きな人が集まって互いに誰も聴いていない歌を歌い続けていたって、それでその人たちが楽しいなら構わない。
 ただ、カラオケは万人共通の娯楽だという思い込みはいい加減にしてもらいたい。
 予め「今回の研修旅行の真の目的はカラオケです。興味のない方は不参加で結構です」と通知してくれれば、苦痛を味合わなくて済むし、無駄な出費もしなくて済む。
 そう、カラオケを楽しむ自由は認めるから、カラオケを楽しまない自由も認めてもらいたいのである。
 
      
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