いい加減にしてくれませんか(2)


「盛大な拍手」の強要


「今一度、盛大な拍手をお願いいたします」
「盛大な拍手でお迎えください」
 講演会や結婚式などでよく聞く、司会者の言葉である。
 それを聞くたびに嫌になる。
 もし私がどこかで講演をするとして、ステージに上がると同時に会場の拍手に包まれたら、もちろん悪い気はしないだろう。歓迎されているんだなと思う。
 講演を終えて壇から降りるときに拍手をもらえたら、話したことが役に立ったのかなと思って嬉しくなるだろう。
 しかし、さあステージに出ようというときに、
「盛大な拍手でお迎えください!」
という司会者の声とそれに続く拍手が聞こえたら、どんな気になるだろう。
 ああ、この拍手は司会者に促されてしているのか、聴衆が期待して拍手しているわけではないんだ。
 そう思ってしらけてしまうのではないか。
 話を終えて下がろうとしたときに、司会者の
「今一度盛大な拍手をお願いいたします」
という声に続いて拍手が起こったら、ああ皆は俺の話に感動して拍手をしているわけではなく、司会者に言われて手を打っているんだ、と思ってがっかりするのではないか。
 そもそも拍手というものは称賛や共感の念から自然に起こるものであり、さればこそ大きな拍手とかまばらな拍手とかいう差が出てくるものではないのか。
 司会者が「大きな」「盛大な」と催促し、それに従って皆が大きな拍手をするのでは、それを受けても、ちっとも嬉しくない。

 ある福祉関係の表彰式に出たときのこと。
 20人ほどの人や団体が次々と呼ばれ、表彰状やら感謝状やらを受け取る。それに従って会場から拍手が起こる。
 すると若い女性司会者が
「〇〇会の△△様でした。どうぞ今一度盛大な拍手をお願いいたします」
と言う。会場にいる人たちはさっき拍手をしたばかりなのに、もう一度拍手をする。最初のは称賛から起こったものだが、二度目は司会者の指示で意味もなく叩いているだけである。
 これが全受賞者について、まったく同じ口調、まったく同じフレーズで繰り返される。
「××会の□□様でした。どうぞ今一度盛大な拍手をお願いいたします」
「▽▽会の◎◎様でした。どうぞ今一度盛大な拍手をお願いいたします」
「▲▲会の◆◆様でした。どうぞ今一度盛大は拍手をお願いいたします」
「▼▼会の・・・」
 これが20回である。
 それがどんなに白々しいものか、司会者には分からないのだろうか。

 実は私は最近、ある会の年次総会で司会を命じられた。といっても別に私の適性がどうとかいうことではなく、順番で回ってきた、誰でもできる仕事である。
 私も一応は進行表を手に入れ、来賓の数や順番などを調べておいた。それぞれの人の役職や業績もメモし、必要があれば紹介もできるようにしておいた。
 さて当日、会場に行って事務官に「司会をする〇〇ですが」と名乗ったところ、ああどうもご苦労さんです。これが今日の次第です、と言って分厚い台本を渡された。
 見ると司会者の台詞として、例の「〇〇協議会の××様でした。どうぞ今一度大きな拍手をお願いいたします」という文言が繰り返し書かれている。ご丁寧に「不慣れな司会で何かと不行き届きがございましたが、皆様のご協力をもちまして・・・」などという挨拶まで書き込まれている。
 私は不慣れではないし、そもそも司会者というのはその会の端役であって、前面に出て参加者に指示を出したり主役のような顔で挨拶したりする存在ではない。
 私は台本を無視し、自分の持っていた進行表に従って会を終えた。「拍手を・・・」という台詞は一度も使わなかった。
 それでも参会者たちは場面に応じた拍手をしていた。自然発生的な、つまり心のこもった拍手だったと思う。
 ただ、前述のごとく1人に対して2度ずつ拍手をするのが正しい進行だと信じている事務官にしてみれば、「せっかく用意してやった台本を無視しやがって! あれでは来賓に対して失礼だ」ということになるのだろう。

 昔、ラジオ放送が中心だったころ、歌番組の収録でディレクターが丸めた台本を頭上でぐるぐる回し、それに合わせて観客が拍手をするという光景があった。
 音と声だけで組み立てられるラジオ番組では、重要な演出だったと思う。
 テレビ時代になってからもそれは続いているが、これも会場の雰囲気を茶の間に伝えるためのテクニックとして分からないではない。
 しかし、会場の中だけで展開される結婚式や講演会などでは、その場の空気を全員が共有しているのであるから、わざわざ「音」を演出する必要はない。
 司会者が機械的に促す「盛大な拍手」は、拍手のもつ本来の意味を台無しにする「余計なお世話」ということであろう。

 話はそれるが最後に一つ。
 ある和太鼓のお祭りで、ゲスト出演したスチールドラムのバンド演奏が終わった。正直なところ、和太鼓を聴きに行った私としては、とくにどうということもなかった。
 そのとき、司会者が
「ありがとうございました。皆さん、アンコールの拍手をお願いします!」
と叫んだので、私はびっくり仰天した。観客が求めてこそのアンコールであって、司会者が要求したのではアンコールとは言えない。
 さらにグループのリーダーが発した言葉で、私はその場に坐りこみたいほどの絶望感に襲われた。
「それではアンコールにお応えして、あと4曲お送りします!」
 もう、何をかいわんやである。 
     

たった一人の自分  この言葉、なんとかなりませんか(8)
     
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