雑読の中から


読みの浅さを恥じながら



 今でもそうだが、子供のころはかなり貧乏だったと思う。
 思う、というのは、あまり実感がなかったということである。およそ苦労などしたことはない。自分では苦労しているような気でいたが、今にして思えばあんなのは苦労のうちに入らない。
 ただ、貧乏ではあった。それとても世間全体が貧乏であったから、どうということもない。
 子供のころは本も買えなかったが、だいたい単行本を持っている者など周りにはいなかった。「おもしろブック」という子供向けの雑誌があり、それだけは親が買ってくれた。毎月発売日になると朝から何度も本屋に行き、荷が届くのを待った。『少年王者』を始めとする“物語”が連載されており、ドキドキハラハラしながらその世界に没入した。今ではどんな本を読んでもあんなに夢中にはなれない。
 単行本はもっぱら借りて読んだ。裏通りに貸本屋というのがあり、そこの常連であった。横溝正史のものなど片っ端から読んでいたが、今読んでみると結構難しく、あのころの私が理解できていた筈はない。まあ、本を手にしているという満足感だったのか、ほかにオモチャなどなかったからそれも遊びだったのか、いずれにしても読書というほどのものではない。
 中学のときに金田一京介さんの編んだ国語辞典を買ってもらった。A6版ぐらいの小さなものであるが、確か三百数十円だったと思う。そんな値段を覚えているくらいだから嬉しさはひととおりではなく、インクの匂いが得も言われず心をくすぐった。
 そんなことが刺激になったのか、自分の本というものを持ちたい気持がつのり、高校入学と同時に本屋でアルバイトを始めた。本を買った。そして、何のことはない、本の増えるのに反比例して、本を読まなくなってしまった。
 もっともそれは比較の問題で、今の高校生に比べれば話は別である。なにしろ、先日あるクラスで、どのくらいの単行本を読んでいるか訊いてみたところ、最も多い生徒でひと月に1冊ということであった。皮肉ではなく、一日一冊の間違いではないかと思った。
 しかしそれにしても、私の読書はお粗末であった。乱読といっては自賛に過ぎる。雑読といっても気が引ける。ただ手当たり次第に活字を追っていたに過ぎない。
 当時の高校生はいわゆる四福音書を始めとするプラトンの著作を読まなくては話題についていけなかったから、赤鉛筆で線を引きながら繰り返し読んだ。読んだが解らなかった。
 阿部次郎、西田幾多郎といった哲学者の本はボロボロになるまで読んだ。実はボロボロにしないと読みが浅いと思われるので、わざと乱暴に扱ったり無意味な書き込みをしたりした結果なのだが、内容は皆目理解していなかった。
 倉田百三、亀井勝一郎といった評論家の本からの受け売りを得意になって語ったりしていたが、たちまちデキのいい友達に論破され、底の浅さを見抜かれてしまった。
 ただ、確かに言えることは、それらの本を読むたびに思考が深まるような錯覚と自己満足で、“物語”ではない本が書架の大半を占めるようになったことである。
 思えば汗顔のいたりではあるが、一端のプラトン学徒を気取って意気軒昂であったあの頃の読書は、量的にはかなりのものであったと思う。読んだことの殆どは消化できず、無論覚えてもいないのだが、それでも断片的に今も私の指針となっていることは確かで、あの頃読まなければ多分その後も読んでいなかったであろうと思うと、貴重な読書体験ではあった。
 そんな雑読の一つであったプラトンの『パイドン』はM先生からいただいて初めて読んだ。論理の展開が奇想天外で、しかも思わず膝を打つほど説得力に富んでいる。
 岩波だったか角川だったか、薄い文庫本で、随所に先生の書き込みもあった。それが今手元にないことは不思議であり、寂しくもある。人にやった覚えはない。その後、何度か買い替えた『パイドン』だが、やはり私にはあの一冊が懐かしい。
 もし手元にあったら、これはと見込んだ生徒にあげたい。M先生は今もご健在で、教壇に立っておられる。

                     1978年3月に、勤務先の「図書館報」に載せた文です。

      

この言葉、なんとかなりませんか(7) 究極の一人旅
   
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