この言葉、なんとかなりませんか(4)


「心から」は、心から?



 友人の母親が亡くなり、弔電を打とうとNTTに電話をした。当方の依頼した電文は次のとおり。
「母堂の逝去を悼み、ご冥福をお祈り致します」
 オペレーターが言った。
「復唱します。『母堂様の逝去を悼み、心からご冥福をお祈り申し上げます』ですね」


 私は、いえ違います、と言って最初の電文を繰り返した。
 オペレーターが訊いた。
「母堂ですか? 母堂ではないんですか? はつけないんですか?」
 私は「ご」も「様」もいらないと答える。オペレーターはさらに訊いてくる。
「逝去ですか? ご逝去ではありませんか? それでいいんですか?」
「そうです。『ご』はいりません」
 オペレーターはいぶかしげな声でもう一度復唱した。
「『母堂の逝去を悼み、心からご冥福をお祈り申し上げます』でいいですね」
「『申し上げます』ではなくて『致します』と言った筈ですが。それに『心から』なんて言ってません」
 オペレーターが不機嫌そうな声で言った。
「え? 『心から』をつけないんですか? おかしいですよ」

 言うまでもないが、「母堂」は相手の母親に対する敬称である。「母の逝去を悼み」というのなら失礼だろうが、「母堂」なら十分ではないか。その上「ご」をつけたら、御飯を「おご飯」と言うようなものだ。さらに様をつけたらどうなる?
「逝去」は死者を敬って使う言葉であり、それ自体が丁寧なものである。それにしつこく「ご」をつける必要があるのか。
「冥福」という言葉自体は敬語ではないから「ご」をつける。「祈る」の主体は私自身であるから「致します」
となる。
 そんなことは誰しも分かっている。それなのに、馬鹿丁寧を通り越して滑稽なまでの“過剰敬語”がなくならないのはなぜか。
 多分、誰かが自分の丁寧さをアピールしたくて母堂に「ご」をつけたのだろう。すると、耳新しいその言い方を真似る輩が出てくる。あとは加速度的にそれに追従する者が増えてくる。
 そうなると、「ご母堂」が「お御飯」に等しいと分かっている者までもが、皆がつけているのに自分だけつけないと非礼だと思われるんじゃないかと不安になり、とりあえずつけておけば無難だろうという“安全運転”で右へ倣えということになっていく。
 そのうち皆が「ご母堂」と言うものだから、自分はもっと本気だということを示したくて「様」をつけたりする者が現れて、それを見た者たちがまた慌てて右へ倣えとなった。このあたりが真相であろう。
 この調子でいくと、そのうち「ご御母堂様様」などという言い方が出てくるに違いない。

 そもそも、「心から」とはどういう意味なのか。
 議員と称する人達や名士を自認する人達が入学式、卒業式、盆踊り、敬老会などで挨拶をするとき、必ず「心からお祝い申し上げます」と言う。そんなもの、心から言っているわけはないだろうというときほど、「心から」を連発する。
 政治家が中国や韓国に対して「戦争で貴国民に与えた苦痛について、心から反省の意を表します」などとも言う。終戦のときにまだオシメをしていたような人が、どうして当時の政治家や軍人の所業について心から反省するのか。
 自分がオギャー、オギャーと泣いていたときに大人達が何をしたかなんてことは俺に言われても困る、というのが正直なところだ。
 とはいえ、自分の親の代に行われたことについて、日本人として知らん顔もできないから、立場上謝るということだろう。言ってみれば、「俺のせいじゃないけど、仕方がないから謝る」ということではないのか。
 つまり、「心から」どころか、「心からではありませんが」と言う方が本心に近い。
 私も、万引きした生徒を引き取りに言ったときなど、立場上コメツキバッタのように謝ったものだが、そんなとき、心の中は、「あれほど指導しているのに、よくもこんなことをしてくれたな」という、生徒への怒りと、「なんで俺がこいつのために頭を下げなきゃならんのだ」という憤懣でいっぱいである。「心から」なんてとんでもない。

 こうして見てくると、周りが“儀礼的挨拶”、“社交辞令”と分かっているような場合ほど、「心から」という嘘が冠されるのがよく分かる。
 つまり、発言者自身が“心からではない”ことが分かっているものだから、それを悟られまいとして、わざわざ「心から」と付け加えるのである。
 うわべだけの発言であることがバレるのではないかという不安から「本心、本心」と強調するが、実はすべての聴衆がそれが本心からではない、心からではない、ということに気づいているのだから、これほど滑稽なこともない。言っている本人だって、他の人がそう言っているときには内心「嘘つけ!」と思っているのだ。
 卒業式などで次々に出てくる来賓が「心から」「心から」と連発するものだから、自分の番になったとき、心からをつけないと、祝意を疑われるのではないかと不安になり、とりあえずつけておけば無難であろうと、ここでも“安全運転”に走る。ただそれだけのことである。

 そのうち、「心から」だけでは響きが弱いと思って「本当に心からお祝い申し上げます」などと言い出す者が現れるであろう。それを聞いた者達がたちまちそれに倣い、やがて「本当に心の底から」とか言い出す者が出てくるに違いない。

 だいたい私たちは、普段の会話で「心から」なんて言わない。
 桜を見て「きれいだね」と言うのを聞いて、「あれは『心から』をつけていないから、本当はきれいだと思っていないのだろう」と疑う人がいるだろうか。
「腹が減った」と言うのを聞いて、「あれは『心から』と言わないから、本当は腹が減っていないのだろう」と思う人がいるだろうか。

 喧嘩をしたときに、「心からごめんなさい」などと言えばなんだか怪しいし、ぼたもちを貰って「心からありがとう」などと言ったら、おちゃらけていると思われてしまう。「ごめんなさい」「ありがとう」。それだけで十分。それを、「心から」をつけていないから、これはうわべだけだな、などと思う人はいないのである。

 そこで言いたい。あちこちのイベントで“挨拶要員”になっている“お偉いさん”たち。祝辞や弔辞を頼まれて張り切っている“名士さん”たち。そろそろ義理で頼まれているということに気づいた方がいいのではないか。
 つまり、挨拶を頼む方は、挨拶の内容に毛ほどの興味ももっていない。“名士殿”に出番を与えないと機嫌を損ねるから、とりあえずどうでもいい挨拶だけを頼んでいるのである。だから祝意が本気かどうかなどは聞いてもいない。
 スカートとスピーチは短ければ短いほど良い、というのはけだし名言であるが、加えて、余計な修飾語をつけずに、言葉を言葉としてシンプルに語る方が結果としてウケがいい。

 さて、日本は今、東日本大震災という未曾有の災難に遭って、塗炭の苦しみに喘いでいる。そんな中にあって、新聞、テレビは「心から」のオンパレードである。スーパーマーケット、家電量販店、コンビニ、ドラッグストアからホームセンターまで、入口には「この度の大震災に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます」というような張り紙が溢れている。
 新聞広告や折り込みチラシにも「心から」の文字が踊っている。
 1人の人間なら、それが胸にあるか頭にあるかは別として、心というものがあるだろうが、○○製作株式会社というような法人に心というものがあるのだろうか。あるとしたら、それはどこにあるのか。本社ビルの最上階にでもあるのか。
 企業にせよ公共団体にせよ、組織というのは特定の目的を持って組み立てられたゲゼルシャフトであり、喜怒哀楽といった感情を持つものではない。恨みや憎しみを抱くというものでもない。つまり「心」など持ってはいないのだ。それなのに生身の人間の属性である「心」という言葉を使うから嘘っぽくなってしまう。
 その点、今回の地震と津波で突然四面楚歌となってしまった東京電力が、テレビ広告で「心から」と言わず「深くお詫び申し上げます」と言っているのは、空々しくなくていい。
 東電だって、私たち国民が野放図に電気を使って電力会社に無理な電力供給を強いた結果、国策に従って原子力発電に走らざるを得なかったわけだから、そうそう責められるばかりでは納得がいかないだろう。発電所の建設にしたって、“専門家”の“想定”のもとに技術の粋を集めて設計、施工がされているわけで、今になってその“専門家”達から袋叩きに合う筋合いではないというのが本音だろう。
 それを「心からお詫び申し上げます」などと言ったのでは、聞いている方が白けてしまう。

 繰り返すが、「心から」という言葉は、心からでない時にしか使わない言葉である。
 そろそろ、そういう心からでない修飾語の羅列をやめて、すっきりしたものの言い方を心がけてもらいたいものだと思うが、どうだろう。

 追記:

 この稿を書いた翌年、次のような文面の年賀状が届いた。
「昨年中はいろいろとお世話になり、心よりお礼申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いいたします」

 昨年中はいろいろとお世話・・・どころか、その人とは20年以上会っていない。毎年年賀状は貰うが、私の名が一字違っている。20年以上そのままということは、パソコンの宛名ソフトを使って一斉に印刷し、そのまま輪ゴムで束ねて郵便局に出しているのであろう。つまり、誰に出したかは本人も知らないのだ。
 無論私も単なる義理で出し続けているものが何十枚もあるから、人のことをとやかくいうことはできないが、何年も会っていない人に「昨年は」とか「お世話になり」などとはさすがに書かない。
 ましてや「心から」などと書く神経は持ち合わせていない。
 その年賀状は、「心から」と書くことによって、図らずも「心から」でないことを強調する結果になっている。

雪犬ホー 楊貴妃考
     
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